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2007年 10月 21日

ND小学校学院祭 クリスマスローズの大判写真が茶会に


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仲良しのシスターCと私服のシスター、ND小学校・シスターベアトリス校長。保護者会長の方々とごいっしょに。2007/10/14

◇本日IT新聞のコラムに拙稿が掲載されています。

小学校の礼法室に飾られた「クリスマスローズ」の大型写真

http://www.news.janjan.jp/column/tsubaki/list.php

http://www.news.janjan.jp/column/0710/0710204259/1.php

10月14日(日)、京都市内の名門私立として知られているノートルダム学院小学校の学院祭に、お招きを受けて行ってまいりました。保護者の方々も子どもたちも作法に則りお茶を飲んでいます。カトリックの小学校が日本の伝統文化をごく自然に取り入れているのが京都ならではといえましょうか。(椿伊津子)2007/10/21



記事の続きは、そちらをご覧いただくこととして、ここでは当日の写真をアップいたしましょう。

最初にタイトルになっている写真は、一昨年東京で開催されたプロ写真家・関健一氏の個展で展示されていた作品です。クリスマスローズがすぐ後に見えますでしょう。

個展の会場で関さんと並んでいるのはわびすけ。この時、何枚かの作品を購入させてもらいました。その中の1枚がこのクリスマスローズだったのです。

カトリックのND学院にふさわしいと考えていたのが実際にこうして礼法室に飾られているのを見ますと、感慨ふかいものがございます。

写真がどうもうまく表示されませんので、ココログのほうを覗いてみてくださいませ。

母性そのものシスターのまなざし。たくさんお土産をくださいました。感謝!

聖像の足元にノートルダム小学校の生徒の制服を着たミニチュア人形が目に飛び込んできました。学校のいたる処に細やかな愛情が感じられて、ここで学ぶ子どもたちは恵まれているなぁ~と実感したのでした。





by tsubakiwabisuke | 2007-10-21 16:56 | 京都
2007年 10月 18日

漱石の悪妻説をくつがえす!新しい女性の目線で考え直す

日本経済新聞のすぐれた掲載記事をここで紹介させていただきたいと思います。

http://waga.nikkei.co.jp/hobby/study.aspx?i=20071015i1000i1

漱石の私物・メモ集めた大回顧展 

文豪・夏目漱石(1867~1916)が生誕140年、プロ作家になって100年という節目の年に、漱石を深く知るのは興が深い。東京・両国の江戸東京博物館では東北大学所蔵の手紙、蔵書などを中心に約800点を集めた特別展「文豪・夏目漱石 そのこころとまなざし」が開かれている。漱石の直筆原稿の廉価版や、孫娘が書いた夫婦論も出て、「生」の漱石に触れる機会が広がっている。

<中略)

『漱石夫妻 愛のかたち』(朝日新聞社刊)では、孫娘に当たる比較文学研究者の松岡陽子マックレインさんが祖母や母からの聞き伝えをたどって、家庭人・漱石のイメージをつづった。孫娘しか知り得ない人物像をもとに、漱石一家の家族イメージをとらえ直している。著者の父は漱石門下の作家・松岡譲で、母は漱石の長女・筆子だ。

 鏡子には過去、「悪妻」説がつきまとってきたが、近年の研究や、家族の文章からは、こうしたそしりにはあまり根拠がないという指摘が出ている。『漱石夫妻 愛のかたち』でも著者が知る祖母の実像が紹介され、漱石作品に描かれた妻像も参考に、漱石夫婦の間柄の読み解きを試みている。

◇ ◇ ◇

税こみ 735円 の朝日新書です。

ソクラテスの妻が悪妻といわれて有名ですが、日本では漱石夫人がいろいろ噂されてきました。
しかし実際は、漱石が亡くなった時39歳であった鏡子夫人は残された6人の子供を女手ひとりで育てあげた健気な女性でした。
漱石は当時から、愛人の存在が全くない作家 だということも知られていたのですが、妻には厳しい態度をとるときにも漱石は終始妻を裏切ることがなかった男性でした。

臨終の時には、妻と6人の子供。多くの弟子たちに囲まれ見守られながら49歳で逝った文豪の最期は、若すぎて惜しみても余りあるものでしたが、人間としては幸福な最期でありました。

そうした漱石を病める時にも必死で支えた妻は、夫の亡骸(なきがら)を公共の医学研究に資するため解剖を申し出たということを考えましても、いかに女性として強靭な精神の持ち主だったかに驚きを禁じえないのです。



漱石山房のある早稲田町の祖母の旧宅で産まれた松岡陽子マックレインさん。
今では貴重な生き証人であり、祖母の思い出と漱石長女の母・筆子さんから聞いた漱石夫妻の実際のすがたが生き生きと、比較文学の研究者らしい客観的な筆致で描かれています。

悪妻説を流布させたのは多く弟子たちだったようにも聞きますし、評論家の中にはそれを元に無責任に書いた方もあったのはないでしょうか。しかし、反論すべき方は殆ど他界され公正を期すことも難くなっていくのが現状と思います。

今日あらたな目線の漱石論へと発展することも考えられる、注目すべき一冊だと読者のひとりとして感銘したことを申し添えたいと思います。







by tsubakiwabisuke | 2007-10-18 14:53 | 夏目漱石
2007年 10月 13日

愛の人・漱石の真の姿を描いた マックレイン陽子新著『漱石夫妻 愛のかたち』

松岡陽子マックレインさんのご本が発売されました。朝日新聞社「朝日新書」70回目の記念すべき本です。書き下ろしもフレッシュならラッキーセブンのナンバー70もナイス!

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内表紙の説明文はとっつきやすく、然も格調をもってこの本の内容を見事に表現しています。以下そのコピーを。画像は紀伊国屋書店サイトのものです。

漱石の夫婦愛、漱石の親子関係、漱石と家族観―

死後90年以上たっても読み継がれる文豪の素顔。
愛の人・漱石の真の姿が、孫娘の筆で、浮かび上がる。


第1章 漱石について聞いたこと、思ったこと(借家住まいの漱石;漱石生前の経済状態;おしゃれな漱石 ほか)
第2章 祖母鏡子の思い出(祖母という人;鏡子の戸籍上の名前はキヨ;気前のよかった祖母 ほか)
第3章 母筆子の思い出(母筆子と祖母鏡子;私の人生で一番影響を受けた人は母;母の愛 ほか)

☆筆者紹介

松岡陽子マックレイン[マツオカヨウコマックレイン]
1924年東京生まれ、父、作家松岡譲、母、夏目漱石の長女筆子。1945年津田塾専門学校(現在津田塾大学)卒。1952年ガリオア(現在フルブライト)資金で米国オレゴン大学に留学。当地で結婚、そのままオレゴン州ユージン市に残る(夫Robert、1990年に死去)。一男出生後、大学院に戻り比較文学専攻。1964年から1994年まで30年オレゴン大学アジア言語文学部で日本語、近代文学の教鞭をとる。現在オレゴン大学名誉教授。

主な著書に『漱石の孫のアメリカ』 『アメリカの常識 日本の常識』
『英語・日本語コトバくらべ―日本語教授30年の異文化摩擦 』
『退職後の人生を愉しむアメリカ人の知恵 』など多数。




私は一気に読ませていただきました。

『漱石夫妻 愛のかたち』

興味深い写真も多くて、内容がこれまた独自の視点で新しい展開になっていると思いました。鏡子夫人への見方もひいきの引き倒しになることと全く対極にある、公正な記述でありなんといっても学究の態度であることに、感動を覚えます。(漱石夫妻の次女の恒子様の結婚を決めたのは、母親の過干渉であったこと。その悲哀など)

20代の若手の編集者の担当とかで、若干の不安もなくはありませんでしたが、この出来上がりなら、「愛の人・漱石の真の姿が、孫娘の筆で、浮かび上がる。」の表紙裏のキャッチコーピーがそうだ!と真実味を帯びて頷けます。

もとはポーランドの大学に招聘されて行った講演を記事にされたそうですが、編集に若さのいい面が出ているようです。若さはいいものです。

読みやすくても決してミーハーの雰囲気ではなく、啓蒙的な高さが感じられます。
内容がこれまでよく見られる二番煎じや三番煎じの漱石本と違い、すべてオリジナルといってもいい新鮮な書き下ろしであることも値打ちがあるのではないでしょうか。

著者の陽子さんには祖父に当たる漱石先生は元よりですが、お父上の松岡譲先生の堅実な素質を受け継がれていることがこの本で分かるような気がいたしました。

表紙の帯も見合い写真の鏡子夫人と青年漱石。これでみますとどことなく美男美女のカップルにみえますね。マックレインさんがお祖母さまに生前、こんな会話をなさったとお書きになっています。



「漱石の昔のお弟子さんが訪ねて来たことがあった。彼が私に、「お祖母様にそっくりですね」と声をかけたら、祖母が、「私が若い時は陽子よりはずっと美人でしたよ」と言ったので、○○氏は苦笑しておられた。」

飾り気のない家系と申しますか。ほほえましい会話でした。
野上弥生子さんが生きていらしたらどんなにお喜びになられたでしょうか!







by tsubakiwabisuke | 2007-10-13 23:13 | 夏目漱石
2007年 10月 06日

見聞記 江戸博物館で特別展「文豪・夏目漱石そのこころとまなざし」


江戸、隅田川、両国、言問橋(ことといばし)とイメージが続きますと、かの有名な在原業平の和歌が浮かんでまいります。

名にし負はば いざこと問はむ都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと

『古今和歌集』に収められ、『伊勢物語』第八段にもみられます。都鳥はいまでいうユリカモメのようですが、歌の本意は鳥にかけて京の都に残してきた想い人は、いまどうしているのだろうと、恋する男のこころを詠んだものですね。

今回の東上で、この言問橋に立って私は都鳥を見ることはありませんでしたが、関東大震災の復興事業として造られたこの橋梁の欄干と縁石が記念碑として保存されている場所に行ってまいりました。

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江戸東京博物館はこうして京都と繋がっていると思いますのも、夏目漱石特別展を開催されることに喜びを感じるゆえでございましょう。イワシの頭も信心ということとまあ、遠からず、、、でっしゃろか。

さて、IT新聞に10月6日今日の日付で拙稿が掲載されたようです。開会式。内覧会は9月25日でしたから今となってはニュース価値に乏しく、遅ればせながら文化欄の記事になりました。あちこち削られています<笑)

IT新聞 tsubakiコラム 古都つれづれ

江戸博物館で特別展「文豪・夏目漱石そのこころとまなざし」


 の記事の下に「この記事が気に入ったらクリック 」という欄がありますので、できればポチっと押してやってくださいませ。

一応、ここにも原稿を出しておきましょう。

                         ◇ ◇ ◇

椿 わびすけの 「江戸東京博物館特別展・開会式内覧会 見聞記」

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写真はいずれも筆者撮影。

東京の両国にある江戸東京博物館で特別展「文豪・夏目漱石」が開かれていますが、それに先立って開会式・内覧会が9月25日にあり、行ってまいりました。開会式で聞いた主催者側のスピーチは興味深いものでした。この特別展は11月18日〈日)までです。

 開会式というと、ある緊張と期待を呼び起こすものです。それも敬慕する漱石先生の未公開資料を含め、一挙に展示される特別展なのです。ご招待状を受け取った時には、感激に震える思いでした。

 開会式場の壇上には「東北大学100周年記念、朝日新聞入社100年、江戸東京博物館開館15周年記念」とパネルが掲げられ、その下に大きく「文豪・夏目漱石 そのこころとまなざし」と印象的なサブタイトルがぐっと引き立っています。

 主催の江戸東京博物館から竹内誠館長が最初に挨拶。「東北大学は100周年、朝日新聞社入社100年、という後でわが江戸博物館は開館わずか15年ということで、どうも……」と頭をかかれるそぶりでユーモアたっぷりのスピーチでした。

 「漱石の人柄、大きさ、多くの人をひきつける魅力を見ていただきたい。実は、私は漱石については何も分かっておりません。学芸員の2人がすべてやってくれ、ここで私が偉そうにしゃべっているのは彼女たちの受け売りであります」

 そこで2人の学芸員を呼ばれ、壇上であらためて紹介されました。なんと、フレッシュな若い女性の学芸員、橋本由紀子さんと金子未佳さん。私は思わず拍手をしましたが、会場の皆さんも家庭的な空気で拍手をなさっていたようでした。物分かりのいいお父さんが娘自慢をしているような趣があってほほえましかったです。

 2番目に立たれたのは、東北大学副学長・東北大学図書館の野家啓一館長。漱石が朝日新聞入社第1作の『虞美人草』を発表した明治40年6月3日の新聞コピーを説明されました。

 「『虞美人草 一』とある記事の隣に東北帝国大学設立の辞令が掲載されていることからも、漱石と東北大学との深い因縁が……」。漱石の愛蔵した書物3000冊が東北大学にあること、漱石山脈といわれた中の小宮豊隆、阿部次郎が東北大学の教授であったこと、に続けて、漱石研究に貢献のある3人の教授を紹介されました。

 3先生が壇上にお上がりになり、深々と頭を下げられました。皆さま篤実な学究の雰囲気をお持ちでした。ただ、漱石文庫を長年丁寧に管理されてきた図書館の館員の方々にも壇上に上がって頂ければ、もっとよかったのにと思いました。

 しんがりの挨拶は、朝日新聞社の船橋洋一主筆。「生誕や死後を数える例は多いですが、入社100年というのは漱石をおいては他にいない。当時の主筆・池辺三山と漱石は非常に似通った価値観を持っていた。新聞記者となった漱石は社会的なときめきと驚きを日々読者に伝えた。三山と漱石は知的大衆をつくったということです」

簡潔で心のこもった開会式はおひらきになり、あとは特別展の内覧会に移りました。


                             ◇

 「そのこころとまなざし 」。このフレーズが生き生きと感じられるのは、文豪漱石と人間漱石の、ありのままのすがたを見ることができたからでしょう。愛用した着物や家族への書簡のほか、鏡子夫人への結納目録なども貴重でした。他人への情愛ある「父のまなざし」を受けとめることができました。

 英国への航路を図にしたパネルや購入した原書の展示もよかったです。ロンドン時代の蔵書400冊を知るにつけ、満足な食事もとらず勉学に打ち込み、病に苦悩した漱石に涙の出る思いでした。細かい書き込みがあるものは暗い照明のなかで読むのは困難でした。拡大したパネルがあれば有り難かったのにと思いました。とにかく漱石の全容を伝えるのは大事業です。

 公式ガイドの執筆もほとんど学芸員おふたりの手になるものですが、辛口の評者の「オリジナルなものでなくダイジェスト。会場の記述にも間違いがかなりあった」との声もありました。しかし、若い世代が漱石にこのような真摯な取り組みを行ったということに、私は驚きを禁じえませんでした。これだけすばらしい資料をふんだんに見せていただいた展覧会に、心から感謝したいと思います。

 老婆心から申しますと、「江戸東京博物館、東北大学編」となっている以上、もっとお互いに相談をされ、入念にことを運んでほしかったと思います。ガイドブックの「漱石略年譜」は西暦のみで和暦の併用がなく、江戸と銘うっているにしてはキリスト生誕を基にした西暦だけというのはいかがなものか、と思ったのも正直なところです。

                             ◇

拙サイト 仙台へ 東北大学『漱石文庫』を訪ねて






by tsubakiwabisuke | 2007-10-06 14:30 | 夏目漱石