blog 漱石サロン ランデエヴウ

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2007年 02月 27日

まもなく利休さまのご命日

2月28日は、利休居士の祥月命日になります。
大徳寺聚光院で法要が行われその後、追善の釜が懸けられます。去年は今日庵の当番で、淡敬会は三玄院で一席ご奉仕させていただきました。

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裏千家ホームページにその日のようすが掲載されております。
18年02月28日 利休居士毎歳忌


利休忌・淡敬会席(三玄院)
ご宗家の皆さまをお迎えして、点前をさせていただきましたわびすけの光栄。忝いことでございました。


◇ ◇ ◇


先日、研究会での阿部先生のお話を、ここで待っていらっしゃる方々が多いと思います。
会場から質問があり「八炉」について解説されました。

☆除夜に丸ぎっちょを8本くらいよく熾っているものを炉の中に入れ灰をかけ埋め火とする。

☆利休堂は、三畳中板の茶室になっている。炉は本勝手出炉である。

☆元日。除夜の埋め火をその炉に下火として移し、梅の井から午前4時に汲み上げた若水を釜に入れ準備をする。

☆家元が台天目の点前をされる。利休居士に供えられた後、大宗匠へすすめられる。
大宗匠は、「家元からどうぞ」と仰せになる。ご一族がおごそかに順服される。


裏千家宗家の大福茶は、このように利休御祖堂で行われるのです。
…というように私は記憶しますが、間違っているでしょうか。

利休御祖堂はにじり口があり、小間の名席であることを是非知っておいていただきたいのです。
利休さまの等身大の立像と、宗旦さまの小さい坐像がおわします。


ここで、私は準教授、教授、正教授の親授式をしていただいた日々のことを忘れません。
当時の鵬雲斎家元と坐忘斎若宗匠がお坐りになり、直接手渡しをしていただきました。御祖堂は厳粛にして澄み切った空気が張りつめ、感激に心ふるえるのでした。


利休忌。名誉師範を拝受される方々はこの日に、最上の栄誉に浴されるのです。
目安としては80歳前後の、裏千家茶道に貢献ある先生方。
おめでとうございます。




JanJan コラム 古都つれづれ 大徳寺・千利休居士の毎歳忌






by tsubakiwabisuke | 2007-02-27 00:27 | 茶の道
2007年 02月 24日

裏千家 利休堂のお話 元日には大福茶の点前が

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数年前になります。この写真を撮ったのは。結界が置かれているのは入室禁止のおしるしなのです。

裏千家ホームページに、わかりやすく「茶室案内」が出ておりますので、ご参照頂きますよう。
裏千家宗家 利休御祖堂
 

つぎに畏れ多くも2002年の春、許諾を得ておん祖堂のなかを撮影。

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普段は入れない聖域に、特別にカメラを持ってお参りさせていただきました。

漱石の孫・マックレイン陽子先生をご案内して利休堂の見学を許された日のこと。今思い出してもまことに勿体ないことでございました。

2002年春 Mrs.松岡陽子マックレインの京都


先日の淡交会・研究会で、阿部業躰のお話がこの重要な「利休御祖堂」のことだったのです。

少しづつ書き足していこうと思います。







by tsubakiwabisuke | 2007-02-24 20:53 | 茶の道
2007年 02月 22日

猫の日に 年季のいった家族たち

日本記念日學會、それを作られた富山いづみさんによれば、次のようになります。
http://www.nnh.to/02/22.html

☆猫の日
「英文学者の柳瀬尚紀さんらによる「猫の日制定委員会」が1987(昭和62)年に制定。
ペットフード工業会が主催。

「ニャン(2)ニャン(2)ニャン(2)」の語呂合せ。全国の愛猫家からの公募でこの日に決まった。」


はい。今日が猫の日ということになります。ちなみに犬の日もちゃんとありますよ。

☆犬の日
「ペットフード工業会等6団体が1987(昭和62)年に制定。
犬の鳴き声「ワン(1)ワン(1)ワン(1)」の語呂合せ。」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

まあ他人行儀とでもいうんでしょうか。猫を可愛がるにんげんは意外と多いのに、わざわざこんな日を作らなくてもいいんじゃぁないかっておっしゃるのですか?

でも世の中には猫が大嫌いなひとが多いのです。以前、全国では1年間に、39万匹余りの猫や犬が処分されているというニュースが出ていました。野良猫が増えないように地域の野良猫に避妊・去勢手術を施す愛猫家もおられますが、行政側の理解と対応がまだまだといったところです。

これは世の人々への注意を喚起するという意味で、記念日が作られたのでしょうね。
わが家では1匹の猫と18年ちかく暮らしています。家族ですから猫といえども老いを見ることになります。

この子にはモンドという名前の母親とま~という名の妹がいるのです。いえいえ、猫の実家に元気で暮らしているようで、飼い主の田村さんから折にふれて写真が送られてきます。

今日はドラのお母さんと妹、最後にうちのドラと、それぞれ年季のいった猫たちをご覧頂きましょう。

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猫の実家のおかあさん

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実家のいもうと


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うちのドラ

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水をたくさん飲みます

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おなかがふくれています

獣医さんから癌の宣告を受けてからも、ドラは毎日元気でいてくれています。
右のお腹にソフトボールくらいの癌があると、レントゲンから判明したのです。最近は左のほうも膨らんできました。いろんな食べ物を少しづつ口にします。でも一番すきなのは新しい水道の水です。

水って、口の中を清めてくれるみたいですね。水を飲んだ後はとても安らかな表情に見えるのです。

ありがとうね。ドラ。いつも元気をもらっていますよ。






by tsubakiwabisuke | 2007-02-22 22:50 | 夏目漱石
2007年 02月 21日

漱石が博士号を拒絶した日 今日は漱石の日

今日2月21日は、『漱石の日』ってご存知でしたかしら?

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それに明日22日は猫の日なんですよ。
我輩は猫だからって言うのではなくて、ニャ~~、つまりニィニィっていうわけです。
文豪と猫を一緒にしてるのは偶然でしょうが、漱石先生は苦笑されてるんじゃないかと思います。

さて、誰が命名したのかわかりませんが、漱石の日と決めたのには意味があります。

漱石の日

漱石の日…1911年(明治44年)、夏目漱石が文学博士号授与の辞退を表明した日。

明治44年の2月21日でした。夏目漱石は博士号を辞退する旨を書いた手紙を文部省専門学務局長の福原鐐二郎氏に送ったのです。文部省から文学博士号を授与するという通達が来たことに対して漱石はきっぱりと拒絶したのですね。


東北大学附属図書館 夏目漱石ライブラリ 漱石の生涯 より

「また明治44年2月、文部省から博士号授与の通達があったが、漱石はこれを辞退したため博士号授与を巡って事態が紛糾した。

 博士制度は学問奨励の具として、政府から見れば有効に違ひない。けれども一国の学者を挙げて悉く博士たらんがために学問をすると云ふ様な気風を養成したり、又は左様思われる程にも極端な傾向を帯びて、学者が行動するのは、国家から見ても弊害の多いのは知れてゐる。余は博士制度を破壊しなけばならんとは迄は考へない。然し博士でなければ学者でない様に、世間を思はせる程博士に価値を賦与したならば、学問は少数の博士の専有物となつて、僅かな学者的貴族が、学権を掌握し尽すに至ると共に、選に洩れたる他は全く閑却されるの結果として、厭ふべき弊害の続出せん事を余は切に憂ふるものである。余は此意味に於て仏蘭西にアカデミーのある事すらも快よく思つて居らぬ。
 従つて余の博士を辞退したのは徹頭徹尾主義の問題である。

(「博士問題の成行」) 」


漱石は個人の栄達という観点ではなく、学問の道において名利を求める気風が養成されることを恐れたのです。
博士号によって、「学者的貴族」が生まれ、「学権を掌握し尽すに至る」弊害が出ることが、真理の探求である筈の学問を俗化へと向かわせるという判断によるものです。

そうして国家権力と学者が結びつくことを漱石は嫌悪しました。しかし、これは漱石の「主義の問題」であって、「余は博士制度を破壊しなけばならんとは迄は考へない。」と書かれているように、他に押し付けるものではありませんでした。


いわゆる文士という範疇には属さない、「学問の人」であった漱石。肩書きは無用だというのは自信がなければ言えることではありません。死に物狂いで勉強した大学者でありました。
「ただの夏目なにがしでありたい。」という信条は漱石の生死を貫いたものだったと思います。

東京大学で恩師のケーベル先生の高潔な人格に触れた漱石は、真の学究の道を求め、それを自分に厳しく課したひとだったのですね。こうした思いを後世にとどめ置くために、この日を「漱石の日」としたのは意義あることではないでしょうか。

それを決めた人の見識の高さを、私はひとり思うのです。



なお、画像の説明はこちらをご覧くださいませ。

2004年6月 4日 (金)  好漢 夏目房之介さん


鎌倉・漱石会のお友だちである横浜の吉良さんが房之介さんのサインをもらわれ、その貴重なご本をわびすけにお贈りくださったのでした。あ~~、ファンの皆さま、ごめんやっしゃ~。


さらに、NHKで放映されたETV特集 5月22日(土)のアーカイブ 

夏目漱石・夏目房之介が探す祖父”猫”誕生百年







by tsubakiwabisuke | 2007-02-21 23:27 | 夏目漱石
2007年 02月 19日

美術売り場 そぞろ歩き

淡交会主催の研究会へ行った帰りに、タカシマヤに寄ってウインドウショッピングをしました。見るだけって、ひやかしというんでしょうね。ごめんなさい。ついでに写真を撮らせてもらいました。
最初は美術売り場です。

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はい、これまで。

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7階、軽い食事をしたお店のお手洗いです。センスがいいとお思いになりませんか?


なんだか、すいすい画像がアップされます♪

コメントなくても猫が語ってくれそうですね。

研究会は講師が阿部業躰。いいお話でしたよ。また書きますね。






by tsubakiwabisuke | 2007-02-19 01:24 | 京都
2007年 02月 18日

パソコンテレビ 若者のすがた

パソコンテレビ「GyaO」というのがあります。製作はUSEN。

BS JAPAN「未来図鑑」
http://www.gyao.jp/sityou/catelist/pac_id/pac0003003/

#42
知る人ぞ知るアーティストたち。ゲストはテノール歌手 秋川雅史、詩人 chori。


今のところ最新のアップのようです。テノール歌手・秋川雅史さんの「千の風になって」はこのブログでも取り上げましたが、今回は対談で見せる素顔の彼をご覧いただけます。

製作者サイドで、千という名前にかけたわけではないと思いますが、千明史さん、ニックネームchoriさんが後半に出演。秋川さんの名前と千さんの名前と共通の「史」がつくことも偶然とはいえ面白いですね。

今の若い男性は昔の日本男子と違ってよくしゃべらはりますね。男は黙ってサッポロビールといったコマーシャルが好感された時代ではなくなっているのでしょう(^。^)。




choriさんは若者らしい謙虚な一面を、詩に描かれています。

『現代詩フォーラム』から抜粋


引越し        
chori


この家には
よそよりたくさんの神さまが棲んでいるのだった
だから
別れを告げるのに時間がかかった

父親は張り切って
母親は淡々と
妹や弟は面倒くさそうに
荷物をまとめてゆくそのかたわらで
どこにも置きどころのないぼくが突っ立っている

小さいころはずっと大きな家がよかった
大きなお風呂も茶の間もうらやましくてしかたがなかった
けれど二十年経ってみれば
ぼくの身体はすっぽり六畳間におさまりきって
ちょっとでも大きな部屋になるとぐっすりねむれない
背比べをした柱の傷だとか
いまどき神棚だとか
古臭くてたまらなくいやだったこの家じゅうに
気がつくとぼくがしみついていて

みんなの荷造りが終わりかけたころ
ようやくダンボールを引き寄せる
幼かったぼくを
はみだしてばかりだったぼくを
ずっと誰かになりたかったぼくを
ていねいに折りたたむ
急かされて何人かは入れ忘れる

背中越しに
お風呂の神さま
お手洗いの神さま
お台所の神さま
名前も知らないたくさんの神さまが
そこらじゅうから湧いてきて
なんとなく
肩を叩きあっている
家族がこの家を去っていっても
取り壊されるまでのしばらくのあいだ
彼らはここにとどまりつづける
疲れた顔をしているものや
さみしそうにしているものや
恥ずかしがって
出てこないものや
それはもう人間とほとんど変わらなくって
情けないやらいとおしいやらで
しゅっ、

音をたてて勢いよくヒモを結んだ

五人分の荷物が
トラック二台ではこばれてゆく
ぼくは最後に玄関のドアにふれた
ゆっくり
何度も
何度も
さすった
誰かが
さすりかえしてきた

車は
神さまの家からどんどん離れてゆく
たいした距離でもないのに
引っ越すというより
家を捨てた気分になって
助手席で
そっと泣いた


2006-11-29






by tsubakiwabisuke | 2007-02-18 16:50 | 京都
2007年 02月 17日

無実ってなんのこと? 或る中国人女性の場合

日本の大新聞は、庶民感覚ではちょっと腑に落ちない記事がよく見受けられます。
私の読みが浅いからなんでしょうか?
まあ、次のタイトルをご覧になってください。


大阪地検、無実の中国人女性を起訴…戸籍規定見落とす

http://megalodon.jp/?url=http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20070216i117.htm%3ffrom%3dmain1&date=20070217141426


● 大阪地検が、「女性が離婚後300日以内に出産した場合、子供は戸籍上、離婚前の夫の子供になる」と定めた民法772条の規定を見落とし、本来、罪に問えない中国人女性(28)を公正証書原本不実記載・同行使罪で起訴していたことがわかった。

● 同地検などによると、女性は1998年に来日し飲食店などで勤務。2000年7月、日本人男性と結婚したが、3か月後に別居し別の日本人男性と交際を始めた。前夫とは01年5月31日に協議離婚が成立した。

● 女性は同年10月17日、新たな交際相手との間にもうけた男児を出産。前夫に「(戸籍上の)父親になってほしい」と頼んだが断られたため、無断で大阪市内の区役所に出生届を出した。


● これを知った前夫が昨年1月、大阪府警に告発。書類送検を受け、同地検は同10月、女性が「前夫の子でないことは認識していた」と述べ、無断で前夫名義を使ったことを認めたことなどから「うその出生届を出した」と判断、在宅起訴したが、12月の初公判で弁護人からミスを指摘された。

 
●清水治・大阪地検次席検事の話「民法の規定に照らして虚偽申告といえるのかどうかに気付くべきだった。女性には申し訳なく思っている」

(2007年2月17日2時24分 読売新聞)





中国人女性は日本男性と結婚した後、3ヶ月で他の男性と親密な交際をしていました。夫と離婚した後で今の夫の子供を産みました。

「前夫に「(戸籍上の)父親になってほしい」と頼んだが断られたため、無断で大阪市内の区役所に出生届を出した。」

ここで問題が起きたのです。

これを知った前夫が昨年1月、大阪府警に告発しました。。書類送検を受け、同地検は同10月、女性から「前夫の子でないことは認識していた」という言質をとります。

そこで、女性が無断で前夫名義を使ったことを認めたことなどから「うその出生届を出した」と判断、在宅起訴したわけです。ここまでは誰が見ても前夫に同情するのではないでしょうか?


この中国人女性のした行為は、戦前の日本の法律なら「姦通罪」に当たるものです。女性のみを一方的に断罪する悪法ではありましたが。今は日本人女性の貞操観念がなくなり、こうした罪に該当する数は膨大なものになるでしょう。情け無いことと思います。


しかし、大新聞では「大阪地検、無実の中国人女性を起訴」としています。
「無実」なんですね。

えっ、無実ってなんのこと?

じゃあ、妻に裏切られた前の夫はどうなるのでしょうか?妻の不貞の結果、産まれた違う男性の子を、自分の子として戸籍に入れなければならないのです。

その上、大新聞には「無実の中国人女性」と書き立てられる。

いったいどうなっているのですかね???前夫の立場と気持ちを記者は考えたことがあるのでしょうか? 浮気での過ちであったとすれば、男性側より女性に責任が被せられる…それはいつの時代にもある不平等ですが。

しかし、記事自体に問題はありません。それは民法の不備によるものだからです。
この旧い法律に、おかしな規定が残っていたからです。




民法の「父子認定」を改正を 超党派国会議員が勉強会 - 共同通信(18時28分)

民法離婚後規定:裁判で認められても戸籍に「前夫の名」

 「離婚後300日以内に生まれた子は前夫の子」とする民法772条の規定をめぐり、裁判の末にようやく今の夫の子とした場合でも、子供の戸籍に前夫の名前が記される。戸籍法が記載を義務づけているからだが、親たちは「なぜ、子供には無関係の前夫の名が付いて回るのか」と見直しを求めている。【工藤哲】


世界の中でどの国がこんなヘンテコリンな法律を作っているのでしょうか?

こちらはじつにお気の毒な女性のケースです。離婚後281日目の出産といいますが、今の夫を父親とする出生届は役所に受理されなかったのです。


「 東京都目黒区の会社員の女性(38)は02年3月13日に前夫と離婚。この年の9月30日に再婚し、12月19日に双子の女児を出産した。半月ほどの早産だったこともあり、離婚後281日目の出産で、今の夫を父親とする出生届は役所に受理されなかった。

 女性は前夫に「嫡出子否認」の手続きを取ってもらう承諾を得て、前夫と子供に親子関係がないことを証明するDNA鑑定を実施。家庭裁判所の調停を経て、約3カ月後に今の夫の子として戸籍登録した。」

ところが、戸籍は別のものになっていたのです。民法が勝手に日本国民の人権を左右していたのでした。

「 裁判結果が戸籍に記載されていると気づくのは、04年夏。海外旅行のため、1歳半になった娘2人の旅券を申請しようと取り寄せた戸籍謄本に嫡出子否認の裁判の確定とその日付、前夫の名前が記されていた。

 戸籍法の施行規則は、民法772条の規定を裁判(嫡出子否認や親子関係不存在確認)で覆した場合、その手続きと前夫の名前を記すとしている。法務省によると、本籍地を移したり、役所の電算化などで新しい戸籍になれば記載は消えるが、削除されたわけではないので戸籍をたどれば確認される。」


 一方、法務省は前夫の名前を明記するのは「前夫の子ではないことを明確に示すため」としている。

毎日新聞 2007年2月3日 15時00分


どうもわかった様なわからないようなお役所の答弁ですね。

でも、大新聞の記事にも、同じことを感じてしまうのです。。。。。






by tsubakiwabisuke | 2007-02-17 14:31 | ニュース
2007年 02月 16日

能の離見(りけん)の見 隣国の記者

世阿弥は「花鏡」に、客観ということを説いています。
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西洋哲学よりも早く、こうした思想が日本にあった事実を知っておく必要がございましょう。

「見所(観客)より見る所の風姿は、我が離見なり。 ……離見の見にて見る所は、すなはち見所同心の見なり。 その時は、我が姿を見得するなり。」

「離見の見にて、見所同見となりて、不及目(ふぎょうもく)の身所まで見智して、五体相応の幽姿をなすべし。」(不及目(ふぎょうもく)とは、肉眼の届かないという意味)


古文はかた苦しいので苦手だと仰らないでくださいませ。簡単にいえば、能を舞うときに観客の目が自分を見ている、その客席の「見」をもって自分の姿を感得することが大切ということでしょうか。

ここにお隣の韓国で中堅の記者が、日本の能から『離見の見』というテーマで日韓の政局を記事にしています。この記者さんはいわゆる反日の記事とは違う、きわめてクールなものの見方をする方です。これまでも私は二度ほど記事を紹介しています。



韓国 朝鮮日報/


【コラム】「離見」の目に映る韓国の姿(上)

「離見の見」とは、日本の伝統芸能、「能」における演技の極みを指す。これは「心の目」によって、自身の姿を客席から眺めることを意味する言葉だ。他人の立場で他人を理解する「易地思之」よりもさらに一歩進んだ境地と言える。そこでこの「離見」の姿勢を借り、さまざまな想像をしてみれば、韓国人の自画像を描くのに大いに役に立つのではないかというのが、今回の趣旨だ。


【コラム】「離見」の目に映る韓国の姿(下)


日本では今でも4万人余りの韓国人が不法滞在を犯している。そして毎年8000人余りが収容所を経て韓国に強制送還されている。日本で、韓国は不法滞在者数の第1位(2位は中国)、強制送還処分の数でも第2位(1位は中国)だ。金を稼ぐことを目的に来日する技術者の数でも、中国、ネパール、インドに続いて第4位につけている。相変わらず多くの韓国人が日本で日本人の足をマッサージし、日本人の体を洗っている。


もし韓国人が中国人労働者を扱うような態度で、日本人が韓国人労働者を扱ったとしたら、われわれはどれほど悲しみ、怒りを覚えるだろうか。


われわれには決して、他人を見くびるような資格はない。他人を軽視すれば、それがいつどこで自分にはね返ってくるか分からない。それなのに韓国人は自分自身についてあまりにも知らなすぎる。われわれが行う言動がどんな恨みを買い、どんな結果をもたらすのか、無関心過ぎる。遠い客席から見れば、われわれの言動など大根役者の大仰な演技に過ぎないかもしれないという省察が決定的に欠けているのだ。

 「離見」の目に映る韓国の姿に、記者は次第に恐ろしさすら感じてしまった。


鮮于鉦(ソンウ・ジョン)=東京特派員

朝鮮日報/朝鮮日報JNS




日本人が見ても、この記事は説得力があるとお思いになりませんか。

私は昨今の日本のマスメデアにはもひとつといった醒めた気持ちをもっています。視聴率のみを重視し、世の中の啓蒙といった使命をどこかに置き忘れているのではないだろうか、と思うことがしばしばです。

隣国との関係は国家がからむと、私達の市民感情とは別の硬直した展開になります。
しかし、こうした良質の記事を読みますと、まだまだ未来があり、希望があるように思えてきますね。

画像を探しましたが適当なのがありませんので、旧年のスナップを一枚挿入しておきます。







by tsubakiwabisuke | 2007-02-16 01:04 | ニュース
2007年 02月 14日

炉には、地摺り(じずり)の羽を

茶道には炭点前というものがあります。
炭点前には、風炉と炉とそれぞれ点前と用具の使い方に違いが出てまいります。

羽箒(はぼうき)は、鳥の羽で作られたものを清める茶の用具です。古くから鳥の羽は塵埃(じんあい)に染まらない清浄なものとされました。炭点前の際、風炉の場合と炉の場合、羽箒も作り方が変わります。


さて、今は炉の時期ですから皆さまは炭点前をなさる時、羽箒はどのようなものかご存知でしょう。炉縁(ろぶち)から五徳、畳、さらに席中を掃き清めるのに使用されるのをご覧になっていることと思います。


ここに茶道の古典である『凌雲帳』を、ご紹介させていただきます。表千家の貴重な書物で裏千家の点前も共通するものです。

小西酒造株式会社運営のウェブサイトより引用。
凌雲帳 地の巻

「一 羽箒(はぼうき)

 羽箒(はぼうき)には、左羽(ひだりばね)、右羽(みぎばね)、双羽(もろは)、掃込(はきこみ)の四種あり。

 羽(はね)は鶴(つる)、雁(がん)、鷲(わし)、梟(ふくろ)、野雁(のがん)、等を用ふれども、鶴を最上とす。

 野雁(のがん)は臺子に必要なり。掃込(はきこみ)は白鳥(はくちやう)を用ふ。羽箒は總て新しきがよし」


 右羽(みぎはね)は風爐の本勝手、爐の向切(炭の逆勝手)に用ふ。

 左羽(ひだりばね)は爐の本勝手、臺目、隅爐、逆勝手及風爐の逆勝手に用ふ。

 双羽(もろは)は中央の羽にて、左右廣狹(こうきよう)なきものなり爐、風爐、左右何れにも用ひ得るものなり。

 掃込は運び點前に限り用ふるものにて、左右二つあれども、左右の勝手、爐、風爐共右羽のみを用ひ、羽の兩側を用ひて差支なし。

 男女共炭點前の後には必ず、使用した疊の上を膝をついて掃き込むべし。但し蹈込(ふみこ)み疊と道具疊とを合せて、一間半以内の席のみに用ふ。


 羽箒(はぼうき) まとめ

●炉縁の周囲、炉壇の上、五徳の爪や風炉などを清めるために掃くもの。

●三つ羽と一枚羽がある。一枚羽は真の羽箒として、炉、風炉共に使用。

●三つ羽は行・草に。炉用は左羽(向って左が広い)もの。風炉用は右羽(向って右が広い)ものを使用する。
 

このほか、青鸞(せいらん)の羽箒。裏千家宗家で台子のお稽古に使用させて頂いております。


風炉用、炉用、裏千家では利休道歌にあるものが踏襲されています。先ず、炭点前に関する利休道歌を見てみましょう。




炭置くはたとへ習ひにそむくとも
          湯のよくたぎる炭は炭なり

客になり炭つぐならばそのたびに
          薫物などはくべぬことなり

炭つがば五徳はさむな十文字
          縁をきらすな釣合をみよ

焚え残る白炭あらば捨ておきて
          また余の炭を置くものぞかし

炭おくも習ひばかりにかかはりて
          湯のたぎらざる炭は消え炭

崩れたるその白炭をとりあげて
          又焚きそへたることはなきなり


風炉のとき炭は菜籠にかね火箸
           ぬり香合に白檀をたけ

風炉の炭見ることはなし見ぬとても
          見ぬこそ猶も見る心なれ

客になり風炉のそのうち見る時に
          灰崩れなん気づかいをせよ



客になり底取るならばいつにても
          囲炉裡の角を崩し尽すな

炉の内は炭斗瓢柄の火箸
          陶器香合ねり香としれ

いにしへは名物などの香合へ
          直にたきもの入れぬとぞきく


羽箒は風炉に右羽よ炉の時は 左羽をば使ふとぞ知る


ありました、ありました。「風炉に右羽 炉の時は 左羽」 ですね。

さて、その心は。

その意味がなんのことかわからしませんでした、私には。

右が広い羽のほうが風炉の場合。左がせまい羽箒が炉用にと決められていますね。
私はこのことが分からないままでしたが、今日、ご宗家の稽古で寺○業躰先生に質問して一つの解答をいただいたのです。

86歳の最長老の先生ならではの、貴重なおことばでした。

「あのなあ、鳥に聞いてご覧。」

「鳥のことばがわかりませんので、寺○先生から聞きたいですね。」

「鳥が羽ばたいてる羽を見てみ。上に広げてるのが広い羽やろ。
下、地面に摺れている羽は狭いところや。それを地ズリの羽というたもんや。
ジズリの羽は強いし、だから炉は地摺りの羽箒を使えと昔からいうたもんなんや。」


ということでございました。忘れない内に覚書としてしたため、ご披露いたしますね。


今日は次の間で大炉のお稽古。私はしんがりで薄茶をさせていただきました。






by tsubakiwabisuke | 2007-02-14 16:10 | 茶の道
2007年 02月 12日

タカシマヤ 第55回上品(じょうぼん)会

高島屋から、「上品(じょうぼん)会 特別ご内覧々会」の案内状が来ました。ここ数年、自分には無縁のせかいなどと思い込んで行かないことが多かったのです。でもまあ、目の保養をさせてもらうのもいいかと、一人で出かけてスナップをパチパチ。ごめんやっしゃ。

京都の大きいホテルは経営がよその資本へ移行してしまいました。ウェステン都ホテル、今日はここで、「第55回記念 高島屋 上品会」が開催されたのです。このあと、全国各地で巡回される予定と聞いております。雰囲気なりとチラリ、ご覧いただきましょう。

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高島屋資料館(大阪)には、日本の名画が収蔵されており、美術部創設のころの名画を今回、同人名家がしのぎを削ってきものにうつしたものが展示されました。

● 原画作家

 「世界三景 雪月花 」高島屋資料館所蔵より

● 山元 春挙。 (訪問着 ロッキー新雪・ 千總製。) 
● 竹内 栖鳳。 (訪問着 ベニス旅情・ 矢代仁製。)   
● 都路 華香。 (訪問着 春爛漫 )  ( 綴れ帯 吉野観桜・岩田製。)


● 神坂 雪佳。 (訪問着 春秋の華・千切屋製)
● 竹内 栖鳳。 (訪問着 大島紬。秋韻爽々。光琳風草花図より。秋場製。)

いずれも京都ならではの見事な出来栄えです。

私としては、大島の訪問着(秋韻爽々)に引き寄せられました。
古典的な大島もいいですが、これはまた、すばらしいデザインと職方さんです。

帯は龍村のシンプルな雀。じつにいい取り合わせです。
できればこうした美しい着物が日本人に愛されて、生活を豊かにできることになればどんなにいいでしょうか。お金のある方々、どうぞお買い上げくださいませ。

そんなことを感じながら帰途、私はバスに乗っておりました。
この車中がたしかに私の住む庶民レベルのせかいだなあ、なんてクスクス…。

それにしても、たのしかったひとときでした。






by tsubakiwabisuke | 2007-02-12 23:46 | 京都