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2006年 10月 31日

市政協力委員 町内会ノート

♪ サガシモノハ ナンデスカ ♪

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井上陽水の歌ではないけれど、4月で任期を終えた町内会のお世話役でしたが、とんでもない結果報告になったのでした。

40年も前からの町内会引継ぎのノートを紛失してしまった、という大失敗をしてしまったのです。会計報告はすでに出来ていましたし残金などには問題はありませんでした。

私はそのお詫び文書を回覧板でまわし、その上町内の方々が集まられた席上で自分のミスを謝罪しました。新しいノートを次の当番の方へ引継ぎましてからも、心が晴れず鬱々としていたのです。

ところがどうでしょう。
あれだけ探しても見つからなかった町内記録の箱が、なんと書庫の本の上に乗っかっているではありませんか!
ここに置いていたことを忘れていた自分。ゴミと思い込んでゴミの日に捨てたのに違いないと思い込んだというのも、ひどい老化現象なのでした。

助かった!!!町内会のひとつの歴史が消えなかった!
旧い記録が残っていたのは、また私の若い日を思い出させてくれることにもなりました。

じつは、私の住んでいる町内は殆どが庭付き一戸建ての古くからある住宅専用地なのです。ノートにはかつて私が京都市の市政協力委員をした報告書も入っていました。

いくばくかのお金を市から委員に貰ったようで、私はそれで町内に無かった消火器を購入し寄付することを考えました。比較的裕福な町内ではあっても消火器設置の必要性をいう人はなかったのでした。

その時にはやはり回覧板で私は皆さんのご意見を求めています。
中には批判的な方々がありました。設置場所一つにしても自分の近くは困るという方がたもあったのです。

しかし、賛成意見のほうが多く、私のおもい通りに消火器を2つ購入し通路に置くことになりました。予算はもちろんありませんから、私の寄付ということに賛同いただいたわけです。

あれから歳月が流れました。幸い火事は起きることなく町内の用心棒として赤い消火器が2つ置かれています。なかの消化液だけは当番の方が業者を呼んで詰め替えてもらっているようです。

すっかり忘れていたことなどが思い出されて、もやもやとした自責の念が消えていきます。
あ~、救われましたわぁ~。


♪ サガシモノハ ♪ アリマシタ ♪







by tsubakiwabisuke | 2006-10-31 22:47 | 京都
2006年 10月 30日

天龍寺献茶式に 恒例のご招待

天龍寺献茶式のご招待に、ことしも参じることができました。
10時からの献茶式が無事おわり、その後、他宝塔にむかう回廊を通って野点のほうへ。
野点席はお仲間のT宗粒さんがにこにこと迎え入れてくださったのですばやく撮影しました。


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薄茶席は正客に追いやられ、今日庵席はお家元が早々に帰られた後でかろうじて末席にもぐりこみました。連れはcoco-yukoさん。

当然、画像はありません。

過去の天竜寺献茶式の記録がありますので、そちらをどうぞ。


2005・10・30 UP コメント ぞうべ 紅葉する 嵯峨・天龍寺






by tsubakiwabisuke | 2006-10-30 21:27 | 京都
2006年 10月 29日

今日庵・炉開きの日

       

数年前に撮影した画像

   
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こちらも数年前。開炉の日のご宗家・咄々斎



毎年、10月29日が今日庵では炉開きとなっています。

ことしも茶人の正月といわれるこの日に、健康な身体で参上できたことの仕合せを噛みしめているところです。

午前11時ころ、ご宗家の兜門(かぶともん)を辞去して帰宅しました。9時からのそのひと時を思い返しますと、

鵬雲斎大宗匠と坐忘斎家元とお二人が咄々斎(とつとつさい)の床を背にしてお坐りになり、ご挨拶がありました。

例年この日は宗家のお火焚きの伝統のまつりが行われますので、私どもの稽古は無く、ぜんざいと濃茶を頂戴しました。

点前は倉斗業躰。半東は長老の寺西業躰。そのお話もいつものようにひょうひょうとしたもの。

「毎年、道具は同じ。違うのは点前だけ。」

床の掛け物、 「閑適 開門多落葉」
花、 はしばみ、椿

茶入れ  淡々斎銘 「松島」  瀬戸
茶杓  昨年まではずっと一燈さんの「口切」でしたが、ことしは淡々斎「千歳」でした。


一昨年にはお家元がお出ましになっています。
そういえば、点前は毎年かわりますね。この写真はご存知、後藤業躰でした。

    
2004年宗家開炉の日に撮影。


上の写真はいつかの天龍寺献茶式(拙サイト)のなかに出てまいります。








by tsubakiwabisuke | 2006-10-29 13:35 | 京都
2006年 10月 28日

利休頭巾に大黒頭巾のお話 台子で薄茶けいこ

24日の稽古は台子で薄茶をしました。指導は寺西業躰。

実技指導もさることながら、先生でなければ聞けないお話をしてくださるのが、皆の楽しみです。

http://www.omotesenke.jp/chanoyu/3_0.html#

長谷川等伯 利休画像  


今日は頭巾について貴重なお話を伺いました。お稽古をしながら拝聴するのです。

先生のお父様は寺西宗楽業躰。淡々斎宗匠から利休頭巾を拝受された功労あるお方でした。

利休頭巾の色は表裏になっており表側は黒。裏側は赤。柔らかい絹で作られているのだそうです。

大事な点は、利休さんの頭巾にはタブーがあった。それは、「利休頭巾を外すな。」ということ。

なぜでしょうか?


利休居士には剃髪したという記録がないというのです。紹鴎には剃髪したという記録が現存しているそうですが。

大黒頭巾。これは紹鴎が大黒庵といったことで大黒頭巾ということになります。

紹鴎は剃髪、頭髪が無いため頭巾がその形をとどめているのに対し、利休頭巾は頭髪があり髷(まげ)がある形と思われる…。つまり、タブーというのはこうしたことのようです。

この等伯が描いた利休像をみますと、僧のころもを着ていても頭は当時の髷があったのか膨れている感じもします。実際は謎だったのでしょう。

利休頭巾を外すな、という言い伝えがあったのに、戦後小説や映画などフィクションがまかり通るようになった、頭巾の無い利休居士は剃髪したすがたになってしまわれました。

居士は在家の仏道修行者であって、本来は僧侶ではなかったという見方ですね。

またゆっくり、この続きを書かせていただきましょう。






by tsubakiwabisuke | 2006-10-28 01:08 | 茶の道
2006年 10月 26日

カミーユクローデルが製作した兄・ポールクローデルの胸像



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ご宗家のお稽古が終わってから左京区の日仏会館へ。

ポールクローデルとカミーユクローデルに関する本を探すためもありましたが、じつは待合わせていた人がありました。

パリから里帰りしているcoco-yukoさん。

オメデタのようですが黒いワンピースがシックでよくお似合いでした。

その画像を拙サイトの表紙に入れました。PCのルーターが故障してしばらくネットとはご無沙汰でしたが、ようやく復旧しましたので。

おけいこはのことも書くつもりでしたが、それは明日にして今夜は画像だけにしておきます。

もうご覧くださった方もおありかもしれませんが、私のスライドショーをここでもお知らせいたしますね。

スライドショー平安神宮から京大正門前 ポールクローデル
・メディアテーク小川通り本法寺 裏千家兜門






by tsubakiwabisuke | 2006-10-26 01:29 | 京都
2006年 10月 20日

平安神宮 貴賓館での今日庵席

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平安神宮といえば、時代祭りという印象が強いようです。寺院の場合は開山忌というものがあり、誰でもわかるのですが、神社の場合は???

茶道でも、その謂れを聞かれるとすんなりと応えられる人は少ないのです。昨年は桓武天皇の1200年記念大祭が京都市の一大イベントとして行われましたよね。


昨年の4月19日に私はお友達のカトリック修道女のCさんとご一緒に平安神宮へまいりました。桓武天皇の1200年記念大祭の奉納献茶式がお家元の奉仕により行われたのでした。


今でもおかしく思い出されるのは、直門の代表役員とでもいえる80歳近い方がいわれた言葉。
「桓武天皇1200年いうても誕生から数えるのか、亡くならはってからか、はっきりせんわ。」

学術経験者として自他共に認めるお方ですから皆が頷いたのはまあ自然の流れだったのです。そういえば、こちらも社寺のパンフレットをもらっても丁寧に読んだことはあまりなっかたですわ、はい。

簡単にいいますと平安神宮とは次のようでございますよ。


京都市民の氏神


○1895年(明治28年)に平安遷都1100年を記念して、平安京遷都当時の天皇であった第50代桓武天皇を祀る神社として創建された。

○皇紀2600年にあたる1940年(昭和15年)に、平安京で過ごした最後の天皇である第121代孝明天皇が祭神に加えられた。

つまり、仏教寺院の本尊に当たる「祭神」は、お二方ということなのですね。


桓武天皇(かんむてんのう,737~806) 第50代。

孝明天皇(こうめいてんのう,1831~66) 第121代。(明治天皇の父)。


御 鎮 座

○桓武天皇 1895年(明治28年)3月15日御鎮座。毎年行われる例祭となる。

○皇紀2600年に当る、昭和15年10月19日 皇紀2600年を記念して孝明天皇御奉祀。


ということのようで、どうも生死に関わる日付ではなく、ご神霊が「 鎮 座」されたという神事です。分かったような分からないようなといったところが宗教なのでしょうね。1200年の数字は平安遷都にかかるので仏教寺院の開山忌とは異なりるわけです。

○また創建を記念して平安京遷都の日である10月22日に時代祭が行われるようになったのでした。


~~~~~~~~~~~~~


今回今日庵席として使用された貴賓館は、修復の工事が完成した見事な大書院でした。このような由緒あるお席へ業躰先生のどうぞ正客にとすすめられるまま、坐ってしまい勿体ないことでした。

床は不見斎の大横もの。亀鶴寿延集の語がまことに堂々としています。

香合は乾漆。唐墨を形どったもの。

花がすっきりと立つ白貴船菊。その下に小海老草

花入れは紅毛。オランダの染付けといいましても柄は中国風。
花入をはじめお家元がすべて道具組を考えられたとか。なんといっても洗練された品格があります。

花はどなたがお入れになりましたかとぶしつけに申し上げましたら、土本先生とのことでした。
つい先刻、貴賓館の待合の前に置かれた床机で、3席も客に待たせるのはどうしたことですか、と土本業躰に文句を言ったわたくしだったのに…。

「私は関与してないよ。」と笑ってそのまま去っていかれたのを思い浮かべ、可笑しくなりましたよ。まあ、いい花が入っていたのでご破算ということでしょう(笑)。

半東に出られたのは町田師。同性の方が宗家にふたりいらっしゃいましてこちらは白髪でない、お若い黒髪の方。

親しみやすい上によく勉強をされていて、声もよく通り広間の隅々まで話が聞こえたと思います。これは大切なことですね。ありがとうございました。

点前は、以前お玄関に道具係りをしていらした角(すみ)さん。武骨といったらいいでしょうか、がっしりとした体格でぼくとつな印象を受ける方。軟弱な青年があふれている昨今、漱石の三四郎を思わせる若い男性の点前は、好ましく感じました。

でも、客不足といったところが正解でしたでしょうね。ごめんなさい。


主茶碗が一燈箱、黒楽。銘「ふじ」。
もう一つは古萩で、銘「州浜(すはま)」

この取り合わせの妙。雄大な富士山。それは海のなかにある日本という国。美しい砂浜がかすかな音色を響かせる山紫水明の国でありました、、、、。

もう言葉はいりません。美味しい薄茶をいただきました。

お菓子は栗の形で老松製。銘が「秋の声」と聞きました。
ちょっとけったいやなあ、と一瞬思ったのも正直なところでした。
天の声にも時には変なのがある、とは或る政治家のはなしでしたねえ(笑)。








by tsubakiwabisuke | 2006-10-20 23:38 | 京都
2006年 10月 19日

旧しぐれ会 今は松庵茶会10月例会 京都美術倶楽部

もとは高台寺で開催されていた格式ある茶会です。
京都美術倶楽部が母体になっているもので、古美術の方面では光悦会に次いで評価されている会でしょう。桐蔭会は会員を厳選されていますが、この会もなかなか難しいようです。

毎月9日に決まっていますので、志倶会の稽古が終わってから行くことになります。
この間の9日はうえださん、しもざとさんといった私とはウマが合う先輩(あちらはどう思っているかわからしません)と連れ立って、京都美術倶楽部へ参りました。


茶会記

待合 床  中島来章  嵯峨野

脇      菊蒔絵 硯箱

本席 床  江雪一行  菊水月在手

花入    古銅耳付下蕪

香合    堆朱舟人物      

風炉 釜  朝鮮 浄味造

棚      淡々斎好大内 表朔造

水指    菊絵 仁阿弥造

薄器    菊蒔絵 雪吹

茶杓    宗中 句銘 菊ノ露

茶碗    六閑斎手造 黒 銘 薄紅葉 竺叟 一燈箱

替      御本半使  内刷毛目

建水    唐銅合子

蓋置    青磁 夜学

菓子    栗キントン  叶匠寿庵製

菓子器   雲錦     仁阿弥造

干菓子   鳴子 雀  叶匠寿庵製

菓子器    砂張

煙草盆   長寛造

火入    安南 竹林

煙管    秋草彫


担当は 今井 寛水軒さん。


◇◇◇

大徳寺 江雪和尚の一行は大変いいものでした。悠々自在にして気宇が大きく味わい深い墨蹟でした。この一行の真下に、花が置かれていました。

花木といっても赤い実がハゼタところがなんとも可愛らしいのです。名前をお聞きしたところ、
「ああ、これは、ツリバナというんだそうです。」
帰宅して調べてみると出ていました。ここをご覧ください。

掛け物といい花入れといい申し分ない名品だったのですが、惜しむらくは花入の位置が真下であったこと。せめて少しでも下座のほうに寄せてあればよかったのにと思いました。

ご亭主は、掛け物の格に対してなさったのでしょうね。すみません。
もし、外国でお茶の会によばれてそのインテリアにとやかく言ったりはしないでしょう。茶人はその点違うようですね(笑)。

この日の道具組は、重陽の節句でした。
風炉先屏風が珍しい凝ったつくりでした。遠州好みですか、とお尋ねしました。

茶杓が小堀宗中のまことに華奢といいますか、優美な細っそりとした美杓でしたから、私はすぐ目の前の彫りのある風炉先を遠州流のように感じたのです。

詳しくは仰いませんでしたが、昭和3年に製作されたものとのこと。流派には関係ないようでした。こうした脇の道具は、芝居の脇役と同じで主役をいっそう引き立たせるものです。

茶碗の六閑斎手造は、しろうと造りとはいえない見事な茶碗でした。重くなく、少しカセた黒のなかに朱釉(しゅぐすり)がうっすらとみえます。竺叟がうすもみじと銘をつけられたのではないのだろうか…。そんなことを思っていました。

表千家・如心斎の二番目の弟が、裏千家七代竺叟宗乾。25歳の若さで急逝。
そして如心斎三番目の弟が裏千家八代叉玄斎一燈(ゆうげんさいいっとう)。

裏千家六代の六閑斎手造の茶碗に、このお二人が箱書きをされているのには今思い出しても胸が熱くなるのです。茶道の醍醐味といったらいいでしょうか。

先日の桐蔭会に、引き続きこの松庵茶会もいいものでした。
さすがに京都は本場だ、茶の心が生きていると思いながら、ふらふらといい気になっているのは私。

先輩のうえださんが車で自宅まで送ってくださいました。
いつもこの役たたずに、手を焼かせますなあ、、、。








by tsubakiwabisuke | 2006-10-19 00:15 | 茶の道
2006年 10月 18日

桐蔭会は二日に 松庵茶会は九日に 行ってきました


今日庵主宰 桐蔭会10月例会  

待合 床   月下の又六  煤嶺画

本席 床   又玄斎筆  寿

花入れ   不見斎作  竹一重切 銘 仙人 在判 共箱

香合    唐物写  玄々斎在判 独楽  共箱

釜      芦屋 菊霰 真形 柏叟 大阪初下向節 用之 認得斎箱

風炉    道安面取  宗全造

水指    古備前 南蛮頭巾 関戸家伝来

薄器    玄々斎好  秋夜棗  在判共箱 八代宗哲造

茶杓    円能斎作  銘 朝寒 十二ヶ月の内 直書 箱筒共

茶碗    一燈手造 赤 銘 名月  共箱

替      玄々斎手造 赤  添 田安徳川家宛文

替      御本半使  内刷毛目

替      黒織部 瀬戸十作 佐助

建水    保全

煙草盆   鵬雲斎好 玉栄造る

広間の床  坐忘斎家元の一行
(点心席)


◇◇◇


担当は道具商でもあり煙草盆などを製作されている高木玉栄さん。

点前はご子息。日曜稽古に入ったばかりだということでしたが感じはよかったです。
父子とも黒っぽい和服でしたが、赤の茶碗、行灯のあかりと座の雰囲気も笑いにつつまれ男の茶らしいお席でした。床の「寿」は、じつはご亭主の還暦とか。

「あれ、青年部ではなかったですか。」といえば、
「はあ、この間卒業したばっかりです。十年早く祝っております。」

なるほど。それで待合の掛け物が月見をしている又六。これって狸なんですよ。兎でないところが面白かったですね。

「人間にはまだまだなれませんので」と頭をかかれる主でした。お茶も美味しくとても楽しかったです。

とにかくご宗家への報恩感謝の心がにじみ出ている取り合わせ。
歴代宗匠がたのお作がズラリと並んでいましたが、中でも玄々斎の赤は焼いたのがどうも慶入のようだというご連客の声。ことしの光悦会の京都席を担当される大森さんならではのお話でした。

私としては、茶碗はいうに及ばず、茶杓の「朝寒し」という銘にここ数日の実感がありましたし、古備前の水指、芦屋 菊霰の釜も印象に残りました。


松庵茶会のほうはまた明日にでも会記をお知らせいたしましょう。



10・29再UP 名残の茶会 境港の旧家 庄司家 知新茶会







by tsubakiwabisuke | 2006-10-18 00:51 | 茶の道
2006年 10月 16日

シスターからいただきもの ネコカードと…

昨日はN学院小学校の創立記念日だったそうで、夕方シスターからお電話を頂きました。
ああ、もう1年が経ったんです。

おくりものが到来したのはその後でした。

栗きんとん、お抹茶、フルーツケーキ、それになんと思いがけない方からのメッセージカード!!!

写真が表示されなかったので昨夜書きかけたまま中断してしまったのでした。ドラが写ってるはんぱもんの1枚だけがなんとかUPできそうです。

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シスタージーンといえば、N学院女子大学の著名なプロフェッサーだったのでご存知の方も多いと思います。私の親しくさせて頂いている日本人シスターと修道院で同居してらしたお方。

アメリカに独り住まいされている高齢のお母さまのことがご心配で、大学が定年になったのを機に帰国されたと伺っておりました。もっと日本でご活動頂きたかったと学生も保護者も涙したものです。

シスター ジーン先生は、とっても猫を愛していらして私とはいわばキャットフレンドという繋がりなのです。光栄なことと思います。猫の愛らしい写真の裏にメッセージがかかれていて…。

思い返せば、このシスタージーンのことは2001年12月23日、修道院のねこドピイというページに書きました。アメリカ人修道女のお写真こそ出していませんが、お人柄はご理解いただけると思っています。


2001年12月 クリスマス 修道院のねこドピイ



ノートルダム学院小学校創立51周年記念”感謝の集い”


2番目のレポートの中には、お家元夫人の笑顔もご覧になれますでしょう。





by tsubakiwabisuke | 2006-10-16 02:33 | 茶の道
2006年 10月 13日

体育の日が過ぎ スケート連盟の罪を思う

体育の日がこの9日でした。町を歩くと国旗を掲げている家がありました。

あれからもう4日も過ぎ、プロ野球では日本ハムと中日が日本シリーズで雌雄を決することになりました。

毎日めまぐるしく変わるニュースに、ともすれば旧くなった事件が世の中から消えることを思い、怖いような気持ちになるのです。人の噂も七十五にちとはよく言ったものです。

スポーツは人びとの憩いであり、憂さを晴らす癒しでもあるのですね。でも、プロとアマの世界では構造が違うこと、また国際競技となれば、国家の威信をかけてという難しい問題が派生します。

日本シリーズ。こちらはもともと出発がプロ球団です。オーナーはもとより、スター選手たちもその所得金額は億単位、悪くても千万単位です。観客はといえば大抵は庶民でしょう。寒い懐から料金を払いつかの間のスポーツのドラマと美技に熱狂します。

アメリカの影響でこの国はもう戻ることができないような格差社会になってしまいました。
しかし、アマチュアの世界では、まだ通常の生活者の感覚というものが生きているのではないでしょうか。

ことしのオリンピック、私は日本が勝ち取ったたった一つの金メダルの光と影について、忘れてはならない事柄を書きたいと思います。

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                 人の牛蒡(ごぼう)で法事をする

人の牛蒡(ごぼう)で法事をする…。えっ、スポーツとどんな関係があるの?ですか。ありますとも。

 今では「法事」も葬儀屋やホテルなどが商業ベースでやっていますが、日本では昔からそれぞれの家で、先祖や亡くなった家族を偲ぶ仏式の法事をするのが普通でした。営利とは無縁の営みが「法事」ということで話をすすめます。

人さまを招くに当たって、自分ちのものではない、他人の「牛蒡(ごぼう)」で法事をする者があったというのです。昔のわが国では法事の接待は精進料理ですから牛蒡でそれを表しているのですね。目当ては法事には親戚が持ってくる香典だったという訳です。

 よく似ていますね。日本・スけート連盟。ことしの冬季オリンピックで日本が獲得した金メダルはただの1個。貴重な世界一の栄誉を獲得したのはフィギアスケートの荒川選手でした。

 ところが結果が出るまでは、荒川選手を正当に評価していたのは日本ではなくアメリカだったのです。国内では出場の選考から不充分な練習場の問題まで連盟は選手のためではなく、組織を管理するトップが自分たちの欲を達成する為に動いたといっても過言ではありません。「甘い汁吸いたかった」と白状したという元会長。


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- スケート連盟元会長、裏金工作を自在に変更
朝日新聞 11日06時05分
http://news.fresheye.com/topic/6013363/10000/
日本スケート連盟の元幹部らによる背任事件で、元会長久永勝一郎容疑者(75)が、連盟内の会計処理システムが厳しくなるのに伴い、裏金の捻出(ねんしゅつ)方法も変更して不正の発覚を免れていたことが、警視庁や…

スケート連盟の元会長が領収書を個人管理-自分の会社使い不正も

就任直後から「裏金」分配 スケート連盟の背任事件
山陰中央新報 5日

日本スケート連盟の背任事件で、元会長久永勝一郎容疑者(75)が1998年の会長就任直後から、不正な会計処理で捻出(ねんしゅつ)した「裏金」を理事らに分配、退任した2004年まで方法を変えながら続けていたことが5…


- スケート連盟の元会長が領収書を個人管理-自分の会社使い不正も
サンケイスポーツ 7日
>捜査二課の調べで、2000年から04年にかけても、取引業者を利用した約4000万円の「裏金」捻出(ねんしゅつ)が分かっており、


- 「規定なし」で私物化拍車=不正温床の国際事業委-スケート連盟背任・久永元会長(時事通信) (7日6時3分)

- 「うるさい黙れ」と威圧=ずさん経理指摘の理事に-スケート連盟背任・久永元会長(時事通信) (6日16時0分)

- <スケート連盟背任>「甘い汁吸いたかった」 動機を供述(毎日新聞) (6日15時1分)

- スケート連盟背任 城田元強化本部長聴取へ 裏金受領、不明朗会計認識か(産経新聞) (6日8時0分)

- 契約交渉、1人で仕切る=旅行社との取引で元会長-スケート連盟背任・警視庁(時事通信) (6日6時3分)

- <スケート連盟>「自由に使え」久永元会長が監事にも裏金(毎日新聞) (6日3時3分)

- スケート連盟背任 役員逮捕の会社、優先受託 水増し経費受け取り目的か(産経新聞) (5日17時27分)

- スケート連盟背任 監事にも裏金 久永容疑者、不正を口封じ?(産経新聞) (5日8時0分)

- 「自由になる金欲しかった」=久永元会長が供述-スケート連盟事件・警視庁(時事通信) (5日6時3分)

- 会長就任時「監事」にも裏金=国際事業委移転で口止めか-スケート連盟事件(時事通信) (5日6時3分)

- <スケート連盟>元会長、NHK杯流用金で株や先物取引投資(毎日新聞) (5日3時2分)

- スケート連盟調査委、裏金公表せず…一般管理費と説明(読売新聞) (4日18時38分)

- スケート連盟 還流金を独断で分配 久永元会長、求心力維持に利用(産経新聞) (4日16時37分)

http://news.fresheye.com/topic/6013363/10000/ 日本スケート連盟不明朗会計問題のニュース一覧7日18時24分更新
ニューズウォッチ


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社説では、北海道新聞(10月8日)がよいものでした。一部引用。

■社説 -北海道新聞

http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/backnumber.php3?&d=20061008&j=0032&k=200610087419

スケート連盟*不正生んだ無責任体質(10月8日)
 日本スケート連盟の不明朗会計問題は、元会長が背任の疑いで警視庁に逮捕される刑事事件に発展した。

 スケートはトリノ五輪で荒川静香選手が、長野五輪で清水宏保選手がそれぞれ金メダルに輝くなど、冬のスポーツの花形だ。

 その競技団体のトップが、競技の普及や選手の育成・強化に用いられるべき資金を勝手放題に使っていた。選手やファンに対する明白な裏切り行為である。全容解明を求めたい。

 スケートはこれから本格的な競技シーズンに入る。今回の事件が選手の競技生活に悪影響を及ぼすことがあってはならない。連盟は一刻も早く信頼回復を図ってほしい。

 逮捕された久永勝一郎容疑者は、会長だった二○○二年三月、長野市で行われた世界フィギュアスケート選手権で、運営にかかわった業者に経費を水増し請求させ、連盟に五百八十万円の損害を与えた疑いが持たれている。

 久永容疑者は同様の手口で、○四年に会長を退任するまでの四年間で総額四千万円を連盟から不正に引き出したとみられている。金は「通信費」名目で理事ら十数人に分配したほか、一千万円を私的に流用していたという。

 これほどの乱脈がまかり通っていたとは驚くばかりだ。

 同容疑者の倫理観に原因があったのはもちろんだが、トップの暴走を止められなかった連盟の体質は問題だ。連盟の内部調査で今回の不正がつかめなかったことと併せ、責任は重い。

 連盟の財政基盤は人気種目のフィギュアに大きく依存しており、フィギュア出身の久永容疑者の力は絶大なものがあったといわれる。

 多くの競技団体と同様に、スケート連盟の役員も無給である。本来の職業の片手間では、責任の所在もあいまいになりがちで、チェック機能が有効に働いていなかった。

 
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               「たおやめぶり」「ますらおぶり」


 私は既に、3月6日付けのIT新聞に書いた記事でこの問題を指摘しておりました。

荒川静香選手「たおやめぶり」「ますらおぶり」

2006/03/06

海外での冬季五輪としては史上最多の238人(選手112人)を派遣した今回の日本選手団。その結果がメダル1個に終わった。(参考:Sankei Web「メダル1個に反省の弁 遅塚団長が総括会見」)

 選手の数より多く派遣された団体関係者。選手・役員団派遣の経費には税金も使われている。競技のための環境つくりには費用を削るいっぽうで、選手のよりよき育成が出来るはずもないだろうに、団体関係者には惜しみなく出すということだろうか。競技をするのは選手である。サポート体制を充分にせず、メダルの獲得をのみ指令するとすれば、不穏当な話であろう。

「身勝手な大盤振る舞い」といった批判がマスメディアであまり聞かれないのも不思議である。日本選手団の背後にある力関係をチェックし批判する者がいなかったということは、スポーツ界にしてもマスメディアにしてもまことに不甲斐ないという他はない。



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惜しくも4位になったすぐり選手。 美しかった!


スポーツ評論家の二宮清純さんが最近するどいコラムを書かれているのを見ました。

黒い氷、日本スケート連盟はなぜ転んだか~二宮清純コラム

最後に二宮さんはこう述べてています。

「手許に連盟が出した一枚のリリースがある。今年3月14日付。メディアが提示した疑問について解答したつもりなのだろうが、答えになっていない。

 <国際競技会は収益事業として課税対象とされるため、これを運営する国際事業委員会の会計は連盟本部とは切り離して処理されていますが、最終的には連盟本部と一体として理事会、評議委員会による決算承認を受けるなど必要な手続きはとられています>

 そうであるなら、連盟の資産がこの7年間で3億円以上も目減りした損失責任は理事会、評議委員会にも確実にある。もう辞めているから関係ないとは言わせない。久永元会長にべったり寄り添っていた“女帝”が果たした役割についても捜査のメスが入るだろう。

 合宿費用など強化費のかなりの部分は国庫補助金、元はと言えば、我々の税金である。「どこでもやっていることでしょう」などと、のんびり構えているわけにはいかない。付記すれば親分子分、先輩後輩の関係が未だに幅を利かせる守旧的なアマチュアの体質も「独裁者」の暴走に歯止めをかけられなかった理由のひとつにあげておきたい。」



最新ニュース (2006年10月16日14時51分 読売新聞)

スケート連盟背任、城田元理事宅などを捜索


社会ニュース - 10月17日(火)8時6分

女帝に家宅捜索、城田フィギュア元強化部長にメス…スケート連盟背任事件


「 フィギュア界での城田氏の権力は絶大だったという。ある元選手は城田氏の女帝ぶりを「強化部長の座を利用し強化費を自分の気に入った選手だけにあて、言うことを聞かない選手は干された」と証言している。

久永さんと一緒に国内外で大会がある度にホテルのスイートルームに海外の関係者を招き、高級なお酒を振る舞う…俗に言う『サロン・デ・ヒサナガ』は有名な話」と2人の蜜月(みつげつ)ぶりを語るスケート関係者も。

遠征先などでは取り巻きの関係者3、4人と“城田軍団”を形成。「遠征の飛行機は選手らがエコノミーで、城田さんたちはファーストかビジネスクラス。おそろいで買い物するのが好きでトリノ五輪前の視察でも、みんなでエルメスのバッグをキャッシュで買っていた」(関係者)。」


城田さんという「女帝」は、「実家も嫁ぎ先も病院という生粋のセレブ」ということのようです。
特権意識、貰って当たり前の感覚があったとしたら残念なことです。

 
それにしても、賢明な荒川選手はこうした過去には無言を通しています。
独裁者には擦り寄らず、わが道を行く生き方をしたのは人間として立派だったと思いますね。






by tsubakiwabisuke | 2006-10-13 20:47 | ニュース