2009年 01月 21日
なんと半年ぶりにエキサイトブログを書きこむことになりました。 あまりにも迷惑投稿が多いため、いつしか足が遠のいていたのです。 別館夏目漱石のサイトも久々に手を入れました。トップに重要なお知らせのページを入れました。 それから過去の漱石先生とゆかりある方々の話題を「集めました」というテーマでアップしましたので、 コンタクトのメールのページと併せて都合3ページを新たに加え更新したことになります。 http://wabisuke.la.coocan.jp/ 新年の画像はなにもございません。今日庵の初釜に参上したことも胸にそっと仕舞ったまま。 そうそうスィーツという言葉が流行っているようで、そのおかしで出来た飾りを 昨年12月の東京・大丸で偶然みつけ、カメラに収めてまいりました。 #
by tsubakiwabisuke
| 2009-01-21 01:50
| 夏目漱石
2008年 06月 20日
2008年 05月 05日
広間での茶箱点前は、野点形式になります。 瓶掛けはこの場合、火鉢を使用しています。 漱石の随筆に『火鉢』という小品があるのをご存知の方もいらっしゃいましょう。 http://wabisuke.la.coocan.jp/soseki.hibati.html 漱石が書いた『火鉢』は永日小品という作品の中の随筆なのですが、私がその一篇だけ抜粋してページを作成しました。是非クリックしてこの『火鉢』を味わって頂きますよう! 当日の茶席のしつらい、点前座の道具組に、なぜ瓶懸けでなく火鉢を使用したかがお分かりになると思います。 京都漱石の會第一回例会は、日本家屋の会場で行いました。 漱石が西川一草亭に与えた直筆の掛け軸が約束の時間に未だ到来せず。床には一草亭好みの尺八花入。黒田正玄の作で銘は若葉と彫られています。 けまん草は別名鯛つり草ともいいますが、掛け物に変わりてもの申す、、、。1時間あとに待ち人来る。一草亭のお孫さんが軸をかかえて。けれど漱石の書の写真は撮れませんでした。 ほんとうは、「我輩」という茶杓が欲しかったのですが、手持ちがございません。 本物のわが猫はもう姿もう見えなくなりましたしそれでやむなく、だれかの名前のものを出したというわけです。拝領した品をやむなくというのはまことに失礼ですけれども。 お点前は、オレゴンから来られたまるめさんに、半東はハレのははさんでしたか? 私はお茶のほうは皆さまにおまかせで、他の雑事をねじり鉢巻でしておりました。 50名の皆さまにお茶も飲んでいただき、ほっとしたことです。 和敬点ての点前の順序は、のちほどハレのははさんが書いてくださるでしょう! ◇ ハレのはは 述 和敬点は、もともと淡々斎さまが戦中に海軍のために考案なさったというだけあって、質実剛健、無駄のないとても合理的なお茶箱のお点前のように思えます。 (成り立ちの詳しいことは以前わびすけさまがお教えくださっておられますね) お道具類が袋に入っていることもなく、お茶を出すのに古帛紗を使うこともなくいっぺんに2つのお茶碗を運び出せ、おまけに拝見もありません。 一碗と二碗、どちらのお茶碗でおしまいをするかで、少し手順が違うところがありますが、大まかな手順は「卯の花点」とおなじです。 (一碗目でおしまいをするときは、お茶碗を拭き、茶筅茶巾を筒に納めてから、二碗めは拭きません。二碗目でおしまいするときは、後で返ってくる一碗目を拭くまでは茶箱に戻せませんね。一碗目は濡れたままにできませんから。二碗とも拭きます。) 茶箱の中手前には、二つ重ねた茶碗、その中に古帛紗を敷いて棗を入れます。 向こう側に茶筅筒、茶巾筒、振出を入れ、茶杓を茶碗に伏せ、その上に帛紗を捌いて箱の蓋をし、蓋の上に薄板を載せて持ち出します。 建水も持ち出し、勝手付に箱をよせ、膝前に薄板、瓶掛右がわに横にした蓋、帛紗を捌いて蓋を清めたら、茶杓を蓋の右寄りに出し、振出しを客付に出します。 ここで「総礼」。(正客は振り出しを取りに行きます) この後、重ねたままの茶碗を薄板の上に、棗を蓋の上に出し、古帛紗を薄板と箱の間に置いたら、その上に重ねたままの茶碗を置きなおし、上の茶碗だけを薄板の上に出し、茶箱、建水と奥に進めます。 後は棗、茶筅と清めていき、茶筅を茶碗に入れてお湯を入れてから、茶筅通しの前に茶巾をたたみ直して、蓋の上右上に置きます。この辺からは他の茶箱点前と変わりませんね。 書いてみるとずいぶん手数があるので、席中では、点前座にすべて広げておいて、お棗を清める所から始めました。振り出しで、お客様にお菓子を召し上がっていただきたかったのですが、順に並んで座っておられなかったこともあり、雰囲気だけ感じ取ってもらうことに。 一見簡単なかわりに一寸愛想がないかも・・と思われるお点前が、今回のお席では珍しい瓢型の茶箱のお道具達で、とても優雅に変身。グリーンのビードロの振り出しも素敵でした。 けれど、如何せん多くのお客様にいっぺんにお茶を差し上げなければならず、ゆっくりお点前やお道具を楽しんでいただけたかどうか・・はなはだ心もとなく、半東どころか、お運びすら怪しげに勤めさせていただいておりました。 ◇ お道具もお手伝いも皆さまのおかげでございます。これもお茶のご縁。。。ありがたく心から感謝申し上げます。わびすけ #
by tsubakiwabisuke
| 2008-05-05 22:13
| 京都
2008年 04月 30日
木屋町御池東に建つ漱石句碑の前で、京都漱石の會主催になる漱石供養の式典が去る4月12日午前10時過ぎより行われました。漱石が朝日新聞社に入社して第一作の小説となった『虞美人草』に登場する天龍寺。その天龍寺派大本山の新管長となられた佐々木容道老師が道師として漱石追善の法要を執り行われたのは、この上なくありがたいことでありました。その香語と回向文は大切に保存しております。 上の写真は、句碑の裏面にあたるところです。2月9日とはどういうわけかと申しますと漱石の誕生日が新暦の2月9日だからです。旧暦では1月5日になるのですが。 夏目漱石は1867年2月9日に出生しました。したがって漱石生誕から100年目の記念となれば、1967年2月9日であることは明白です。建立するに当たって、記念日に間に合うように前年の11月9日にしたのも、漱石忌である12月9日の前に立てておきたいという当事者のお考えがあったようです。建立時にはわずか3人のみ立ち会われたと記録されています。 当時のもようは、京都新聞が記事にされていました。昭和41年11月9日京都新聞夕刊だったと思いますが、そのコピーを京都漱石の會第一回例会に参加された皆様へ会報に添えて配布いたしました。 そこで、昭和42年2月9日の生誕百年記念日に除幕式をされるべきところ、寒中であることを勘案され春4月9日に晴れて除幕式を挙行されました。 漱石句碑の裏面には、次の文言がしるされています。 「漱石生誕百年記念 昭和四十二年二月九日 漱石会」 漱石会の最後の会の一字は土の中に隠れて見えませんが、この字は当時の『漱石会」が書家の森田子龍氏に依頼して揮毫されたものです。 私が京都漱石の會をたちあげたのは昭和四十二年(1967)除幕式から数えて40年目の昨年10月のことでした。したがってことしは41年目になる次第です。 漱石が望んだ「閑適」のこころを私どもも学び、身につけてゆきたいものと思います。 すみれほどな 小さき人に 生まれたし 漱石 http://mytown.asahi.com/kyoto/news.php?k_id=27000140804150002 漱石に関心ある方々に こうした有名人もいらっしゃいます。 懇親会参加者は、すべて年齢不詳、性別明確、頭脳春日のごとく、意味不明、、失礼。 春の川、、、 漱石が詠んだ鴨川は道路が高くてみえませんが、かなたに東山連峰がみえました。めでたし、、、ああ、私のあたまもめでたし、、、の状態でございます。 ◇ 参考 京都の風流を愛した漱石 祇園の多佳女の看病に癒された日々 2007/06/19 #
by tsubakiwabisuke
| 2008-04-30 23:08
| 夏目漱石
2008年 04月 29日
お知らせ NHKでアンコールの放映がございますので、お時間のある方はどうぞご覧くださいませ。 知るを楽しむアンコール 私のこだわり人物伝 夏目漱石 悩む力 語り手・姜 尚中 バックナンバーページで内容を確認する 4月28日(月)午後10:25~10:50(教育テレビ) 〈再〉5月5日(月)午前5:05~5:30(教育テレビ) 第1回 現代を見抜いていた人 4月29日(火)午後10:25~10:50(教育テレビ) 〈再〉5月6日(火)午前5:05~5:30(教育テレビ) 第2回 東京の女(ひと)―『三四郎』より 4月30日(水)午後10:25~10:50(教育テレビ) 〈再〉5月7日(水)午前5:05~5:30(教育テレビ) 第3回 愛でもなく、金でもなく―『それから』より 5月1日(木)午後10:25~10:50(教育テレビ) 〈再〉5月8日(木)午前5:05~5:30(教育テレビ) 第4回 あなたは真面目ですか?―『心』より #
by tsubakiwabisuke
| 2008-04-29 13:22
| 夏目漱石
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