blog 漱石サロン ランデエヴウ

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2007年 12月 08日

漱石忌 松岡陽子マックレイン先生来日


先般、朝日新聞社からお出しになった『漱石夫妻 その愛のかたち』の著者、松岡陽子マックレインさんの講演が行われることは、拙サイトのBBSでお知らせしておりました。

いよいよその日が明日になりました。漱石忌の12月9日、鎌倉・帰源院へ参ります。

知人の矢山さんが新著の関連記事をお書きになっていますのでここでそれをご紹介いたします。

孫娘が見た漱石と鏡子夫人

http://www.ohmynews.co.jp/news/20071022/16429






# by tsubakiwabisuke | 2007-12-08 06:10 | 夏目漱石
2007年 11月 21日

旦少年のおもかげを偲び もえる紅葉を写しました

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スライドショーをアップしました。

11・21スライドショー大徳寺山内の紅葉 宗旦忌350年の日に
http://wabisuke.la.coocan.jp/soutankinohi2007.html


宗旦さまには「旦少年」とよばれた時期がおありでした。旦少年へ贈るというその題名のままの漢詩が記録に残されています。

贈った方は禅の師匠である春屋和尚です。親の元を離れ小僧さんとして大徳寺に預けられた十二、三歳の旦少年に、慈愛に満ちた励ましの漢詩の内容なのです。

春屋の『一黙稿』は、淡交社から嘗て淡々斎が序文をお書きになり刊行されています。私は愛読していたその書物をどこかへしまいこんで今詳述することができずほんとうに残念に思っています。

けれども宗旦忌の日に、旦少年のおもかげを思い、協賛釜の水屋でご奉仕できることを感謝しておりました。スライドショーは解説がなくともお茶人さんがたはご存知と思います。

法堂(はっとう)。~芳春院。~本坊。~じゅ光院。高桐院。最後の不審な場所は、夕食をいただいた某所。

きものをご披露することは京友禅のPRにもなりましょうか。いま厳しいこの業界に元気を出してという老婆心でございます。きもの好きな趣味を一人でも多く増やして欲しいところです。







# by tsubakiwabisuke | 2007-11-21 17:08 | 茶の道
2007年 11月 18日

宗旦忌 明日は350年祭と申しましょうか

宗旦さまの350年忌、明日11月19日は大徳寺において法要と大茶会が開催されます。

直門席は高桐院。私は明日の午後から水屋でお伝いをさせていただきます。
翌20日は全国から参詣の門人の方々でたいへんな人数になることと予想されます。

申し込んでも抽選に外れたと嘆かれるお声も多く聞かれます。せめて過去の記録なりとご覧頂き、ささやかなひと時をお過ごしいただければと、ブログを書くことにいたしました。



今日庵・宗旦忌2001年 2001年12月2日UP

http://tubakiwabisuke.cool.ne.jp/2001soutanki.html



今日庵 宗旦銀杏のもとに 2000年12月3日UP

http://tubakiwabisuke.cool.ne.jp/soutanityonomotoni.html



平成十五年十一月十九日
今日庵 宗旦忌   協賛席 志倶会担当

今日庵宗旦忌 そうたん狐が来たような 2003年11月
 

http://tubakiwabisuke.cool.ne.jp/2003.soutanki.html



2001年 10月 19日
千 宗旦は利休居士の孫。1658年12月19日没。
今日庵では毎年11月19日に宗旦忌が施行される。
その由緒ある 月命日の日に つつしんでUP。

椿わびすけのゲストギャラリー 「あなたと撮った茶のある風景」 

最終回 撮影者 千宗之若宗匠

http://tubakiwabisuke.cool.ne.jp/guest.last.sen.html




この記録は過去にそれぞれアップしたものです。宗旦さまのこころに届きますでしょうか。

参考
禅と日本文化
千宗旦(せんのそうたん)





# by tsubakiwabisuke | 2007-11-18 15:22 | 茶の道
2007年 11月 16日

スライドショー 2007年光悦会 うすもみじといった景色

スライドショー 2007年光悦会
11月11日から3日間、鷹が峰の光悦寺で、恒例の光悦会が開催されました。


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スライドショー 2007年光悦会 ことしは薄紅葉の景色


会記や席の様子などは後日にゆずります。昨夜とりあえず、写真だけアップいたしました。
過去の記事も併せてご覧になれば、遠隔地の方々は雰囲気だけでもおわかり頂けましょうか。

光悦に関する拙文がIT新聞に掲載されたものを含めて、URLを出しておきますね。

◇ ◇ ◇

スライドショー 2006年光悦会
http://wabisuke.la.coocan.jp/2006kouetsukai.html

スライドショー光悦会  2005年
http://homepage1.nifty.com/xkyou/kouetukai2005.html

スライドショー 2004年 鷹ヶ峰 光悦会
http://wabisuke.la.coocan.jp/2004.11kouetsukai.html

2月3日は光悦忌
http://www.news.janjan.jp/column/0602/0602038746/1.php

職人たちを育てた芸術村 本阿弥光悦
http://www.news.janjan.jp/culture/0511/0511135089/1.php






# by tsubakiwabisuke | 2007-11-16 11:12 | 茶の道
2007年 11月 13日

親ばか の わたくし ドラと過ごした日々

老いを敬います 茶室の道庫
http://tubakiwabisuke.cool.ne.jp/09.23keirou.html


植物図1 ・酔芙蓉 
http://tubakiwabisuke.cool.ne.jp/dejikamenosyokubutuzu1.html


椿の花咲く家に
http://tubakiwabisuke.cool.ne.jp/tsubakisakuie.html


雨の日のドラ
http://tubakiwabisuke.cool.ne.jp/amenohinodora.html


ドラ梅雨の晴れ間に
http://tubakiwabisuke.cool.ne.jp/doratsuyunoharemani.html


ドラ接写 2000年9月29日
http://tubakiwabisuke.cool.ne.jp/dorasessya.html




タイトルに書きましたように、親ばかのわたくしです。
これで思い出のページは終わりではないかと思います。

みなさま、長い間、おつきあいいただきまして、ほんとうに有難うございました。





  

# by tsubakiwabisuke | 2007-11-13 23:16 | ねこ
2007年 11月 08日

ドラはコスモスの花に埋もれた後 真っ白いお骨になりました

最近の世相は、肉親間の虐待、殺人があとを絶ちません。弱い者を攻撃の対象として憂さを晴らすという非人間的な心理がじわじわと社会に浸透しているような恐怖を感じることがしばしばです。

かれらは、「無抵抗だから面白い」というのですが、これこそ「いじめ」の根源であり、それをやんわりとした態度でたしなめたのは落語に出る昔の「ご隠居さん」ほか、人生経験のあるお年寄りでした。ただ、今はそれを聞く耳をもたない世の中になってしまったのでしょうか。

獣医のS先生はご高齢ですが、若々しい情熱をお持ちの方です。先年、私は記事に書くために電話で取材させてもらったことがありました。もちろん無料です。こころよくご意見を述べてくださったのをさっそくまとめたものがIT新聞への初記事となり、初受賞となったことを忘れません。以下一部引用。

「専門家の意見を聞いてみたいと思い、飼い猫の主治医ともいうべきS獣医師に聞いてみた。S先生は京都府立医大出身の医学博士で、経験豊かな獣医師である。

 「私は、その事件を知らなかったので獣医仲間に尋ねてみましたがね。皆、猫が人間の足指を喰いちぎることはあり得ないというのが一致した意見でしたな。歯型が上下必ず残るので見れば判りますよ。狼の歯とは猫は違う訳で。、、、」

猫にかじられて足の指を失った記事について 

先生は信念をもって獣医の医療に当たられるドクターです。本来なら医大の研究室に残られるはずが開業医となられ、それも昔ながらの診療室で助手2名と先生を頼って来る患者の動物&飼い主を入念に診察され治療に当たれています。

どうも若い時分からややこしい人間世界に達観され、純真な動物にこころが動いたようです。いわゆる栄華を求める処世術は大嫌い。医院を大きくすれば患者さんに負担がかかるので小さいままで結構、とポツンと仰います。患者の数も多くないほうが有り難い、じっくり診療が出来ることが望ましいという信念ある先生を見ますと、動物だけでなく人間も見てほしいと思ってしまうのです。

先生の犬のお墓のある称念寺に今日はドラの遺体をかかえて行ってまいりました。華奢な女性のご住職が出てこられ、「猫たちといっしょに暮らしています」と微笑まれ、動物供養のお堂へ案内してくださいました。

浄土宗のお経をあげて供養をされたあと、北白川霊園を紹介されて私ども家族はタクシーで大津の境目の山深い坂道を通って火葬場に着きました。私が胸に抱えていたのは、ドラが時々入って遊んでいた小さい紙箱にいっぱいのコスモスの花々に埋もれたドラの遺体でした。

焼き場に運ばれた後、待つこと50分。別の建物に係りの方がお骨を運んでこられ説明を聞きました。点々と繋がる長い尾っぽの骨、背骨、手足、喉ほとけ、頭蓋骨。まっしろいお骨で芸術品のように見えました。それを白木の箸で丁寧に家族が骨入れに入れます。器は白いホーロー製で蓋をしたあと、金襴風の袋に収まり、合掌しつつ受け取りました。

係りの方は、丁寧な言葉遣いで、「ご遺体は十八年生きられたというには、しっかりとした背骨で砕けることもなくいい骨格だと思います」といわれ、ホロリとなりました。木のぼりをしたり、屋根に乗って自由に歩き回ったり、鼠もとってきたり、そんな気ままな暮らしが出来たからでしょうか。

白い毛がうす汚れてきても洗うでもなく、放っておいたのがよかったでしょうか。こんなに長生きしたことを感謝するばかりです。ご近所の方々にも蔭ながらお世話になりました。

お骨は自宅に持ち帰りました。仏壇の前の棚の上に塔婆とともに置かれています。お天気のいい日に、ドラが好きだった大木の根っこの土にお骨の一部を埋めてやろうと主人と話し合っています。

ドラ と 師匠の たいぼく

老境に入ったドラ
 
ドラの小さな秋

へこ とこ ねこ






# by tsubakiwabisuke | 2007-11-08 22:35 | ねこ
2007年 11月 06日

ドラは今夕 成仏しました

たくさんの見知らぬ方々が暖かくお見守りくださいまして、有難うございました。

今夕、居間のホームこたつの布団のなかから上半身を出して首をかしげたまま、ドラは息絶えておりました。一時の痙攣はございましたが、それほど苦しむこともなく、老衰によって天寿をまっとうしました。人間で言えば90歳になりましょうか

老いは残酷というべきもので、元はきれいな顔をしていた猫でしたが同じ猫とは思えない変わりようでした。死臭に近いものが漂うのも現実のすがたです。ただ、厳粛に受け止めるほかないのでした。

けれども、尊いいのちであることには変わりがありません。表面的な変貌を遂げていても、ドラは成仏したのです。今は静かに微笑しているようにもみえるのです。

最期には、砂糖水をプラステックの注射器に入れ、口にそっと流し込んでやりました。数時間前にはそれをゴクンと何度も飲んでくれていたのです。でももう、水が口端から流れるだけになっていて…。

朝、おそるおそるドラを抱きますと、私の目をまっすぐに見て小さい声をあげて鳴いてくれたことが嬉しくてうれしくて。それから獣医さんの元に行きました。

「おお、生きてましたか。お茶で言う一期一会ですな。」

先生は点滴をされ、ひとこと仰ったのです。

「今日かもしれませんよ。」

先生の犬たちのお墓があるという旧いお寺に、先ほど、ドラの供養をしてもらうように連絡をとったところです。明後日、家族そろって遺体をお寺へ運び供養をしていただくことになりました。

そのお寺のご住職がいわれるには、「獣医科のS先生は本当にご立派な先生だとみなさんからお聞きしています」。その通りですとも!私たち家族はどんなに感謝しているかわかりません。

みなさま

有難うございました。私的なことで申し訳なく存じますが、取り急ぎご報告させていただきました。ドラの母より。





# by tsubakiwabisuke | 2007-11-06 23:29 | ねこ
2007年 11月 05日

今日明日がヤマ わが猫の寿命

秋の好季節ということで、祝いごとが続きました。教え子の結婚式・披露宴からさる会社の70周年記念の祝賀会。招かれる身ととしては有り難いと思います。

ただ、わが家の猫が人間の年でいえば90歳前後の高齢で、最近とみに弱ってきました。老衰と諦めていたものの、ニャ~という声さえで出なくなりました。人間のぁ~という小さな声をあげる感じなのです。

水だけ飲んでなにも口にしません。骨と皮に痩せたこの子を胸に抱いて今日は思い立って主治医の獣医科へタクシーで行ってきました。これまではどんなに嫌っていた医院でしたが、もう抵抗する力もなくじいっとなすがままにしておりました。

「10ヶ月診ていませんよ。う~ん、ガリガリに痩せましたな。」

看護師さんが量りにかけると2,5キロになっていました。元気のいい時は5キロでしたから半分の軽さです。抱くと子猫だったころを思い出します。

尊敬するS先生は診察されながら、「今日明日がヤマですな。点滴をしておきましょう。」

体温が35度になって冷えていました。

「もう感覚がなくなっているので、充分暖かい部屋にいるようにしてあげてください」

「それから猫のきものは、フエルト地のあたたかい布で、手足が出るほどの穴をあけて背中でとめるものを作るといいですよ。これは洗いざらしですが」

と、一枚の布を下さったのです。ドラの最期の晴れ着になるのかと思うと先生のやさしさがありがたくて涙が出そうになりました。自宅に帰って居間の戸をしめきって猫といっしょにいます。これからきものを縫ってあげようと思います。

寿命と思えば諦めもつきますし、人間のように病院で人工呼吸器を無理やりつけられ、たくさんの管をつけて生きなければならぬ有様ではなく、自然の衰弱のまま、あたたかい居間で最期のときを送ることができれば恵まれたことかもしれません。

十九年近い年月、家族として大きい癒しを与えてくれたドラちゃん。苦しみの表情もありのままに出しておくれ。居間の中でオシッコとウンチをしておくれ。できれば好きだったお湯をピチャピチャと飲んでおくれ。

あるがままのドラちゃんがみんな好きなんですから。







# by tsubakiwabisuke | 2007-11-05 12:35 | ねこ
2007年 10月 21日

ND小学校学院祭 クリスマスローズの大判写真が茶会に


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仲良しのシスターCと私服のシスター、ND小学校・シスターベアトリス校長。保護者会長の方々とごいっしょに。2007/10/14

◇本日IT新聞のコラムに拙稿が掲載されています。

小学校の礼法室に飾られた「クリスマスローズ」の大型写真

http://www.news.janjan.jp/column/tsubaki/list.php

http://www.news.janjan.jp/column/0710/0710204259/1.php

10月14日(日)、京都市内の名門私立として知られているノートルダム学院小学校の学院祭に、お招きを受けて行ってまいりました。保護者の方々も子どもたちも作法に則りお茶を飲んでいます。カトリックの小学校が日本の伝統文化をごく自然に取り入れているのが京都ならではといえましょうか。(椿伊津子)2007/10/21



記事の続きは、そちらをご覧いただくこととして、ここでは当日の写真をアップいたしましょう。

最初にタイトルになっている写真は、一昨年東京で開催されたプロ写真家・関健一氏の個展で展示されていた作品です。クリスマスローズがすぐ後に見えますでしょう。

個展の会場で関さんと並んでいるのはわびすけ。この時、何枚かの作品を購入させてもらいました。その中の1枚がこのクリスマスローズだったのです。

カトリックのND学院にふさわしいと考えていたのが実際にこうして礼法室に飾られているのを見ますと、感慨ふかいものがございます。

写真がどうもうまく表示されませんので、ココログのほうを覗いてみてくださいませ。

母性そのものシスターのまなざし。たくさんお土産をくださいました。感謝!

聖像の足元にノートルダム小学校の生徒の制服を着たミニチュア人形が目に飛び込んできました。学校のいたる処に細やかな愛情が感じられて、ここで学ぶ子どもたちは恵まれているなぁ~と実感したのでした。





# by tsubakiwabisuke | 2007-10-21 16:56 | 京都
2007年 10月 18日

漱石の悪妻説をくつがえす!新しい女性の目線で考え直す

日本経済新聞のすぐれた掲載記事をここで紹介させていただきたいと思います。

http://waga.nikkei.co.jp/hobby/study.aspx?i=20071015i1000i1

漱石の私物・メモ集めた大回顧展 

文豪・夏目漱石(1867~1916)が生誕140年、プロ作家になって100年という節目の年に、漱石を深く知るのは興が深い。東京・両国の江戸東京博物館では東北大学所蔵の手紙、蔵書などを中心に約800点を集めた特別展「文豪・夏目漱石 そのこころとまなざし」が開かれている。漱石の直筆原稿の廉価版や、孫娘が書いた夫婦論も出て、「生」の漱石に触れる機会が広がっている。

<中略)

『漱石夫妻 愛のかたち』(朝日新聞社刊)では、孫娘に当たる比較文学研究者の松岡陽子マックレインさんが祖母や母からの聞き伝えをたどって、家庭人・漱石のイメージをつづった。孫娘しか知り得ない人物像をもとに、漱石一家の家族イメージをとらえ直している。著者の父は漱石門下の作家・松岡譲で、母は漱石の長女・筆子だ。

 鏡子には過去、「悪妻」説がつきまとってきたが、近年の研究や、家族の文章からは、こうしたそしりにはあまり根拠がないという指摘が出ている。『漱石夫妻 愛のかたち』でも著者が知る祖母の実像が紹介され、漱石作品に描かれた妻像も参考に、漱石夫婦の間柄の読み解きを試みている。

◇ ◇ ◇

税こみ 735円 の朝日新書です。

ソクラテスの妻が悪妻といわれて有名ですが、日本では漱石夫人がいろいろ噂されてきました。
しかし実際は、漱石が亡くなった時39歳であった鏡子夫人は残された6人の子供を女手ひとりで育てあげた健気な女性でした。
漱石は当時から、愛人の存在が全くない作家 だということも知られていたのですが、妻には厳しい態度をとるときにも漱石は終始妻を裏切ることがなかった男性でした。

臨終の時には、妻と6人の子供。多くの弟子たちに囲まれ見守られながら49歳で逝った文豪の最期は、若すぎて惜しみても余りあるものでしたが、人間としては幸福な最期でありました。

そうした漱石を病める時にも必死で支えた妻は、夫の亡骸(なきがら)を公共の医学研究に資するため解剖を申し出たということを考えましても、いかに女性として強靭な精神の持ち主だったかに驚きを禁じえないのです。



漱石山房のある早稲田町の祖母の旧宅で産まれた松岡陽子マックレインさん。
今では貴重な生き証人であり、祖母の思い出と漱石長女の母・筆子さんから聞いた漱石夫妻の実際のすがたが生き生きと、比較文学の研究者らしい客観的な筆致で描かれています。

悪妻説を流布させたのは多く弟子たちだったようにも聞きますし、評論家の中にはそれを元に無責任に書いた方もあったのはないでしょうか。しかし、反論すべき方は殆ど他界され公正を期すことも難くなっていくのが現状と思います。

今日あらたな目線の漱石論へと発展することも考えられる、注目すべき一冊だと読者のひとりとして感銘したことを申し添えたいと思います。







# by tsubakiwabisuke | 2007-10-18 14:53 | 夏目漱石
2007年 10月 13日

愛の人・漱石の真の姿を描いた マックレイン陽子新著『漱石夫妻 愛のかたち』

松岡陽子マックレインさんのご本が発売されました。朝日新聞社「朝日新書」70回目の記念すべき本です。書き下ろしもフレッシュならラッキーセブンのナンバー70もナイス!

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内表紙の説明文はとっつきやすく、然も格調をもってこの本の内容を見事に表現しています。以下そのコピーを。画像は紀伊国屋書店サイトのものです。

漱石の夫婦愛、漱石の親子関係、漱石と家族観―

死後90年以上たっても読み継がれる文豪の素顔。
愛の人・漱石の真の姿が、孫娘の筆で、浮かび上がる。


第1章 漱石について聞いたこと、思ったこと(借家住まいの漱石;漱石生前の経済状態;おしゃれな漱石 ほか)
第2章 祖母鏡子の思い出(祖母という人;鏡子の戸籍上の名前はキヨ;気前のよかった祖母 ほか)
第3章 母筆子の思い出(母筆子と祖母鏡子;私の人生で一番影響を受けた人は母;母の愛 ほか)

☆筆者紹介

松岡陽子マックレイン[マツオカヨウコマックレイン]
1924年東京生まれ、父、作家松岡譲、母、夏目漱石の長女筆子。1945年津田塾専門学校(現在津田塾大学)卒。1952年ガリオア(現在フルブライト)資金で米国オレゴン大学に留学。当地で結婚、そのままオレゴン州ユージン市に残る(夫Robert、1990年に死去)。一男出生後、大学院に戻り比較文学専攻。1964年から1994年まで30年オレゴン大学アジア言語文学部で日本語、近代文学の教鞭をとる。現在オレゴン大学名誉教授。

主な著書に『漱石の孫のアメリカ』 『アメリカの常識 日本の常識』
『英語・日本語コトバくらべ―日本語教授30年の異文化摩擦 』
『退職後の人生を愉しむアメリカ人の知恵 』など多数。




私は一気に読ませていただきました。

『漱石夫妻 愛のかたち』

興味深い写真も多くて、内容がこれまた独自の視点で新しい展開になっていると思いました。鏡子夫人への見方もひいきの引き倒しになることと全く対極にある、公正な記述でありなんといっても学究の態度であることに、感動を覚えます。(漱石夫妻の次女の恒子様の結婚を決めたのは、母親の過干渉であったこと。その悲哀など)

20代の若手の編集者の担当とかで、若干の不安もなくはありませんでしたが、この出来上がりなら、「愛の人・漱石の真の姿が、孫娘の筆で、浮かび上がる。」の表紙裏のキャッチコーピーがそうだ!と真実味を帯びて頷けます。

もとはポーランドの大学に招聘されて行った講演を記事にされたそうですが、編集に若さのいい面が出ているようです。若さはいいものです。

読みやすくても決してミーハーの雰囲気ではなく、啓蒙的な高さが感じられます。
内容がこれまでよく見られる二番煎じや三番煎じの漱石本と違い、すべてオリジナルといってもいい新鮮な書き下ろしであることも値打ちがあるのではないでしょうか。

著者の陽子さんには祖父に当たる漱石先生は元よりですが、お父上の松岡譲先生の堅実な素質を受け継がれていることがこの本で分かるような気がいたしました。

表紙の帯も見合い写真の鏡子夫人と青年漱石。これでみますとどことなく美男美女のカップルにみえますね。マックレインさんがお祖母さまに生前、こんな会話をなさったとお書きになっています。



「漱石の昔のお弟子さんが訪ねて来たことがあった。彼が私に、「お祖母様にそっくりですね」と声をかけたら、祖母が、「私が若い時は陽子よりはずっと美人でしたよ」と言ったので、○○氏は苦笑しておられた。」

飾り気のない家系と申しますか。ほほえましい会話でした。
野上弥生子さんが生きていらしたらどんなにお喜びになられたでしょうか!







# by tsubakiwabisuke | 2007-10-13 23:13 | 夏目漱石
2007年 10月 06日

見聞記 江戸博物館で特別展「文豪・夏目漱石そのこころとまなざし」


江戸、隅田川、両国、言問橋(ことといばし)とイメージが続きますと、かの有名な在原業平の和歌が浮かんでまいります。

名にし負はば いざこと問はむ都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと

『古今和歌集』に収められ、『伊勢物語』第八段にもみられます。都鳥はいまでいうユリカモメのようですが、歌の本意は鳥にかけて京の都に残してきた想い人は、いまどうしているのだろうと、恋する男のこころを詠んだものですね。

今回の東上で、この言問橋に立って私は都鳥を見ることはありませんでしたが、関東大震災の復興事業として造られたこの橋梁の欄干と縁石が記念碑として保存されている場所に行ってまいりました。

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江戸東京博物館はこうして京都と繋がっていると思いますのも、夏目漱石特別展を開催されることに喜びを感じるゆえでございましょう。イワシの頭も信心ということとまあ、遠からず、、、でっしゃろか。

さて、IT新聞に10月6日今日の日付で拙稿が掲載されたようです。開会式。内覧会は9月25日でしたから今となってはニュース価値に乏しく、遅ればせながら文化欄の記事になりました。あちこち削られています<笑)

IT新聞 tsubakiコラム 古都つれづれ

江戸博物館で特別展「文豪・夏目漱石そのこころとまなざし」


 の記事の下に「この記事が気に入ったらクリック 」という欄がありますので、できればポチっと押してやってくださいませ。

一応、ここにも原稿を出しておきましょう。

                         ◇ ◇ ◇

椿 わびすけの 「江戸東京博物館特別展・開会式内覧会 見聞記」

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写真はいずれも筆者撮影。

東京の両国にある江戸東京博物館で特別展「文豪・夏目漱石」が開かれていますが、それに先立って開会式・内覧会が9月25日にあり、行ってまいりました。開会式で聞いた主催者側のスピーチは興味深いものでした。この特別展は11月18日〈日)までです。

 開会式というと、ある緊張と期待を呼び起こすものです。それも敬慕する漱石先生の未公開資料を含め、一挙に展示される特別展なのです。ご招待状を受け取った時には、感激に震える思いでした。

 開会式場の壇上には「東北大学100周年記念、朝日新聞入社100年、江戸東京博物館開館15周年記念」とパネルが掲げられ、その下に大きく「文豪・夏目漱石 そのこころとまなざし」と印象的なサブタイトルがぐっと引き立っています。

 主催の江戸東京博物館から竹内誠館長が最初に挨拶。「東北大学は100周年、朝日新聞社入社100年、という後でわが江戸博物館は開館わずか15年ということで、どうも……」と頭をかかれるそぶりでユーモアたっぷりのスピーチでした。

 「漱石の人柄、大きさ、多くの人をひきつける魅力を見ていただきたい。実は、私は漱石については何も分かっておりません。学芸員の2人がすべてやってくれ、ここで私が偉そうにしゃべっているのは彼女たちの受け売りであります」

 そこで2人の学芸員を呼ばれ、壇上であらためて紹介されました。なんと、フレッシュな若い女性の学芸員、橋本由紀子さんと金子未佳さん。私は思わず拍手をしましたが、会場の皆さんも家庭的な空気で拍手をなさっていたようでした。物分かりのいいお父さんが娘自慢をしているような趣があってほほえましかったです。

 2番目に立たれたのは、東北大学副学長・東北大学図書館の野家啓一館長。漱石が朝日新聞入社第1作の『虞美人草』を発表した明治40年6月3日の新聞コピーを説明されました。

 「『虞美人草 一』とある記事の隣に東北帝国大学設立の辞令が掲載されていることからも、漱石と東北大学との深い因縁が……」。漱石の愛蔵した書物3000冊が東北大学にあること、漱石山脈といわれた中の小宮豊隆、阿部次郎が東北大学の教授であったこと、に続けて、漱石研究に貢献のある3人の教授を紹介されました。

 3先生が壇上にお上がりになり、深々と頭を下げられました。皆さま篤実な学究の雰囲気をお持ちでした。ただ、漱石文庫を長年丁寧に管理されてきた図書館の館員の方々にも壇上に上がって頂ければ、もっとよかったのにと思いました。

 しんがりの挨拶は、朝日新聞社の船橋洋一主筆。「生誕や死後を数える例は多いですが、入社100年というのは漱石をおいては他にいない。当時の主筆・池辺三山と漱石は非常に似通った価値観を持っていた。新聞記者となった漱石は社会的なときめきと驚きを日々読者に伝えた。三山と漱石は知的大衆をつくったということです」

簡潔で心のこもった開会式はおひらきになり、あとは特別展の内覧会に移りました。


                             ◇

 「そのこころとまなざし 」。このフレーズが生き生きと感じられるのは、文豪漱石と人間漱石の、ありのままのすがたを見ることができたからでしょう。愛用した着物や家族への書簡のほか、鏡子夫人への結納目録なども貴重でした。他人への情愛ある「父のまなざし」を受けとめることができました。

 英国への航路を図にしたパネルや購入した原書の展示もよかったです。ロンドン時代の蔵書400冊を知るにつけ、満足な食事もとらず勉学に打ち込み、病に苦悩した漱石に涙の出る思いでした。細かい書き込みがあるものは暗い照明のなかで読むのは困難でした。拡大したパネルがあれば有り難かったのにと思いました。とにかく漱石の全容を伝えるのは大事業です。

 公式ガイドの執筆もほとんど学芸員おふたりの手になるものですが、辛口の評者の「オリジナルなものでなくダイジェスト。会場の記述にも間違いがかなりあった」との声もありました。しかし、若い世代が漱石にこのような真摯な取り組みを行ったということに、私は驚きを禁じえませんでした。これだけすばらしい資料をふんだんに見せていただいた展覧会に、心から感謝したいと思います。

 老婆心から申しますと、「江戸東京博物館、東北大学編」となっている以上、もっとお互いに相談をされ、入念にことを運んでほしかったと思います。ガイドブックの「漱石略年譜」は西暦のみで和暦の併用がなく、江戸と銘うっているにしてはキリスト生誕を基にした西暦だけというのはいかがなものか、と思ったのも正直なところです。

                             ◇

拙サイト 仙台へ 東北大学『漱石文庫』を訪ねて






# by tsubakiwabisuke | 2007-10-06 14:30 | 夏目漱石
2007年 09月 27日

江戸博物館創立15年記念 「文豪・夏目漱石そのこころとまなざし」

開会式・内覧会のご招待を東北大学から頂戴いたしましたのでこころ踊る思いで、東京両国へ行ってまいりました。ご招待には同伴が許されるとのことで、お知り合いの方お3人にもお声をかけいたしました。各地から駆けつけられたのは漱石先生の魅力でございましょう。この特別展の内容については後日、IT新聞のコラムに書かせて頂くつもりです。

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両国、江戸東京博物館 全景が撮影できなくてこれは入り口から

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「文豪・夏目漱石 そのこころとまなざし」開会式 午後6時~

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内覧会 漱石のお孫さんの半藤末利子さんとご主人の半藤一利さんにお会いして楽しく立ち話をさせていただきました。

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言問い橋の記念の立て札。 関東大震災のあと、昭和3年に建設されたものですが、昭和20年東京大空襲の悲惨な記念碑となったものです。この地にこうした歴史があることに胸が痛みました。

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江戸博のとなり組といってもいい Dホテルに宿をとりました。そのロビーで。(この一枚だけ、ハンナさん撮影)。

きもの好きな方のために、白状しましょうか。えり善製のきもの、帯、帯上げ、帯締め、半襟。漱石展にはこの装いをと…。

ご存知と思いますが、漱石が京都へ来た折、わざわざこの店を訪ねて妻の半襟を買ったことが漱石の日記に書かれています。、




松岡陽子マックレイン様にこの展覧会の写真を2枚添付メールで送信いたしました。こうした会場内の写真を公開することはご法度になっておりますから、会場外のもののみここではアップいたしました。

2009/9/28 03:29 松岡陽子マックレイン様

伊津子様

 メールが息子の所にいってしまい、今朝彼が転送してくれました。息子健(けん)も今は大学勤め(大学のヘルスセンターの医者)なので、私と同じメールアドレスを持っています。
〈中略)
御送りいただいたメールは”y”がぬけていたので、息子のところにいってしまったということです。ともかく、すぐ息子が転送してくれよかったです。

 お写真どうも有り難うございました。とても楽しく見させて頂きました。相変わらずお美しい和服姿でいらっしゃいますね。漱石の好んだお店でお買い求めになったのですね。新聞で読んでいましたので、展覧会が私が日本へ行く前に終わってしまい、とても残念だと思っていました。妹の名前は「末利子」という字を書きます。彼女は昨年転んで足を怪我して二ヶ月も入院したと言っていましたから、少し老けたのでしょうか。私が小学校六年の時に生まれたのですから、私より一回り近く若いのです。亡くなった長女の姉と末利子は十六歳も離れていました。半藤は相変わらず大活動していますね。

 ではもう一度御写真お送り下さり有難うございました。

陽子




半藤様ご夫妻のお写真はここでは掲載できませんが、いぜん、鎌倉漱石の会で講師としてお話を伺ったとき、撮影させて頂いたことがございました。現代の論客として正論を世に送っていらっしゃいます。おふたりのお写真は、半藤家が提供された漱石の着用したきものの前で私が撮影、ステキなご夫妻です。内覧会のおかげでした。

2002年5月12日 夏目漱石展から 鎌倉漱石の会へ 








# by tsubakiwabisuke | 2007-09-27 23:53 | 夏目漱石
2007年 09月 22日

長老ねこの不思議

ねこの鳴き声には、訴えるものがあります。ドラのことをいいますと、最近からだの苦痛を訴えるような声をあげることが多くなりました。首とお腹の両横がふくれ、食欲もなく新しく汲み替えた水ばかり飲んでいます。

獣医科にも久しく行ってないのですが、先生に留守電を入れておきました。この先生は必ずお返事をくださるので猫の病状といいますか、いまの様子を話しました。

これまでの経過を書きますと、腹部に大きい癌ができているという診断を受けていました。高齢だから手術もしないほうがいい。そっと余生を送らせてやるといいだろうということで、私もなっとくの上で病気のねこと付き合ってきたのです。

「番号、2685 M、Cat です。ご無沙汰しています。
食欲がなくずいぶん痩せました。尿と便も出ないようです。きのう、お腹をさすってやっていましたら、運よくピューと細い噴水のようなオシッコが一分間くらい出ました。でも尿だけで終わりです。癌は大きいのがお腹の両横に二つ、首に一つ、ふくれたままあります。医院に行くのを嫌がりますので何か楽になるお薬をいただけますでしょうか?」

まあ、患者としては、不届きな依頼でしょうねえ。でも、こんな話が出来るような理解のある獣医さんなんです。3時間くらい後になってからお電話がありました。

「カルテを見ましたが、7ヶ月来てもらっていませんな。連れてこれませんか?」

「すみません。洗濯ネットをかぶせて袋に入れていくのを嫌がります。医院から帰ると2,3日とてもおびえて近よらなくなるのです。18歳ですからそっとしておいてやりたいのです」

「老衰でしょう。砂糖水をやると力がつきますよ。コーヒー用の砂糖シロップ、小さいのを店屋に売ってますからそれを2倍に水でうすめて飲ませてみてください。葡萄糖注射と同じような効果があります」

「ありがとうございます。便が出ないのはどうしたらいいでしょうか?」

「子供用のイチジク浣腸を買ってきて少しだけいれてみますか。しかし食べないのであればそんなことは必要ないでしょう」

「本当にありがとうございます。機嫌のいいときにまた連れていきます。教えていただいたことを様子をみながらやってみます。」

いい先生でしょう。こんな立派な獣医の先生がいらっしゃるから、いつも安心していられるのです。このところ、ドラはもう、最期が近いのではないかと思うこともありました。主人が東北へ旅行に出かけていましたし、留守中にもしものことがあれば、などと独り思いわずらっておりました。

友人からの電話で、「大丈夫です。ねこはちゃんと分かってますよ。きっとご主人さまを待ってくれてると思います」ということばを聞いて、目頭があつくなりました。

それが昨夜のことです。山形から主人が帰ってくる知らせがあって、玄関の戸の開く音がしましたので、玄関に出て見ると二畳敷きの畳の最前列にねこが行儀よく坐っているではありませんか!

あんなに体が弱っていたのにそんなそぶりも見せないで、主人が留守だったこともみんなわかっていたんだ…、胸がいっぱいになりました。重病のねこを看取った先の友人の話は本当だったのです。

主人はなにごともなかったように、ねこの頭を撫でて「ただ今」と声をかけていました。私への言葉はねこの後になりました〈笑)。
家の中がいっぺんに明るくなった気持ちです。今日もドラは布団のうえに横たわって休んでいます。すこし食べたようすですし、当分大丈夫でしょう。

ありがとうね。ドラさん!







# by tsubakiwabisuke | 2007-09-22 02:00 | ねこ
2007年 09月 14日

日本インターネット新聞編集委員選賞を受賞しました 「古都つれづれ」

今日、1通の郵便が来てはじめて気がつきました。
私がコラムを書かせていただいています日本インターネット新聞。8月掲載記事の編集委員選賞受賞のお知らせでした。16本の記事が選ばれその中の1本が私だったというだけのこと。

編集委員4人の中のお一人、H…広岡守穂さん(中央大学法学部 教授)が拙記事を選んでくださったようです。


椿伊津子記者のコラム「古都つれづれ」は、だれかも書き込んでいたが読んでいるとこころが洗われるというか、ほっとする。このところ数本続けて漱石と京都のかかわりをとりあげている。「きっすいの京都人、津田青風・西川一草亭と漱石」(8月18日)では、津田青風・西川一草亭と夏目漱石の交際をつづっている。西川一草亭といえば、ずいぶん前にいけばなの文人生けについて書いたものを読んだことがあった。そのことをふっと思い出した。(H)

編集便り・編集委員選賞8月の受賞記事

tsubakiコラム「古都つれづれ」はことしになって半年間お休みしてましたが、漱石先生について続けて書いた拙稿でした。読者の方々のあたたかいコメントに励まされ、時間をかけて幾多の文献をひもとき、自分の思いを綴りました。

私の場合はニュース性には遠い書き物ですから編集委員の方にお認めいただけるとは思っていませんでした。
数えますと4回目の受賞にしかなりません。でも本当に嬉しいお知らせでした。

広岡さんもコラムをお書きになっています。とくに「男の言い分、女の言い分」は面白く人気があるようです。


このマスメデアは、元朝日新聞編集委員であり鎌倉市長であった竹内謙さんが社長をなさっています。それから同じ朝日関連の話題をもう一つ、書いてみますね。

松岡陽子マックレインさんの著書の出版のニュースです。
ただ、10月中旬に発売ということですから今から楽しみに心待ちにしているのです。

朝日新書の編集長さんにメールを出しましたら、丁寧にお返事がまいりました。



朝日新書 岩田
メール拝受。
松岡陽子マックレインさんの朝日新書は、
『漱石夫婦 愛のかたち』というタイトルで、10月12日発売の予定です。
よろしくお願いします。



朝日新書は読みやすく、楽しい雰囲気が感じられると友人たちから聞いておりました。
陽子先生とこの冬にまたおめもじする予定ですので、私には二重の喜びになりました。



いつも拙文をお読みいただいて有難うございます。皆さまのお励ましのコメントがどんなにか私の心の支えになっているかとしみじみ思うのです。
ココログの漱石サロンランデエヴウのほうにもさまざまな方々からお書き込みをいただきました。どうぞそちらのほうもご覧くだされば嬉しく存じます。







# by tsubakiwabisuke | 2007-09-14 14:53 | 夏目漱石
2007年 09月 09日

2007年9月7日裏千家無限忌 副席

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ご夫婦の忌日がまったく同じというのは、世の中にはあまり多いことではありません。9月7日にお二人のご遺徳を偲ぶ一会にことしもご奉仕をさせていただきました。

無限忌とは、裏千家第十四代碩叟宗室、淡々斎の名で親しまれているお方です。1893年(癸巳,明治二十六年)にご出生、1964年(甲辰,昭和三十九年)9月7日に逝去。伝道に行かれた北海道で急死されました。享年70歳。

無限斎の斎号と碩叟の号は大徳寺の瑞巖老師が授けられたものです。淡々斎の著書『風興集』には、その間の謂れが詳細に書かれています。瑞巖老師は無限斎のことを「人中の英」と讃えておられるのです。

淡々斎は学問を重要なものとして学び尊んだ方です。今は学者といえばサブカルチャー的な言動をされる風潮がありますが、本来はそうしたものではなく本格的な学者を尊敬されました。淡交社刊『茶道古典全集』はその偉業を余すところなく伝えていると思います。

嘉代子夫人は仙台のご出身。美貌に加え才気と母性的な心配りで人々を魅了された方でした。裏千家中興の女性と申しても過言ではありますまい。その夫人の法名清香院様は後年、最愛の夫君の後を追うように同じ9月7日に逝去されたのでした。ことしもその法要が聚光院にて厳かに執り行われました。

私ども直門は、大徳寺における無限忌の副席を例年のごとくご奉仕させていただきました。三玄院の茶席のもようを水屋仕事の合間に撮りましたが、カメラの故障でうまくいきませんでした。多少見られるものだけアップしてみましょう。

トップ 床は円能斎 清風拂名月

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淡々斎好みの円意棚 歌と在判が天板裏にあり
ものごとに 障らぬものは 円かなる おのがまことの 意(こころ)よりこそ 
 
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菓子器 オランダ

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茶碗 淡々斎歌銘 「松風」 覚入造

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道具は当番持ちよりです。高価なものを見せてもらうのですから勝手な批評は避けたい処ですが…。私の感じたことは、風炉の雲華面取りの色彩がちょっと目立ち過ぎているようで、全体の印象から惜しいと思いました。難しいですねえ。

花入は淡々斎好、無心籠。

水指は古膳所(こぜぜ)、渋く味わいのあるものでした。

棗は秋の野棗、八代宗哲の作。これは利休好。

茶杓 淡々斎 銘 初雁、風情のある茶杓でした。
この銘のお菓子が今日庵席で出されておりました。末富製。黒砂糖にくずで作られ中に白い百合根の一片が入っているものです。御所前の松屋ときわが有名なお菓子でしたが、最近はお目にかかれません。

いずれ『淡交』に掲載されることですから、この辺で。



スライドショー 2006年8月7日 無限斎宗匠毎歳忌 清香院さま27回忌法要 副席
 




# by tsubakiwabisuke | 2007-09-09 01:27 | 茶の道
2007年 09月 05日

九月ついたちの裏千家宗家での着物は

九月といえば初秋ということになっていますが、九月一日はもともと旧暦7月20日に当たります。盛夏、夏のまっさかりなんですね。それが衣替えとなれば、薄物から単衣(ひとえ)に変わるしきたりになっているところが伝統文化のせかいです。

八月の終わりに茶道の稽古仲間の連絡網で電話が入りました。「おついたちにはお家元が暑いのでどうぞ薄物で、とのことです」という伝言。なるほど…。ことしは例年にない猛暑で九月といえども厳しい夏日です。けれども、ご宗家へ参上するきものはひとえを用意していたのでした。

ついたちの裏千家宗家には、絽や紗など薄物のきものが多く見られました。業躰さん方は6月1日と10月1日には衣替えをなさいます。ただ、九月はまだ夏物のままごく当たり前の感覚です。女性の場合はとかくやかましくいわれ、うすものでは不可、茶席の取り合わせも夏は遅い、とこうなっているのでした。その意識のズレを今月一日の道話で説かれたのが、坐忘斎家元だったのです。

☆お家元
「私は薄物の着物でどうぞ、ご自由にと申し上げましたが、季節感を大切にするのはいいとしてそれに縛られてはいけないと思っています。金縛りにならないことですね。自分でしっかりものを見、臨機応変に判断する力を持っていただきたい」

家元の言葉は常に平易でしかも説得力があります。また、最近稽古場にお坐りになられなくなったのは残念なことではありますが、献茶式では炭点前、台子点前を自らなさって公開されています。ここが重要だと思うのです。



じつは、今日4日、志倶会の稽古日で私は一つの或る問題に遭遇したことを書いてみましょう。稽古をなおざりにしている自分ゆえお恥ずかしい内容なのです。

次の間〈大炉の間)で私は初炭点前をいたしました。



注  PCの調子でしょうか。急に切れてしまいました。すみません。
時々こんなことが起きてしまいます。







# by tsubakiwabisuke | 2007-09-05 00:51 | 茶の道
2007年 08月 29日

26才の青年横綱・朝青龍 心はどこに?

モンゴルから来た26才の青年の栄枯盛衰をニュースで毎日見ることになろうとは思ってもいませんでした。現代日本の若者には見られぬハングリー精神で、出世街道をひた走り押しも押されぬ横綱になったのは誰しも依存のないところです。

不振の相撲界をひとりで盛り立てて来た強さに、多くの観客は素直に拍手をし声援を送り続けました。日本人は島国根性とよくひきあいに出されますが、モンゴル相撲から日本の国技へ移行し成功した横綱・朝青龍をなんの抵抗もなく受け容れたのです。

驕る平家ではありませんが、朝青龍のおごり高ぶった態度は何度か問題になりました。
けれどもいつもうやむやになり、親方の指導力不足ということで終わったのです。

ところで親方には一体どのような強い権限があるというのでしょうか?
大出世しただけで孝行息子なんです。態度がどうであれ、小部屋の親方には朝青龍は可愛い弟子に違いないのですね。 

親方に責任を押し付けるのではなく、強大な権限を持つ相撲協会のトップが厳しい沙汰をくだすべきだったでしょう。日本の国技であることが大前提であって、心の教育は行われていたか、あらゆることが後手後手に回ったわけです。

心の病を発病したという医師の診断により、治療のためにモンゴルに帰国が決まったといいます。本来なら配偶者が迎えにくるところですが、どうも日本とは様子が違うようです。人間として横綱として余りにも未熟といえましょう。

モンゴルの大草原を流れるあのホーミーのうつくしく哀しい響き…。私は26才の青年朝青龍が故国に帰って心身を癒し、心から悔い改める日が来ることを期待しています。いかに格闘技に強くても心を喪った横綱はもう見たくはないと思っています。

まだまだ若い人です。いくらでもチャンスはありますから。3年前にも私は彼のことを書いています。他人事でない事柄もございまして。


2004年11月22日 (月) 心技体 すもうと茶人







# by tsubakiwabisuke | 2007-08-29 00:16 | ニュース
2007年 08月 23日

中宮寺門跡の記念歌集 『御仏にいだかれて』

編集委員の末席に加えていただきましてより、いくたびか編集会議を重ねて参りました。そしてついに最後の編集委員会がこの18日に開催されました。場所は京都市内の或るホテル。中宮寺様を中心に出版社の方と5名の編集委員。総勢8名。

この後晩餐のおもてなしに預かりました。写真は男性抜きの三人となって。左、冷泉夫人、右わびすけ。真ん中はいわずと知れたやんごとなきご主人公でございます。
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 『御仏にいだかれて』

この歌集は、日野西光尊門跡の喜寿を記念して、長い間詠んでこられました和歌の詠草を集め、尼公の伝記としても素晴らしい内容になっております。中宮寺は奈良であっても、もともと日野西家は京都の名家中の名家といっても過言ではないのです。

題名からすべてご門跡のご意向を受けて、5人の編集委員が審議したのちに決定したものです。編集員の方々は私を除いてみなその道の錚々たるオーソリティ。
歌集にとどまらず発起人から、挨拶をどなたに依頼するか、祝賀会の会場はなどの実行委員会の様相を呈しました。

光尊さまは、冷泉家の指導になる向陽会の古くからの歌人でいらっしゃいます。

そもそも明治天皇の思し召しによって始められ、そのご下賜金で運営されてきたという和歌の会・向陽会。

ご門跡は次のようにおよみになりました。

百二十年 受け継がれたる 向陽会 その一しゃく(歯へんに句)に居る 身の幸思ふ

また、本の題名のご染筆は、有馬頼底様。相国寺派管長。平和運動でも有名な方です。仮名をお書きになるといかにも優しい筆跡で、あらっと意外な感じを受けました。

この表紙は、龍村織物特製で、ご門跡が特注された「国宝・中宮寺天寿国曼荼羅」の絹布です。龍村織物の担当の方も何度か編集会議にいらして協議を重ねたのでした。色調といい、文様といい、香気ただよう表紙になっております。お歌はごく自然な歌風です。その上、年譜とあとがきのご文章が切々と心に響きます。

どなたでもお手にとっていただくことが出来ます。自費出版ですので購入されたい方は、中宮寺へ申し込んでいただきますよう。巻末の内ポケットにはCDが入っております。価格税込み6300円。

さて、編集委員の方々のご紹介を。

浅井与四郎氏、 向陽会の師範。北野天満宮・宮司さん。 

冷泉美智子氏、向陽会会長の令夫人。和歌の名手との評価たかい麗人。

出雲路敬直氏、歴史学者、下御霊神社宮司さん。

辻弘達氏、医学博士。表千家茶人。

わびすけ、ご存知 猫好き、茶好き、ソーセキ好き。貧相な手抜き主婦。

さて、出版社は京都に本社があります思文閣出版。専務の長田岳士氏がお世話くださいました。思文閣出版は古美術・思文閣の別経営の会社です。この度の縁はと申しますと、一昨年の私が担当させていただきました中宮寺・山吹茶会であったように思います。

                         ◇ ◇ ◇

裏千家・坐忘斎家元のお献茶が行われた際、忝くも添え釜を懸けさせていただきました。私の力などはちっぽけですべて皆さまのご協力だったように記憶しております。中でもかつて、会社で私が茶道の指導をしていた関係で、思文閣社主の田中周二氏がご家族と社員へとかなり茶券を買い求められ茶会の当日、夫人とお嬢さんたちと駈け付けてくださいました。

その時の感想文を氏は後日、送ってこられました。企業人としては自分で著書も出されているだけに、達意の文章です。個人的には面映いのですが。


 拙サイト掲載 京のあきんど 思文閣 田中周二

                          ◇ ◇ ◇

   椿先生との出会い                                      

                  田中 周二 (株)思文閣代表取締役会長

人生に於いて一期一会との言葉がありますように、椿先生との出会いがその後の生き方に多くの影響を頂いたように思っている今日です。

(中略)

話は少し戻りますが、先年久しぶりにお見えになり、何か夏目漱石の書いた作品がありますかと申されたので、書の掛け物をお見せいたしましたところ、気に入っていただきました。


ことし平成十六年四月二十一日と二十二日に奈良の中宮寺に於いて、お茶会をされるお手紙を頂きました。家内と一緒に二日目の日に参りましたところ、中宮寺山吹茶会 椿わびすけ席に案内されました。大書院正面の床の間は、裏千家当代・坐忘斎家元の書かれたものでございました。待合には、漱石の軸が掛けてありました。先生に聞きますと、漱石の書に柳の語句がありましたので、四月にあわせて掛けられたとのことでした。


普通お茶席には文人の軸は使われませんが、今までにない新しい試みとしてお使いになった椿先生の出色です。


中宮寺・本殿の落ち着いた部屋で椿先生みずからのおもてなしでいただいた一服は、俗の世界におります私に断ち切ったひとときの心休まる静かな時間でありました。


久方ぶりに心洗われる中宮寺だったと家路に着きました。






# by tsubakiwabisuke | 2007-08-23 00:57 | 京都
2007年 08月 20日

お励ましのメールに一層の精進を自分に誓う

なんの因果か、夏目漱石に魅せられたのが運のつき。とまあ、こんな悪態を書くなんざぁ~困ったものでございます。漱石先生、ごめんやっしゃ~。

ことしから漱石について書いたエッセイが、6本ですか。まだまだものの数には入りません。日本インターネット新聞は元朝日新聞社編集委員の方が創立したマスメデアで、私は連載コラムニストの末席を汚しております。簡単な紹介が出ておりますのでこちらもご覧になっていただければ嬉しいです。

きっすいの京都人、津田青楓・西川一草亭兄弟と漱石
漱石は、京都に深いつながりを持っていた。今回は、門下となった京都出身の画家、津田青楓とその兄、西川一草亭との交流にスポットを当てた。(椿伊津子)2007/08/18

漱石の参禅体験 取り入れられた作品の数々
漱石と禅との関わりは鈴木大拙が「羅漢のような居士」として登場する小説『門』や釈宗演から「無字」の公案を与えられた事などが書かれたインタービュー記事など少なくない。(椿伊津子)2007/08/08

京都の取材から書かれた漱石の『虞美人草』と『門』
漱石は旅行をした後、必ずその見聞を作品に取り入れています。明治40(1907)年3月下旬から4月上旬、京都を旅行。漱石はその間、新聞に掲載するための記事を書いています。まさにニュースにふさわしい早業の執筆といえましょう。(椿伊津子)2007/07/30


漱石が京都で買い求めた高価な半襟
夏目漱石先生は、明治42(1909)年10月、2日間だけ大阪から京都に立ち寄った際、わざわざ四条の襟善に一人で買い物に行っているのです。 それも案内なしで当初から予定していたフシがあります。(椿伊津子)2007/07/26

夏目漱石の縁(えにし)祇園と多佳女
多佳女と漱石についてはかなり多くの論評がなされています。「漱石は花街に無理解な人間だ」「漱石という人間は京都にしっくり来ない」「お茶屋・廓と漱石とはイメージが合わない」さあ、真実はどうなのでしょうか。(椿伊津子)2007/07/13

京都の風流を愛した漱石 祇園の多佳女の看病に癒された日々
京都は漱石にとって縁うすい都のようですが土地との繋がりというより漱石を看病した祇園のお多佳さんの様に人との深い縁があり「風流」を愛した日々のある都ではなかったのでしょうか。(椿伊津子)2007/06/19


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漱石研究に関連して、その後もお励ましのメールが届いております。一層の精進をと自分に誓うのみ…。心からのお励ましに感謝申し上げます。みなさまのご好意に甘え、一部をご披露させていただきましょう。


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2007/08/21   なまず様(ジャーナリスト)

わびすけ さま

お暑うございます。夏椿のひそやかさに涼を感じております。

「古都つれづれ」拝見しました。京都、漱石、茶道 の組み合わせ、 わびすけさん ならではの「論証」とおみうけしました。興味深く おもしろく読ませていただきました。

くすっと笑えそうになったのは 西川家の茶室訪問日記。
「布団の上にあぐらをかき壁による」「茶事をならわず勝手に食ふ」 そして底冷えの寒さに震えるー。等身大の漱石を感じました。

やはり漱石の話になるとわびすけさんの筆の運びがいっそう なめらかになってきましたね。でも このあたりで閑話休題のつもりで漱石を離れた「京のつれづれ」をはさんでいただくのはいかがでしょうか。

読者の立場では 一息いれたいところです。
続く漱石がらみのリポートにもインパクトを与えることになるのではないでしょうか。





2007/8/20 02:07 松岡陽子マックレイン様 

伊津子様

 お返事遅れまして、申し分けございません。避暑地のようなところに住んでいるため、夏は何となくお客様が多いのです。

 「きっすいの京都人。津田青楓・西川一草亭兄弟と漱石」は大変面白く、またまたいろいろ新しい事を習わせて頂きました。津田青楓、一草亭との、尊敬し合いながらの親しい交わりも、漱石らしいと思います。伊津子様ならではの、漱石の一面の貴重な記録です。このエッセイを読んで、漱石が京都で俗塵をふるい落としたと言っているのがよく分るような気がします。私自身も京都とは本当にそういうところだと、訪ねる度に思います。そしてそんな昔の面影をいつまでも留めてほしいと思っています。

 私事ですが、今住んでいる家がもう二年もすると、五十年、あちこち傷んできているので、今大工が入って直しています。そんなことも少々落ち着かない理由ですので、ご無沙汰お許し下さい。そのうち台所修理に移ると、お料理を階下の洗濯場の流しを使い、オーヴンもなく、ホットプレートでお料理をすることになり、今からその不便さを少々恐れています。

 ではまた。
 
陽子



2007/08/09 01:36  松岡陽子マックレイン様     

伊津子様

 いつもよく文献をリサーチされて書かれるので、今度のものからも習うことが多く、大変面白く読ませて頂きました。最後の「文学でも人をして感服させるようなものを書こうとするには、まず色気を去らなければならぬ。」というところは、彼の「則天去私」を思わせます。つまり「人を感服させるものを書こうと思って書くとそんなものはできない、ただ無心に書く、つまり彼のいう色気を去ればよいものが書けるということでしょうか。そこに漱石と禅のつながりがあるように私には思えます。

陽子



2007/08/20 08:28  伊豆利彦様

椿さま

いま、漱石を読む会で『虞美人草』を取り上げていて、京都と漱石についてあらためて考えています。
晩年の京都行きが『道草』を生んだと思いますが、この京都行きについて、ていねいにお書きくださりありがとうございました。
なお、孫文の言葉を紹介してくださってありがとうございます。
ただ、次のURLが開けません。

伊豆利彦



2007/08/09 16:13 伊豆利彦様

椿伊津子さま

「漱石の参禅体験」読ませていただきました。
長年の蓄積の上に書かれた論に教えられることがたくさんありました。
ありがとうございました。
今後ともよろしくお願いします。

  伊豆利彦




このほか、私のお待ちする人はまだいらっしゃいますが、
どうか早くいらしていただきますよう(#^.^#)。


公式サイト掲載記事へ 諸先輩の方々からご感想をいただいて
2007-07-14

専門家・研究家・真摯な学究の知己 2007-08-01







# by tsubakiwabisuke | 2007-08-20 17:51 | 夏目漱石