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2006年 12月 01日
おついたち おめでとうございます、このように社中同門の挨拶があって朝礼がはじまりました。 大宗匠、お家元とお二方が咄々斎(とつとつさい)の床を背に、どっしりと坐っておられます。 道話はお家元から。つぎに大宗匠は今日の床の軸について語られます。 「三冬枯木花(さんとうこぼくのはな)」 この一行は裏千家九代不見斎筆。大宗匠のお話を要約しますと、大体こんな感じになります。 12月、1月、2月を三冬(さんとう)という。 大徳寺で禅の修行をしていた若い時分、師匠から「婆子焼庵(ばししょうあん)」の公案を与えられた。 中国に、禅に熱心な奇特なお婆さんがいて、若い修行者に目をかけていた。しっかり修行を積みえらいお坊さんになりなさいと、庵を建て住まわせていた。 食事の時にお婆さんは給仕をしている小娘を呼んで言いふくめた。 あの坊さんに抱きついてみなさい。どういった反応をするか見てやろう。 給仕の小娘は断りきれずに、言われたとおり若いその修行僧に抱きついた。 その途端、その若い僧は娘をつきとばして叫んだ. 「枯木寒厳に倚って、三冬暖気なし」 青年僧はイエスかノーを迫られて、「枯木寒厳に倚りて、三冬暖気なし」、 自分は20年間修行して、枯木が寒厳に寄りついたようなもの、暖気などどこにもないから、おまえなどに用はないと言ったのです。 さあ、ここが問題なのですね。ここからはわびすけの感想です。 仏道を行なう者は、すくなくとも他を救済する者でなければなりません。自分が悟ったとしても、小娘を邪険につきとばして、いかにも煩悩がないようなことばを得々と言うような者が、正しい修行者でしょうか? お婆さんの目は厳しくもその偽善性をついたのではないかと、私は思いました。 老婆心ということばがありますが、年齢的なものを言うのではありませんよね。 そうした問題を考えさせるために、婆子焼庵の公案があるわけです。私も未熟ながら若いころ禅堂で座禅した体験がございますので全くわからない訳でもないのです。 これが有名な「婆子焼庵(ばししょうあん)」の公案なのですね。 大宗匠は語り続けられます。 その話を聞いた婆さんはたいへん怒りました。 「くだらんヤツだ。そんな者を供養する必要はない。」と言って修行僧を追い出し、庵を焼いてなくしてしまった。 師匠からこの話を聞かされた時、私はなんと答えていいか迷いました。 心の中で、自分ならその小娘にだきついたかもしれんな、と思ったのです。しかし黙っていました。 師匠が、「お前なら、抱きついたんじゃないか。」といわれた時には心中見透かかされた思い…。 大宗匠の話術にはみな惹きこまれ笑い声が起きるのです。 さてこの話の続きは後日にさせていただきます。 明日から私は鎌倉へでかけますので。 三日の夜帰宅する予定です。
by tsubakiwabisuke
| 2006-12-01 18:10
| 茶の道
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