2007年 05月 19日

裏千家・桐蔭会5月 葵まつりの趣向

2007年(平成19年)5月18日 桐蔭会5月例会 担当 大橋宗乃様

e0006293_1848108.jpg


桐蔭席広間 点心席


e0006293_18485714.jpg


風炉先


e0006293_18504319.jpg


硯箱


e0006293_18515579.jpg


熊谷草  花入 箙(えびら)


e0006293_18524577.jpg


土佐絵

        

席主 自筆の会記。


e0006293_1857955.jpg


大宗匠が突然お出ましに。


e0006293_18574618.jpg


大宗匠は、客へご挨拶を返されます。ブルーのおきものは席主の大橋宗乃さん。





本席を終えた一同、広間の点心席へ移動して食事中のことでございました。うれしいハプニングに皆さま顔が紅潮したようでした。

ちなみに本席のご正客は戸田勝久氏(業躰先生)。のんこうの黒茶碗でいただかれました。私にはとんぼの絵が描かれた小ぶりの天目型茶碗。仁清の作でした。勝虫ってとんぼのことなんですね。もう初夏なんです。

掛け物は後西天皇のお歌。重美の由。お歌は次のように読めました。

うすく濃く垣根ににふほふなでしこの花の色にぞ露もおきける

ご震翰に合わせて時代蒔絵の香合も菊の文様。菓子器も六閑斎好、菊置上、長入造。

菊と葵と、今回の取り合わせは正式には加茂祭り。葵祭りといいならわされていますがこの祭りの由緒がすべての道具組にみられます。待ち合と点心席の床は、土佐派の加茂神社の絵。この表具の一文字が珍しい葵の紋。


そしてお家元が宗乃さんに贈られた茶杓が、「赤心(せきしん)」。
赤心、赤き心とは偽りのない無垢な心、まごころをいうと辞書にはあります。
生涯茶のこころをもって生きることを願い、大橋茶寮「主貧庵」を守り運営されてきた方へ、お家元からのねぎらいの贈り物なのだと思います。


よくぞ京都の祭りをこれほどまでに、名品をもって表現されたものです。大橋さんは東京のお方、名誉師範を昨年の利休忌に拝受されたこの道の功労者でいらっしゃいます。

その方がおっしゃる言葉に頭がさがりました。

「こちらは田舎者でございますので、、、、。」

は?、江戸は田舎なのございますか???
どうも昔、或る京都の人がいったという言葉が伝えられ、いまだに尾をひいているのではないかと…。

「ま、東京はできてから100年あまりでっっしゃろ。こちらは2000年、、、。」

と言ったとか言わなかったとか。困りますなあ。京都人はそんなに思い上がっていないと思いますけれども。

今日のおもてなしを心から感謝申し上げます。




拙サイト 2005年3月 いのちをかけた茶人 守貧庵のあるじ 大橋宗乃さん







# by tsubakiWABISUKE | 2007-05-19 19:00 | 茶の道
2007年 05月 15日

台湾の漱石ファン

内田道雄氏(学芸大学名誉教授)をマックレイン陽子さんにご紹介させていただいたのは、陽子さんのお父上である松岡譲氏と内田さんのお父上様が長岡でご懇意でいらしたということもございました。

先月の末に、漱石ゆかりの東大構内、三四郎池や地下の学生用の食堂メトロにもご案内いただき、3人で親しくお話したなかに、台湾の大学で講演をされたということをお聴きいたしました。

漱石ファンがかの地で健在であるということにほっとして懐かしい気持ちになったものです。近隣諸国の反日キャンペーンをマスメデアが報じて心を痛めていたのでした。

最近、このような明るいニュースもございました。

http://megalodon.jp/?url=http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20070508ij21.htm&date=20070509131753


第1回後藤新平賞に李登輝前台湾総統
 日本の近代化に尽くした政治家後藤新平(1857~1929年)にちなみ、国家や地域の発展に寄与した人に贈られる「第1回後藤新平賞」に、前台湾総統の李登輝氏(84)が決まり、8日、発表された。


 李氏は1923年生まれ。旧台湾総督府の民政局長を務めた後藤とかかわりの深い台湾で、台北市長や台湾総統として近代化に貢献した点が評価された。授賞式は6月1日午前10時、東京・六本木の国際文化会館岩崎小弥太記念ホールで行われる。同賞は、満鉄総裁、外相、東京市長などを歴任、スケールの大きな政策を構想した後藤の生誕150周年を記念して「後藤新平の会」が創設した。

(2007年5月8日22時51分 読売新聞)


近隣諸国との友好をねがう意味でも、かの地で漱石の研究も健在であることを素直に喜びました。以前、このブログで私は後藤新平について触れておりますので、ひとしお感銘を覚えたのです。


内田氏に是非、台湾でのご講演の概要なりとお知らせいただきたいと申しましたら、ご丁寧なワードを送ってくださいました。講演の内容は、春樹の小説を100冊読んで書いたとおっしゃっておりました。

皆さま、どうぞお楽しみになっていただきますよう!




『ノルウェイの森』談義――村上春樹と夏目漱石――      内田道雄
2007.3.31於高雄空中大学

1.前置き(個人的な・・・・)「蛍」のこと 
               全共闘世代・新人類世代・オウム世代 
小浜逸郎「オウムと全共闘」 
               アイルランドに居る喩智官さん!

2.「手記」という「枠組」  終末から冒頭までの「空白」
               
3.ストオリイとプロット   空間(郷里から東京へ)・時間(個人と時代)
               『三四郎』との対応
               セラピー小説か、Bildungs-romanか
               歴史的事実との対応

4.おいキズキ、ここはひどい世界だよ、と僕は思った。こういう奴らがきちんと大学の単位をとって社会に出て、せっせと下劣な社会を作るんだ。(第四章)

5.直子と緑         「緑の父親」のエピソード(第七章)

6.ハツミさんで始まる物語 「反実仮想」の物語
それは充たされることのなかった、そしてこれからも永遠に充たされることのないであろう少年期の憧憬のようなものであったのだ。僕はそのような焼けつかんばかりの無垢な憧れをずっと昔、どこかに置き忘れてきてしまって、そんなものがかつて自分の中に存在したことすら長いあいだ思いださずにいたのだ。ハツミさんが揺り動かしたのは僕の中に長いあいだ眠っていた〈僕自身の一部〉であったのだ。(第八章)

7.村上春樹と夏目漱石   『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』
ぼくが『ねじまき鳥クロニクル』を書くときにふとイメージがあったのは、やはり漱石の『門』の夫婦ですね。ぼくが書いたのとはまったく違うタイプの夫婦ですが、イメージとしては頭の隅にあった。

8.世界における「村上春樹現象」とは?

9.「ノルウェイの森」Norwegian Wood(This bird has flown.)
「3.ストオリイとプロット」の1節

神戸という郷里からの上京と、学生寮での共同生活という選択は漱石の『三四郎』と同様に「自己形成」を目指す、また目指さざるを得ない青年の普遍的なありようでもあります。『三四郎』が備えたBildungs-romanの構造をこの作品も示しているのは確かです。漱石がこの作品連載の直前に発表した「予告」にあるように、色々な人との出会いの中で主人公は変化し屈折し成長を遂げるのであります。Bildungs-romanの語の代表的な訳語は「教養小説」ですが、それよりもふさわしい訳語はここでも「自己形成小説」でしょう。そして両作品に共通の浮動的な結び(いずれもが、自問自答で終わる。)について言うと、「遍歴小説」という呼び名が最も相応しいかも知れません。「遍歴」と言えば2作とも「女性遍歴」がメインのプロットです。本作の神戸の女性~直子~緑~ハツミさん~レイコさんとの交渉は(後述の「ハツミさん」を除き)セックスの関係で結ばれていますが、漱石の主人公の場合はその要素は殆ど表に出ておらず手が触れ合うくらいです(*4)。しかし九州の「お光さん」~美禰子~よし子、と役割が書き分けられているのは興味深い対照です。直子の病的な内閉性と美禰子の謎めいた挙措(露悪と偽善の二面性)、これに対して緑の天真爛漫ながら現実的智慧に裏打ちされた堅実さとよし子の母性的な雰囲気、それぞれのレベルでの対応関係が主人公の世界の必須の構成要素とされています。

『三四郎』が、日露戦争後の世情不安をバックに据えて車中の女や轢死する女を点描している点は村上春樹の作品の方で「大学紛争」を設定として持つこととの対応が直ぐに発見できるのですが、『三四郎』はさて置いて、本作の場合歴史的事実としての「大学紛争」が、それに関わる個々のモティヴェーションの差異によって、多様な後遺症を齎していることを見ておかなければなりませんね。

「7.村上春樹と夏目漱石」の1節

各所に漱石への言及は見られますが、『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』には、漱石読みの河合氏の示唆もあって数多くの発言が見られます。『スプートニクの恋人』には、「夢十夜」の第一夜のイメージの活用(「ミュウの真っ黒な瞳の奥に映っている自分自身の鮮やかな姿を、すみれは目にすることができた。」3)があるその直後の章(4)に「なんだか『三四郎』の冒頭の話みたいだな・・・」という「目くばせ」めいた記述があったりする。「ノルウェイの森」に関しては、その原型をなす「蛍」と「こころ」の対比を試みた渥美秀夫の画期的な論(1992.12『愛媛国文研究』)を嚆矢として、同じく平野芳信の「話型論」からする「最初の夫の死ぬ物語」があり、更に「三四郎」を中心に漱石の時間意識との対応関係を論じた半田淳子の逸論が存在する。『翻訳文学ブックカフェ』で新元良一のインタヴューに答えて、

夏目漱石なんかは好きなんですよ。でも戦後文学みたいなのはだめ。(中略)いわゆる文芸日本語がよめないから。

もっとも大江健三郎の「死とセックス」を初期は回避してきたが、本作では活用してきた、というあたりおのずからシタタカな作家的本性を露呈している。この本で面白いのは、レイモンド・カーバー、フィッツジェラルド、チャンドラー等翻訳の対象作家を論じる中で「ドストエフスキイのカラマアゾフの兄弟はぼくの北極星」と述べている部分である。カラキョウなど言う現代風の略語を親密感込めて使う作者である。村上訳ドストエフスキイ出現の可能性が期待できるのです!





拙ブログ

中国と日本、孫文が日本へ期待したこと そしてイギリス







# by tsubakiwabisuke | 2007-05-15 18:27 | 夏目漱石
2007年 05月 11日

伊勢神宮献茶式 神主さんの祝詞(のりと)を聞く

e0006293_16184136.jpg尾長鶏

神殿の静寂のなかで繰り広げられる献茶式。

神主さんの祝詞(のりと)は、関心のあるところだけ、はっきりと聞き取れました。

京に誉れ高き 裏千家 千 宗室第16世家元、。千 玄室大宗匠。 
淡交会三重支部。愛知第一支部、、、、。

かしこみかしこみもうさく、、、。


檜造りの神殿の前に、榊の大きい木が左右に二本。中央に丸三宝が数個置かれ、お米と塩、海の幸、山の幸、でしょうか。それぞれお供えされているように拝しました。

最前列に、別の台が置かれ、二つの丸三宝。ここに坐忘斎家元による献茶の濃茶、薄茶二碗が点てられて、しずしずと運ばれ、置かれるのでした。

最初から最後まで、前列2列目に坐っていた私はつぶさに拝見させていただきました。
お家元の心こもる点前は流れるように、清浄な時間に溶け込んでいました。それをじっと見守られいる奥様のおすがたも印象的でございました。


伊勢神宮の外宮・内宮での風景写真はいずれ後刻、アップする予定ですが、友人とともに私は今日庵席に参りました。画像はココログのほうへどうぞ。


e0006293_20563388.jpg


大広間の床には、又玄斎一燈(ゆうげんさいいっとう)の一行。
山呼万歳声

伊勢神宮の5月のさわやかな山並み、遷宮のための御木曳の行事にあたり、歓喜の声がひびき渡るこの時を、茶席はしっとりとした道具組で親しみやすく表現されておりました。

花入 玄々斎 竹一重切 銘 やなくい。
  
胡くい(やなくい)
箱型の矢を納める武具。長さ60センチほどのもので、矢を4本入れて背に入れて背負う。実戦と違って、矢尻を上にして納めている。これは平和を表しているからだというようです。

花 姫大山蓮 ふくらんだ純白の蕾一輪、清楚でした。


点前はSはせ業躰。 半東、I藤業躰。

若手のこれから益々伸びてゆかれる方々ですね。
お家元のご名代としてここに出ておられる訳ですから、大変なお役と思います

うるさい客がいると思われるでしょうが、学校でも生徒との双方向性というわれる時代に入っているのですね。
家元席はなんといっても特別な席です。遠隔地から伊勢へ参るのを楽しみにしている者の学びの気持ちを少し申し上げてみました。

ともかく、和気あいあいとしたおもてなし、有難うございました。





一昨年アップしたお伊勢参りはこちらです。

伊勢神宮 おかげ通り

伊勢まいり 五十鈴川




近鉄特急に乗って帰る車中で、組織の内情について聞くことがありました。友人は選挙で選ばれた幹事長であったことから情報公開を志し実践したようでした。組織の難しさを聞かされた思いです。

お家元の誠実なお心を汲み、同門の人々の指導者として恥じない会計管理をしてほしいと願うばかりでございます。




関連ページ  2006年 11月 26日 今の世で評価されなくなった 陰徳(いんとく)






# by tsubakiwabisuke | 2007-05-11 12:51 | 茶の道
2007年 05月 09日

動画 三四郎池を歩きました

ちいさな動画 東大・三四郎池

先ほど、ココログのほうへアップいたしました。
よろしければ、そちらへご移動いただけますか。

ケータイを使いはじめたのは最近のこと。
慣れないことをするとこんな貧相な動画になるという見本でございます。


ちいさな動画 三四郎池を歩きました


エキサイトではうまくアップできません。








# by tsubakiwabisuke | 2007-05-09 19:44 | 夏目漱石
2007年 05月 01日

漱石の遺徳 心のまじわりを頂いて

松岡陽子マックレインさんが、ことしもオレゴンより里帰りなさいました。
e0006293_22315762.jpg


ごいっしょに私も、会員制の宿舎に宿泊して、行動のお伴をさせて頂きました。ますますお元気になられる不思議なお方でございます。さて、上の写真がどこかお分かりではございませんか?
はい。赤門をくぐったところ、向こうに見えるのは時計台。安田講堂、、、、。


また違う場所へまいりました。新宿の漱石公園です。数人のエライお役人さんに導かれ、漱石山房リニューアルの現地を、マックレインさんにご覧いただく一日でした。漱石山房のあった屋敷で、陽子さんは大正13年に生まれた赤ん坊なのですから。


クリーム色のスーツを召した若いきれいな女性が、新宿区の中山弘子区長さんでいらっしゃいます。
写真はココログにアップしております。


それから下の写真は根津神社のツツジを見物がてら散歩しているところです。漱石研究家の内田道雄氏と、陽子さんと、少年少女のごとく、、、。

e0006293_039791.jpg



私はここで、北鎌倉へ参りました。鎌倉・漱石の会へ出席のために。円覚寺内帰源院でのスナップです。

e0006293_0394036.jpg




講師は、午前の部 立原 幹氏。 午後の部 芳賀 徹氏。上の写真は講演前の芳賀先生です。

e0006293_0403926.jpg



上の写真は講演中。演題 「夏目漱石の美しい小島ー永日小品ー数編の読解の試み」

25編からなる短編集「永日小品」を、「漱石の美しい小島」とも、「漱石の実験工房」とも呼ぶのは、漱石が二十世紀小説の可能性を多方面に試みて、各篇に極上の面白さをつくりあげているからだと、賀芳氏は説かれます。みずから朗読される音律の妙、、、。一同聞きほれてしまいました。

その内容が日本の「きれいさび」を連想するものであり、私にはことに心に沁みる講演でございました。

e0006293_22454724.jpg



中公新書1656 『詩歌の森へ』日本詩へのいざない

著者のご本に署名してくださったのは、2003年春。内扉に、俳句をお書きくださっています。その日は鎌倉漱石の会があり、講師をおつとめになっておりました。

2003年4月29日

万緑の中に漱石居士笑まふ    芳賀 徹


今回あらたに、右のページにご署名をいただきました。

2007年4月29日

緋牡丹の崩れんとして再会す   芳賀 徹




詩歌をわがものにした日本の男性の、すばらしさを思わずにはいられませんでした。







# by tsubakiwabisuke | 2007-05-01 00:31 | 夏目漱石
2007年 04月 23日

わが茶道のコミニュテイ メンバー数7000人を越える

ミクシイで私が管理させていただいているコミュニテイが、先ほどみましたら、メンバー数7,011人になっていました。

             

裏千家茶道に学ぶ人々と、伝統文化・茶道に関心を寄せる人々が入会しています。



トップページの一部をご披露いたしましょうか。

http://c.mixi.jp/urasenke

2004年12月28日 (運営期間 846 日)

カテゴリ 趣味  


茶道は芸術と精神修養という日本文化の一つです。

千利休(1522~1591)はお茶の理念を和敬清寂の四文字にあらわしましたが、これは全ての人において平和への理想でもあります。
抹茶を立て、飲む一連の形式化された動作は一般に『ティーセレモニー』と訳されておりますが、日本の歴史・文化的発展の基礎となる思索・芸術の形態を生み出したことを鑑みると、茶道は『the way of Tea』が適切でしょう。

現代のスピードの中で忘れられがちな人を敬う和みの世界と不動の心を育む一助となり、強いては茶室から広い世界の和を願います。

参考文献淡交社刊『茶の湯 六ヶ国語会話』序文





前の管理人はドイツ在住の日本人女性フジヤさんでした。このブログでも書いておりますのでご存じの方もありでしょう。私たちはお互いに理解し合い、共感をもつにいたりました。

昨年春ころでしたか。私は或る要請を受けたのです。その間のことを、今日トピに書き込みました。


________________________

みなさま

今日は2007年4月23日(火曜日)です。
裏千家コミュニテイのトップページを見ましたら、メンバー数7、011人になっておりました。

前管理人フジヤ様との個人的な交流があった上で、フジヤ様からたってのご依頼を受けました。それは昨年春ころだったかと思います。

諸事情から管理人を辞退したいと思っている。ついては管理を譲りたいので、どうかご一考いただきたいという内容でした。

私はそれは無理です、多くの会員が支持されている方なのでそのことをよくお考えになるように、とお返事いたしました。
その後日数が経ち、再度の要請を受けたのでした。個人的な事情がおありで苦しいお立場が伝わってきました。

昨年の8月ではなかったでしょうか。管理人を譲るというミクシイからのメッセージが承認か拒否かを求めてきました。この時点で私は承認をクリックいたしました。

前管理人様が引継ぎの挨拶をトピにされたのは、大分後の9月に入ってからでした。
当時のメンバー数は印刷して残しておりますが、4、500人前後と思って頂ければけっこうです。

フジヤ様は削除ということで悩んでおられたこともございました。放任していた為トピが乱立しコミュとして困った状態だと仰っていたのでアドバイスさせて頂いたのを覚えております。

至りませぬ私が管理を引き継ぎましてから、はや8ヶ月が経過したことになりましょうか。その間、おかげさまで会員数は増加の一途を遂げ、約2500人近い方々が入会されました。

これはひとえに裏千家茶道あってのこと、ご宗家と皆さまのおかげと心より感謝いたしております。
ミクシイの編集局のシステム改変により、副管理人制度ができ、当コミュではルソン様にお願いしております。

ご専門である某公的機関の職場に従事される方ですが、多忙ななかに管理人を助けてコミュの運営に努力してくださっております。

どうぞ、皆さま
裏千家と、日本文化である茶道のもとに集う、学びと憩いのひとときをご一緒に過ごしてまりたいものですね、
どうぞよろしくお願い申し上げます。


不肖現管理人 わびすけより







# by tsubakiwabisuke | 2007-04-23 13:12 | ニュース
2007年 04月 18日

漱石の書 「一草亭之人」 西川一草亭旧居を訪ねて

夏目漱石の書 「一草亭中人」

e0006293_1824151.jpg


3月19日、京都市内 浄土寺の去風洞に、私は白檀のお線香一箱を手にして訪問いたしました。翌20日は西川一草亭の祥月命日なのでした。

去風洞は華道の家元で、現九代家元の西川一橙氏と奥様の丁重なお迎えをいただきました。
ご夫妻は私のためにこの漱石の掛け軸を広間の床に掛けてくださっておりました。

もとは扁額であったようですが、おじい様にあたる一草亭が掛け物にされたようです。
じつに高潔な気韻がただよっています。私は感動してみつめておりました。

会話のなかで、漱石のお孫さんであるマックレイン松岡陽子さんに触れました。
お父上の松岡譲氏と一草亭の間には深い交友があったからです。
それらは一草亭が刊行していた雑誌『瓶史』(へいし)の執筆において知ることができます。

写真はマックレン陽子さんが昨年アメリカ大使館で行われた講演会のスナップです。
私は特別に許可をいただいて、証明書を首にぶらさげ(皆おなじ)、参加しています。

e0006293_18283629.jpg


e0006293_18322377.jpg

お隣は陽子先生の教え子である米人女性。アメリカ大使館の重要なお仕事をなさっているステキな方です。




西川一草亭は、 『風流生活』1932の中で次のように述べています。

「我々は実生活の他に芸術を求め、 趣味を求め、 芝居を見たり、 音楽をきいたり、 書を味わったりしているが、 毎日の生活をその侭芸術として味わひ楽しむことが出来たら、 どれほど人間は幸福だろう。 茶碗土瓶が芸術であり、 椅子卓子が芸術であり、 机硯が芸術であって、 行住座臥、 随時随所それぞれ鑑賞して楽しむことができたら、 それほど便利なことはない」

かれは、花の作品よりも暮らしを芸術にという思想でその時代を啓蒙したといえましょう。

本業の挿花の指導のほか、書画、庭園の設計・管理、住宅、茶室の設計を行いました。
門下には  京都帝大教授の 藤井厚二、壽子夫妻、浅井忠、高安月郊、都鳥英喜、幸田露伴など。
交流があった建築家は、 武田五一、藤井厚二、堀口捨巳、谷口吉郎、吉田鉄郎、天沼俊一、岡田孝男、本野精吾、大林夫妻など。


『 瓶史』は、 挿花、茶道、庭園、建築など日本の伝統文化研究が編集・掲載されました。





文化サロン

志賀直哉、幸田露伴、室生犀星、和辻哲郎、谷川徹三、小宮豊隆、松岡譲、阿倍能成、長谷川如是閑、板垣鷹穂、正木直彦、川喜田半泥子、北大路魯山人らが集う大サロンであったのです。

ひとえに西川一草亭の高い見識と人柄が当時の知識人を魅了したものと思われます。実弟津田青楓の縁で、夏目漱石門下の小宮豊隆、松岡譲、阿倍能成、が名を連ねていることも注目されるところです。


ここでは画像がアップされないものがございますので、よろしかったらココログのほうをご覧くださいませ。




2006年4月末UP
 
スライドショーマックレイン陽子さんと皇居庭園を歩きました








# by tsubakiwabisuke | 2007-04-18 23:13 | 夏目漱石
2007年 04月 15日

ご宗家でもったいないお稽古 稀有なこと

今日の稽古は、年に一度あるかないかの稀有なものでした。
裏千家ご宗家には午前8時半に着いたのですが、出席者は2名のみ。

淡交会の地区大会が近県で開催され、皆そちらへ行ったようでした。組織の一員であれば参加するほうが真っ当でしょう。でも稽古のために指導者が来られ、水屋の用意もできていたのですからこの好機を有難くお受けいたしました。

指導は86歳になられる寺西名誉教授。先々代の淡々斎宗匠に心酔されその教えを受け継がれたお方です。時代の潮流には離れたところにいらっしゃいますが、確たる信念に基づいたご指導は貴重です。孤高の風格といえばいいでしょうか。



参照 裏千家ホームページ 今日庵 茶室・茶庭

稽古場は、由緒正しい名席・抛筌斎(ほうせんさい)です。

最初に、初炭。透木(すきぎ)釜のあつかい。

香合は稽古場に新しくおりたお道具で、黄交趾の型物香合、笠牛を使わせていただきました。
「家元が出してこられたんや。即全だ。」

一面の菜の花畑のなかに寝そべって、黄色に染まった牛のようにも見えました。やさしい目をしています。

拝見のとき、香銘を当てずっぽうに申しますとそれが正解だったようです。
「坐忘斎家元のお好みで紫宝(しほう)。 薫玉堂(くんぎょくどう)でございます。」

本願寺の前にあるお香屋さんで、どちらかといいますと仏事用のような香りです。修行の香りと言い換えてもいいかもしれません。


とかく順序を忘れている私を丁寧にわかりやすく指示を与えてくださいます。

炭点前が終わり、次は東京から来られた若手の会員さんの番です。



唐物の点前がはじまりました。

縁高にはきんとんのお菓子。
虎屋の遠桜(とおざくら)。紅白のそぼろが遠く野山のさくらを思わせるきんとん。

濃茶は私ひとり一碗を頂戴しました。練りかげんもけっこうでした。
茶銘は、雲門の昔。詰めは一保堂。


唐物茶入れの蓋について、これまで聞いたことのないご意見を伺いました。

「瓶子(へいじ)蓋は、唐物の点前には向かない。掬い蓋のほうがよい。茶杓が乗り易い。」

「へいじ蓋は盆点のように盆の上に置く茶入れの場合に使用するもの。畳の上に置く茶入れの場合は唐物でも掬い蓋がふさわしい。」

寺西先生のお話は続きました。
「唐物茶入は替え蓋がついているものがあるのは、こうした場合に使う。」


こうしたご意見は古くから伝承されたものと思われます。ただ、現在の稽古では主流となっていないようですね。でも、それはそれとして傾聴すべき貴重なお話だと私は思いました。



行の茶杓について。

竹の止め節を入念に見ると、どのようになっているかわかるでしょうか?
節には二つの山があります。その中を割って切るのが止め節の茶杓だ、とお聞きいたしました。

稽古用のものは節がそのまま残っているものでした。これは切り方が間違っていると仰っておりました。

先生は、玄々斎と淡々斎の「止め節の茶杓」を二つ所蔵されているという実績がおありなのです。淡々斎の箱書きには、「草の真削り」と書かれているというお話でした。以前、わざわざ私たちに見せていただいた記憶がございます。

行の茶杓はこんなものだと思い込んでいるのが普通です。
でも、唐物の点前を通して、道具がどのようにして使われるようになったかを考えてみることも、大事ではないかと思いました。

混乱するから点前は一つの指導でよい、という見方もございましょう。
けれども、さまざまな指導を大きく包含するのが、裏千家茶道の特質だということではないでしょうか。



先生のお勧めでもう一点前、お稽古を見ていただきました。
台天目、ミス続出でしたがお茶を点てて、客になられた東京人Kさんに飲んでいただきました。

私は今日のご指導を、心からありがたく感謝して受け取りました。

今日庵最長老の寺西宗二業躰。先生のますますのご健康をお祈り申し上げます。


◇◇◇

拙サイト
2003年UP 今日庵名誉教授の方々






# by tsubakiwabisuke | 2007-04-15 02:43 | 茶の道
2007年 04月 10日

ご対面! 炉の流し点て(薄茶のみ)

今日はご宗家の槍の間でお稽古をさせていただきました。
指導は阿部業躰先生。

壁床に坐忘斎家元の横もの。「臥月眠雲」
掛け花入に利休梅。雪柳。

ここは淡々斎がいらした頃、時計の間と呼ばれていたそうです。当時古い時計が柱に掛かりそれを見物に来る人があったとか。時代とともにどの家々にも時計が普及し珍しくなくなって、その呼び名もなくなったのでしょう。

盆香合、茶碗荘(かざり)、と点前がありまして客はふたり。私は正客で濃茶をいただきました。
縁高(ふちだか)に「水かがみ」という銘のじょうよう饅頭。俵屋製。お茶は小山園。


「臥月眠雲」とは禅の言葉でしょうね。月に臥し、雲に眠る。ではそのこころは?

「野宿同然に月に照らされて臥し、夜霧に包まれて眠る」
それは、「乏しくきぴしい条件に耐えて修行にはげむ」こと。これは 芳賀幸四郎氏の解説なのですが、分かりやすいと思います。


阿部先生との会話。

「先生、このお軸ですが、お家元の眠という字のつくり。最近お書きになる花押(かおう)によく似てるような気がします。」と申しますと、「さあ、どうでしょうか。」と。

まあ、私の推測に過ぎないのですが、なにごとも出典というものがございますね。花押にもきっとあると思います。前のお花押は忍び達磨のような感じでしたが、この度のは打って変わってスマートです。

私は、眠の字に、利休さまの実子である眠翁道安(みんおうどうあん)を思い浮かべます。

閑話休題。

客が済むと、点前の順番でした。私は流し点てをお願いして客お二人。
小ぶりの瀬戸水指。休雪の萩茶碗。利休型中棗。茶杓は淡々斎の形のものを選びました。
建水に竹蓋置き。柄杓。干菓子は稚児ざくらにわらび。
水屋詰めの若手が準備してくださいました。

順序。

水指を炉の右、カン付中央にあわせるようにして置く。棗と茶碗をもって点前畳正面から居前に向きを変え、通常水指がある時と同じようにナナメに炉に流して置く。 建水をもち、炉正面に坐る。

ここが流し点ての居前とする。蓋置きは水指前に。柄杓は蓋置きにまっすぐに引く。釜に入れたら炉縁外隅ねらいで置く。
茶を入れ茶を点てる。二人の客に茶を呈し、客からお仕舞いの声がかからなかったのでもう一碗点てる。正客はお仕舞いをの挨拶をせず、主に茶をすすめるように計らう。 亭主相伴ということになり、正客は菓子器をもって水指横に置く。


主は正客の「どうぞご自服で」の挨拶に応えてから、水を一杓釜にさしておく。一呼吸。
主は客付(炉ぶち右外隅を膝中央に)に向く。菓子器を押し頂いて正客の配慮に感謝し、菓子は遠慮する。菓子器の向きを変えておく。この時は茶碗が定坐に出されている。


その茶碗をとって主は客付にて膝前に置き、茶をいただく。
この後、流し点ての場合は、主は客にまた茶をすすめ、客もそれを受けてゆったりとした時間をすごすことも可能。
拝見の声にて、両器を清め、棗を炉ぶちと水指の間、外炉ぶちと水指の間2等分した位置に置き、その下に茶杓を置く。


まとめ。

◆ 流し点ては炉で行う点前が古くから考案され、行われていた。

◆ 風炉の流し点ては炉・流し点てから円能斎があらたに考案されたもの。

◆ 点前はすべて風炉が基本で炉はのちに出来たものだが、例外はこの流し点てである。

◆ 亭主相伴は通常の場合、亭主が茶を飲むことで終了となるが、流し点てのみ、再度客にす  すめることができる。

◆ 主客が真正面から向き合うのは流し点てのみ。居前のあり方として親しみがある。

◆ これは基本が出来ている、いわば巧者の点前である。


以上、習ったことをメモしてみました。間違いを書いているかもしれません。
意のあるところを汲んでいただければ幸いです。


「このお点前は、主客が真正面から向き合う、気の合う人にはとてもいいお点前ですね。」

「うん、昔は、見合いにいいと言ってた。今は言いませんが…。」

「そうだったのですか。今ならテレビでいうみたいです。ご対面!って」


そうそう、お茶杓の問いに答えて私はこんな風に申しましたよ。

茶杓は、淡々斎の「ともどち」でございます。







# by tsubakiwabisuke | 2007-04-10 00:22 | 茶の道
2007年 04月 06日

岡倉天心著 千宗室序と跋 浅野晃訳 『茶の本』 のレビューを書く


e0006293_19525327.jpg


対訳・茶の本 (ペーパーバック)
岡倉 天心 (著),  浅野 晃 (翻訳),  千 宗室 (著)


『茶の本』は、1906年(明治39年)、ニューヨークの出版社から出版された岡倉天心の英文の著書であることを、ご存知の方は多いはずです。

天心の英文の著書には、「東洋の理想」「日本のめざめ」「茶の本」と三部あり、これらはいずれも外国の読者に向けて書かれたのでした。

ヨーロッパの各国で翻訳され高い評価を受け日本へ逆輸入された天心のエッセイですが、わけても人気が高い「茶の本」は何人もの訳者によって次々に和訳されました。

しかし、名訳として知られた角川文庫版の浅野晃訳が昭和45年に絶版となり、寂しく思っていましたところへ、講談社の英断によって再び世に出たことは喜びにたえません 。(1998年3月第1刷発行)


本書は、千宗室(鵬雲斎)家元の序文・跋文をもって、原文と浅野晃訳の対訳で構成されており、岡倉天心の警醒の心を現代に伝えるに、この上ない最高の書物だということができます。

家元の序文に、天心と裏千家第11代玄々斎の共通点を解かれているのも説得力があり注目されるところです。
旧海軍の特攻隊員でもあった家元は序文の最後に次のように結語されています。

◇◇◇

 この本の終章で、天心は千利休の死について素晴らしい一節を残している。千利休は茶の湯を大成した人物であり、私は彼の残した偉業を十五代家元として今自分が受け継いでいることを誇りに思っている。死は、と天心は言う。それを単に否定的な概念と考えるべきではない。「美しいものとともに生きたものだけが、美しく死ぬことができる。」と。利休の死から400年がたち、茶の湯の歴史を振り返り、さらに21世紀へと思いを馳せる今こそ、もう一度こ『茶の本』に目を向けたいものだ。

十五世 千 宗室

     京都にて  1989年10月  


作成日時 2007年04月06日 18:54


________________________________


これはミクシイのコミュにレビューとして書いたものです。
私の管理する茶道のコミュニテイは、参加メンバーが増加して現在、6、860人になっています。
新会員が自己紹介をしてくれますが、一様に、こんな書き込みしています。

「裏千家のお茶に魅力を感じています。」
「もっともっと、知識を得たいと思います。」
「これから一生懸命」精進するつもりです。」

初心とは、本当にいいものですね。
この本のレビューが少しでもお役に立てれば望外の喜びでございます。




拙サイトに掲載している旧作に、岡倉天心について書いたものがございます。

天心が送った『猫への手紙』


天心『茶の本』について  和訳と訳注について 






# by tsubakiwabisuke | 2007-04-06 20:11 |
2007年 04月 02日

花の下に逝かれた わが心の師 通夜に行きました

四月といえば桜。
東京ははや満開とか、各地の花便りがきかれます。

e0006293_10354060.jpg

この原稿を非公開で書きはじめめてから、思うところあって停止していました。藤枝駅の画像は先月末に、大叔父のお通夜に行ったときのスナップです。

主人と私にとって、心から深く尊敬するお方でしたから、本当は喪に服さなければならない日々なのです。日本全国、桜の花が咲きう、美しい国というキャッチフレーズが、花に限ってなら実感をもって肯けるのです。でも、私たちはそうした思いには遠く、3月末に京都を発ち大叔父の在所にまいりました。

藤枝駅といえば、東海道藤枝宿の宿場町でした。藤枝宿(ふじえだじゅく)とは、東海道五十三次のうち江戸から数えて二十二番目の宿場となっています。1601年:東海道の宿場町として藤枝宿が置かれます。最盛期には旅籠が37軒あり、商業地としても栄えたようです。

この土地はひなびた感じが今も残る土地柄ですが、当時の住民の考えがはっきりとしていました。住民は、明治に入り東海道本線が建設される際、蒸気機関車の煙や火の粉を心配して、線路の建設を拒んだといいます。そのため藤枝駅は町から3キロほども離れて設けられ発展できなかったという見方があります。

住民の声が届いた行政ということ。今では日本の夢物語のように思われますね。



私的には大叔父さまですが、本来の出家には血縁関係はない筈です。
私は老師さまとお呼びしておりました。

けれども、主人と私の結婚に際して結納の席にもわざわざ京都までお出ましいただきました。
ほんとうにご恩になったお方でした。

曹洞宗の禅堂の指導者として、真摯な佛弟子を打ち出されました。
永平寺の西堂にいったん就任されながら、自ら辞任なさいました。
一生涯独身、肉食をされず精進潔斎を貫かれました。
老師のそのお姿に、私はどれほど多くの教えをいただいたことでしょう!

かつて老師のご染筆を2枚裏千家ご宗家にお送りいたしましたところ、鵬雲斎大宗匠から私にお声がかかりました。

「あの書を表装させてもらいますが、ご老師に箱書きをおねがいできますか?」と。

それから、「いや、私が箱書きをすることにしますから。」とおっしゃいました。
そのことをなつかしく思い出すのです。もう5、6年前のことでした。

私は時々ふっと、あの一行物と横物の墨蹟をご宗家で一度拝見できたらなぁ、と心の中で思います。

今は黙ってご冥福をお祈りするばかりです。

e0006293_10355884.jpg


今年に入って、ご老師は遺偈(ゆいげ)をお書きになっていました。
四行のそのなかの一句は、 「九十五年」。

95歳の堂々たるご生涯でありました。

4月4日UP



大叔父 白山老師のこと。

http://tsubakiwabisuke.cocolog-nifty.com/rendezvous/2002/12/post_b120.html

# by tsubakiwabisuke | 2007-04-02 09:43 | ニュース
2007年 03月 29日

ようこそ 稽古場席 追加画像です

e0006293_1927362.jpg

e0006293_19301379.jpg


e0006293_19244777.jpg


e0006293_1931946.jpg


e0006293_19381387.jpg



ココログの日記には柳はみどりの画像がございます。ここではアップできませんでした。





おまけの画像。 帰途に立ち寄ったお店で客になりました。 おあいそなしで…ごめんやす。
e0006293_23224329.jpg
 






# by tsubakiwabisuke | 2007-03-29 19:41 | 茶の道
2007年 03月 29日

柳はみどり 裏千家利休忌の日に

e0006293_0344994.jpg

近藤悠三陶板

e0006293_0355064.jpg

花入 六閑斎(りっかんさい)在判 銘 春風 亀波蒔絵 箱不見斎 泰叟二重 
 
e0006293_0364024.jpg

花 花梨(カリン) 五色散り椿

e0006293_0374182.jpg


e0006293_0381397.jpg


e0006293_0384343.jpg


e0006293_041934.jpg







# by tsubakiwabisuke | 2007-03-29 00:41 | 茶の道
2007年 03月 27日

明日は 裏千家宗家の利休忌のご奉仕に

おそろしい程です。月日の経つ速さというのは…。

菜の花。
利休忌が済むまでは茶席に菜の花は活けない、といった約束事がありました。

利休居士が切腹された日、最後の茶室の床には菜の花が生けられたと伝えられるからです。

裏千家宗家三大忌の一つである、利休忌。3月28日に法要と追善茶会が執り行われます。

この日のことはこれまでも拙サイトにアップしておりますのでご存知の方もいらっしゃいましょう。またか、と思われる方もいらっしゃいましょう。

明日は水屋でお手伝いをさせていただきます。できれば写真を撮るかもしれません。同じ画像よりやはり新しい画像が見たいとお思いになるでしょうし。

とりあえず、旧年の利休忌の思い出をどうぞ。


target="_blank">偲ぶ 1999年 利休忌 かなしみのとき


2003年利休忌 宗家けいこ場席 半東(はんとう)の役


3月の行事

2001年 節分と宗家と茶会







# by tsubakiwabisuke | 2007-03-27 23:35 | 茶の道
2007年 03月 25日

パリ・オペラ座の「勧進帳」 市川團十郎・海老蔵親子

ハイビジョン特集「パリ・オペラ座の弁慶」
今夜午後七時からNHKBSで放映されましたね。ご覧になった方も多いことでしょう。

パリ・オペラ座で行われる史上初の歌舞伎公演。
市川團十郎・海老蔵親子が演じるのは歌舞伎十八番の「勧進帳」。

これは、3月23日の初日の模様だそうですが、いやぁ~、もう感激いたしました。

團十郎の弁慶。海老蔵の富樫。亀治郎の義経という配役。最初に役者の口上があり、なんとフランス語ではっきりとイチカワ、、、とテンポよく行われたのです。観客席は拍手喝采。


舞台の作りも本格的で、長唄の演奏がこれまた素晴らしく三味線・鼓の囃子方のかもし出す品格ある民族音楽。退屈させない劇的な流れ、まさに世界に誇れる歌劇としてこの「勧進帳」を見ました。

昔習ったことのあある長唄ですから、次にくることばも自ずと出てきますし、最高レベルの奏者たちです。やはり、伝統はそのままの形がベストだと思いました。西洋風にアレンジしていないのがよかったですね。

富樫は昔からとびきりの美男子の役です。海老蔵は適役でした。
昔みた時は、菊五郎の義経でした。今回はすこし華がなかったようにも(すみません。)

弁慶の主君を思う心を感じ取った富樫の表情。抑えたなかに男の美がありました。
勧進帳と見せかけた巻物を高らかに読み上げる場面は圧巻でしたが、富樫から振舞われた酒を豪快に飲み干し、感謝と喜びを表現する弁慶も素晴らしかったです。

團十郎は、日本文化を誇りを持って伝えたいと語っていました。テーマは日本人の「仁」「情」。

団十郎さんら初日終える パリ・オペラ座歌舞伎
朝日新聞



終了後にフランス人観客は理解できた!音楽がいい、衣装が素晴らしかった!と口々に喜びのコメントをしていました。



私は「不易流行」(ふえきりゅうこう)という言葉を考えていました。
よくいわれることばですが、生活の中に実感はなかなか湧かなかったのです。それが今日の歌舞伎を見てこれだ!と強く理解できたのです。


「不易流行」はどのようにしていわれてきたのでしょうか。それは次のようなことだったのです。

元禄2年(1689年) 芭蕉46歳のとき

12月 京都滞在中、去来に「不易流行」の理念を説いています。

「奥州行脚の前はままあり。この行脚の内に工夫し給ふと見えたり。行脚の内にも、あなむざんやな甲の下のきりぎりす、といふ句あり。後に、あなの二字を捨てらる。是のみにあらず、異体の句どもはぶき捨て給ふ多し。この年の冬、初めて不易流行の教を説き給へり(去来抄)」


「不易」というのは時の流れによっても変わらないということ、そして「流行」というのは時の流れとともに変化してゆくこと。一見相反するようですがこの両方がなければならないと説いているのではないでしょうか。

周囲の変化の中で本質的な『自分』を保ち続ける。自らが変化していく過程と申しますか。「不易」と「流行」とのバランスを常に考え到達したのが芭蕉だったのではないかと思います。

今の世の中は流行が突出していますし、国の教育方針もやれゆとり教育だの変更だのころころ変わりますよね。
日本は、これから伝統の変わらない良さを守っていくことが必要ではないかと思います。

オペラといえば西洋のものと思わないことでしょうね。
こんな見事な歌劇がわが国にはあるのですから。

歌舞伎! 「勧進帳」。

白血病を克服された市川團十郎さんに、感動するばかりでした。



團十郎さんのこと。

歌舞伎の市川団十郎さんは抗がん剤の副作用とかで丸坊主であった。痛々しいという感じはなく、「病気は完治したと思っている。5月から舞台に立つ。」と力強く朗らかに言明。場内から拍手が沸いた。

 団十郎さんは、歌舞伎の中には世の理不尽なものをリアルに描くことで時代を超えて訴える力がある。また、先人から受け継いだ誇りがある。日本の伝統文化は年配者にやさしい文化だ。高齢であっても力があれば正当に評価される、と続けた。

 これらの発言は会場の視聴者に多くの感動を与えたようであった。団十郎さんはことし59歳。昨年襲名披露をした坂田籐三郎さんは昭和6年12月生まれと聞くから74歳で歌舞伎界のトップスターである。まさに世界に誇っていい日本の「やさしい文化」である。






# by tsubakiwabisuke | 2007-03-25 22:15 | ニュース
2007年 03月 21日

お彼岸の中日 おしょうじん 大魚と猫

ロイヤルコペンハーゲン 北欧の名門陶器として日本人にたいへん人気があります。もとは中国の染付けを学んで製作したものですが、王国の伝統と気品をもって独自の美を創り出しました。

e0006293_1154731.jpg


e0006293_11542580.jpg


e0006293_11544636.jpg


e0006293_1155880.jpg



タカシマヤで釘付けになったのは、大魚の作品です。色彩も形も見ていて飽きません。
折りしもお彼岸の中日です。

彼の岸まで力強く泳ぎきるかのような、北欧の大魚。
係りの方に撮影の許可を申し入れましたら、すぐ上司の方に聞きにいかれました。

笑顔で、「どうぞ、どうぞ。とっても嬉しいです。男性の方からお褒めの言葉をいただきましたが、女性の方は初めてですから。」とのこと。ありがとうございます!

猫はいない…、とつぶやきましたら、こちらにいますと、フランスのコーナーに案内してくださいました。タカシマヤのスタッフは本当に感じがいいですね。

e0006293_11563753.jpg

ラリック作

e0006293_11565463.jpg


e0006293_115763.jpg

場所を移動してもらいました。

コペンハーゲンには魚はいても猫がいない。こんな大きい魚なら猫のほうが逃げていくでしょうね。
でも、この魚はまことに由緒正しく、日本の皇室にも贈呈され大切に保管されているのでした。


宮内庁三の丸尚蔵館 ( 宮内庁ホームページより)
第36回展
展示作品リスト

平成17年1月8日(土)~2月27日(日)
January 8(sat.)-February 27(sun.), 2005


21
ジャンヌ・グリュー(原型)、
ロイヤル・コペンハーゲン磁器製作所
ブルー・フィッシュ (原題:Blue Fish-Coelacanth) 
1971年頃 
陶磁
昭和46年(1971)昭和天皇 香淳皇后ロイヤル・コペンハーゲン磁器製作所を ご訪問の折、同所より

Blue Fish
Royal Copenhagen Porcelain Manufactory,
original design by Jeanne Grut   ca.1971; porcelain
1971, gift of Royal Copenhagen Porcelain Manufactory on visit there by Emperor Showa and Empress Kojun



ロイヤルコペンハーゲン社の解説によれば次のようになります。 

『おおよそ3億5000万年前より生息していたと言われる「シーラカンス」は、化石の上のものとして、数千年前に恐竜と共に死滅したとされていました。しかし、1938年12月に南アフリカ東海岸でグーセン船長の魚網にかかった1尾がシーラカンスそのものでした。このシーラカンスは、学名を「ラティメリア・チャルムナイ・スミス」とつけられました。その名は、グーセン船長からラティマー女史、さらにスミス博士へと幻の魚を現実のものにしていった人達と捕獲場所チャルムナ河口沖に因んでいます。東アフリカ沖のコモロ諸島の人々の間では、古くからこれを「ゴンベッサ(幸運)」と呼び、幸福をもたらす縁起の良い魚だとの言い伝えがあります。彫塑家ジャンヌ・グリューは、このシーラカンスから強烈な印象を受け、青の釉(うわぐすり)を用いた陶器でこれを表現し、「ブルーフィッシュ」として発表しました。この作品は、素晴らしい未知のものに対するロマンを呼び起こします。1972年(昭和47)秋、昭和天皇・皇后陛下が訪欧された際、ロイヤル・コペンハーゲン社を見学され、記念としてこの「ブルーフィッシュ」と同じものが陛下に献上されました』。





タカシマヤ・美術コーナーには、ガラスの猫がいました。れっきとしたフランス猫!

☆ ルネ・ラリック

アール・ヌーヴォー、アール・デコの両時代にわたって活躍した作家ですからご存知の方も多いでしょう。

ルネ・ラリック

ルネ・ラリック(René Lalique、 1860年4月6日 - 1945年5月5日)は、19世紀~20世紀のフランスのガラス工芸家、宝飾(ジュエリー)デザイナー。

前半生はアール・ヌーヴォー様式の宝飾(ジュエリー)デザイナーとして活躍し、その分野で名声を得ていた。宝飾デザイナー時代から、ガラスをパーツに用いていたが、ガラス工場の経営者に転進するのは50歳を過ぎてからである。 出典: (Wikipedia)


また、ルネ・ラリック と日本との結びつきをみてみましょう。

Link 箱根ラリック美術館


「ルネ・ラリック(1860-1945、フランス)が工芸作家として様々な技術や意匠を吸収していった19世紀後半、「ジャポニスム」と呼ばれる日本美術の影響が、フランスをはじめとするヨーロッパ各国を席巻していました。ラリックもまたジャポニスムから多くを学び取り、日本風のモチーフを使用するだけではなく、構図・視点などにも日本美術の妙を取りいれました。」


東京都庭園美術館(朝香宮[あさかのみや]邸)

この建物は1920年代から1930年代にかけてヨーロッパの装飾美術を席巻したアール・デコ様式を 現在に伝えるものです。フランス人デザイナーが、主要部分を設計、内部装飾もフランスをはじめとする 外国から輸入されたものが多用されています。

ルネ・ラリックは、朝香宮邸においては正面玄関ガラス・レリーフ扉、大客室と大食堂のシャンデリアを制作しています。


1925年のアール・デコの博覧会において、彼は自身のパビリオンをもち、その傍らに記念碑的なガラスの噴水を制作するなど、アール・デコのガラス工芸家としても活躍したのです。




今日はお彼岸の中日、わが家ではおしょうじんの献立です。精進と漢字変換が出るまでに時間がかかりました。
だって、「和尚人」って出たのですもの。たった一日だけで和尚人になれますでしょうか???



読者のみなさまの声からブルーフィッシュの記事を追加いたしました。







# by tsubakiwabisuke | 2007-03-21 12:05 | ニュース
2007年 03月 16日

京都市指定 天然記念物 総見院のワビスケ

信長の墓所・総見院に咲きつづけるワビスケは、 京都市指定天然記念物です。(北区紫野大徳寺町) 昭和58.6.1指定。1本 樹高6.4m。「豊公遺愛わびすけ」との伝承があるのです。
椿の品種ワビスケとしては日本で最古の木といわれています。

e0006293_19171917.jpg


e0006293_19174119.jpg


e0006293_19161910.jpg


e0006293_19124159.jpg


e0006293_19181810.jpg


e0006293_19184258.jpg


e0006293_19193399.jpg


e0006293_1919819.jpg


e0006293_19284982.jpg





大徳寺山内の石畳の道をゆっくりと歩く人々。

しばらく行きますと、若松…が見えました。 土塀にひっそりと添うように佇んでいるひともとの若松に、「がんばってね」と声をかけたくなりました。それから松の巨木の根っこに、しばし足を留めました。何百年か無言でここに生き続けている松ノ木です。


総見院のワビスケの木も、これからもずっと長寿であって ほしいものです。







# by tsubakiwabisuke | 2007-03-16 19:30 | 京都
2007年 03月 12日

千羽鶴って ツバキでっせ 今咲いてます

スライドショー 千羽鶴が咲きました

e0006293_1151521.jpg



e0006293_1154899.jpg



e0006293_1173733.jpg



ことしの初天神(1月25日)、北野天満宮の植木市で、千羽鶴という銘のツバキの若木に出会いました。

「美智子皇后さまはこのツバキがお好きなんだそうですよ。」

植木屋さんにそういわれると、急に買いたくなりました。いそいそと重くても手に持って家に運びました。

その木に蕾がついていましたが漸く3月になって膨らみ、先日から次々と花が咲いています。

一重でうっすらと紅がさしているような、つつましやかな花です。一輪だけですがカメラに収めました。

うれしいことに、この日は中宮寺ご門跡さまの喜寿記念の或る行事のための会合がございました。

ご門跡さまを囲んで、編集委員のお歴々の方々の末席に加えていただいていますわびすけ。

冷泉さま、出雲路先生、北野天満宮宮司さま、中宮寺お世話役・ドクター辻さま。

皆さまの間で、きびしくも建設的なご意見、たのしい会話が続きました。会合はこれで4回目です。

なにやらデカイ顔に写っているのがお恥かしいです。千羽鶴のようには到底まいりませんです。

9月には晴れてお知らせできることと存じます。




1月25日 今日は初天神






# by tsubakiwabisuke | 2007-03-12 01:22 | 茶の道
2007年 03月 08日

北海道~パリ 幸福の鐘 コウノトリ 


茶道を通じて若い方々とお付き合いするなかで、心あたたまる実話を聞くことがあります。

e0006293_063166.jpg

yukoの夫 pさん撮影 2006年春

e0006293_073562.jpg

幸福の鐘

今はフランスのパリ市に新婚家庭を築いている29歳のyukoさん。
その方から、昨夜メールが舞い込みました。新しいマンションに引っ越した為、インターネット環境が不自由(数ヶ月も不通)で、電話もなかなか取り付けられなかったようです。日本の便利さに慣れている私たちにはちょっとした驚きです。

航空郵便ではすでに、オメデタの知らせは来ていたのですが…。


「先生、ご無沙汰しています。
1月27日、出産しました!
心配を他所にすごく安産で赤ちゃんは3365グラムですごく元気な女の子です。」

うれしいお知らせでした。
でも、赤ちゃんの写真は昨夜、はじめてネットから送信されてきたのです。

e0006293_01140100.jpg


お名前はリサちゃん。黒髪と黒いひとみ。おお、!!!




この赤ちゃんは、じつはコウノトリが運んできたと、yukoさんは昨年話してくれました。

北海道に彼と旅した日のこと。船に白い鳥が飛んできてふたりの傍を離れなかったそうです。


「私の父がやっと彼との結婚を許してくれて、彼が日本に挨拶に来た時桜を見せたくて北海道
に行きました。」

「この時はただ、「かわいい鳥だねー」とか、「この鳥さん、私たちのこと好きみたい
だね」ってはしゃいでいただけなのです。

それがフランスに帰って、 北海道の写真を見てこの鳥のことを思い出したのです。

こうのとりだったんだ!
って。


鳥さんと、重大な決意をしてくれた彼にとっても感謝しています。

彼に出会うまではどちらかというといつも強気な女でした。 
彼と赤ちゃんは私をすごく素直にしてくれました。 」


フランスのIT産業で若きエリートとして活躍するフランス人の夫君と、茶の心をもって生きようとするyukoさん。パリ市役所であたたかい祝福を受けながら結婚式を挙げられたのでした。

その時、夫君のおじい様が車椅子で出席されました。花嫁が身をかがめておじい様に挨拶される写真が私にはとても美しい光景に見えました。


きのうのメール

「先生、こんにちは。
やっとインターネットが開通して、ゆっくり家でミクシィが見れるようになりました。
どうぞこれからも宜しくお願いします。yuko 」




yukoさんのこと

2006年 10月 26日
カミーユクローデルが製作した兄・ポールクローデルの胸像



2006年 10月 30日  天龍寺献茶式に 恒例のご招待







# by tsubakiwabisuke | 2007-03-08 00:32 | 茶の道
2007年 03月 04日

オスネコでも ひな祭り

e0006293_16285077.jpg


e0006293_1634995.jpg

ハマグリのかまぼこ雛はお気に入り。

うちの猫はどうもわけの分からない生き物です。
野良猫たちが庭に侵入してくると、防衛本能から唸り声をあげ、毛を逆立て、なんとも勇ましい格好をするのです。

獣医の先生から以前、こう、諭されたことがありました。

「お前なあ、もう年なんだから、ボスの座はほかのヤツに渡してやれよ。いつまでも強いわけはねえんだからな。」

17才を過ぎたオスネコです。さあ、聞こえたかどうか、ドラは知らんふりをしていたみたいでした。あれから体の不具合が続き、それどころではなくなったのです。でも、けっこう元気にはしているのでどうもわけが分からない気持ちになるのです。

パソコンのそばに来て、なにかや話しかけます。もちろんネコ語です。


e0006293_16264454.jpg


e0006293_16275847.jpg


e0006293_16253889.jpg

癌と腎臓の病気持ちですからなんでも食べるということはできません。
気に入ったものだけ少し口にします。大きい癌のため、腸がお腹の端っこに追いやられているのです。ドラの好きなものがみつかるとこちらのほうが大喜びをしてしまいます.


ハッカクという北海道の珍魚が生協に出ていたので買ってきました。これがたいそう気に入って食べてくれました。こちらも少し食べると美味でしたよ(笑)。


e0006293_16295112.jpg


e0006293_16302731.jpg



にんげん用に、ちらし寿司を作りました。ニンジン、ゴボウ、レンコン、シイタケ、タケノコ、キヌサヤ、ササゲ、玉子焼き。切り方が雑ですが、味は中々いいという家人の話。(ほんまかいな)

e0006293_16373143.jpg


うれしいことに、初天神で買いましたツバキの「千羽鶴」のつぼみが開いたのです。
それからもう一つ、たのしい出会いがありました。タカシマヤの喫茶室でカガヤク中年ふたり組。同志社前の「わびすけ」には、学生時代よく行きましたと談笑。。。

明るく良識ある京都女性、ここにあり~~~♪。。。
e0006293_16381774.jpg


e0006293_16383384.jpg


# by tsubakiwabisuke | 2007-03-04 16:38 | ねこ