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2005年 09月 01日
![]() 小泉内閣のいう「郵政解散」は、いよいよ9月11日の選挙がまじかになりました。 与党である自民党からは、刺客とも落下傘候補ともいわれる有名人が続々出馬しています。 外国メデアは高みの見物でこんな解説をしているとか。 仏紙ルモンド 8月23日、 「『刺客』『女殺し屋』はサムライ映画の直伝」「こっけいさと悲壮感、策謀と裏切錯綜(さくそう)する自民党のあり様は小ぶりのシェークスピア劇のようだ」 自分らの国は棚にあげて、まあ、なんとでもおっしゃい。 日本の場合、現代の選挙から、明治・大正期の選挙をふりかえれば、選挙権の数が天と地ほど開きがあるのは認めましょう。いま思いおこすのは、与謝野鉄幹が京都から衆議院に立候補したことです。 大正3年(1914)12月25日、第三十五議会で、時の大隈内閣が衆議院を解散。そこへ、与謝野寛が大隈重信の与党の一人として立候補しました。大正4年(1915)2月でした。 彼は生まれ故郷である京都府愛宕郡岡崎村(現・京都市左京区岡崎)から出たのですが、当時の京都府は18郡が含まれていました。選挙の結果は、候補者11人中、定員5人で、1600票が当選ラインとされていた中、寛は99票という得票だったといいます。 旧憲法によれば、選挙権を持てる者は富裕層の男性に限られていました。選挙に参加できたのは、国民の約1パーセントあまり。女性は発言することすらできなかった時代でした。晶子夫人が直接夫の応援に立った写真が残されているのは、さすがだというべきでしょう。 「世間知らずの文士が代議士に立候補するとは滑稽千万」、与謝野寛と晶子夫妻にはこうした冷笑も浴びせられたようですが、今の選挙ならどのように展開しますか?夫妻のお孫さんがその後政治家になられたのも血は争えないということ? 私の父は曽祖父、祖父から、「政治にだけは手を出すな!」と厳しく忠告されていたようで、その心は、「井戸塀しか残らんぞ。」という事であったようです。幸か不幸か使いものにならない井戸と塀だけは現在も残っている市井の家なのですが。 井戸塀政治家ーー、もう、そのことばは死語になっているのかもしれません。いまは政党から選挙資金が給付されますし、いったん政治家になれば……♪♪♪。 税金の使いようは国民の目にはわかりにくく、選挙の時だけ有権者が王様であるのは、ああ、情けない。 大正4年といえば、漱石が亡くなる前の年になります。 文士にも、さまざまな運命の糸が、紡がれていったのでしょうか。
by tsubakiwabisuke
| 2005-09-01 14:30
| 京都
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