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カテゴリ:京都( 60 )


2006年 07月 10日

京都美術倶楽部 松庵茶会 七月例会

受付で会員券を出したところ、へえ殆ど欠席ですな、と言われてしまった。

ここは京都の茶道具商のなかでも有名な店が輪番で、釜を懸ける月例茶会である。

客は会員制になっており、京阪神の道具好きの数寄茶人で占められている。

誰でもすぐに入会できるような組織ではないし、審美眼を養うにはいい場所なのだ。


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茶席の廊下 屏風に注目! お茶屋さんのきれいどころの 団扇でっせ


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次は屏風の裏側をみたところ

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こちらはなんの模様か あてとうくれやす。


茶会の道具は、祇園祭にあわせたご趣向で、なかなかのものであった。


床、 神   碌々斎   署名は 宗旦トアリ

花  祇園守り

花入  南蛮サハリ

香合  蒔絵 時代琵琶

風炉先 松花堂好 葦

溜水指棚  松花堂好

水指 オランダ タバコの葉

釜 車軸  浄久

風炉 紹鴎形土風炉 了全

敷板 荒目 宗哲

棗 片輪車 胡民

茶杓 碌々斎  剣鉾

茶碗 一入 平 淡々斎銘 滝の白玉

替  刷毛目 道八

替  夏越  和全

菓子鉢 義山

お菓子は、なんだっか、う~ん、思い出せない…。

私が正客だったので、こんな問答をしたのは覚えている。



「香合は 時代琵琶で、祇園祭のお囃子のつもりで出しましたが、、、」


あらあら、、、と、私は心の中でいぶかしく思った。なぜなら琵琶の音はこの祭りで聞くことはないからだ。


「よろしいですね。私は床掛け物が宗旦とありますし、宗旦さんは琵琶をお弾きになっていましたからそのことを思い出しておりました。」


「ああ、そういう見方をしていただくとありがたいです。教えられました。」


「ところで、宗旦と署名がございますが…。」


「あれは表千家の碌々斎のもので、ああした宗旦印をお持ちだったようです。」

なるほど。

ああそれで…。私が見慣れない花押のように思ったことが、やっと意味が飲み込めたのであった。

裏千家では宗旦さんといえばただお一人の方なのだ。

利休を名乗る歴代宗匠ももちろんありえない。

そうしたことをふっと感じながら、席主の松屋さんのもてなしを感謝しつつ、家路についた。
 







by tsubakiwabisuke | 2006-07-10 22:58 | 京都
2006年 07月 03日

桐蔭会 7月例会 七夕の趣向でした

今日、七月二日、桐蔭会例会に行ってきました。

正会員の大森さんといえば、京都ではあの道具屋さんですかと待合で話す方もありましたが、そうではないのです。

大阪の茨木にお住まいの「弁天さん」という宗教法人の当主といいますか、信者の方々からは教祖になる方の2代目とお聞きしています。女性は教祖に向いているというか、霊能がある方なんでしょうね。



上は数年目に撮影した写真です。今はカメラを持参したことはありません。罪人扱いをされますよって(笑)。


待合は、玄々斎自画賛。梶の葉に筆の墨絵に和歌がしたためられています。

幾あきも…に始まる歌で、最後は「星逢いのそら」。牽牛と織姫の「ちぎり」の文字も読めましたが、歌全体は忘れてしまいました。読みやすい流れだったのですが。

本席は、四畳半台目の広さに15人の客がヅラリ。正客には直門の先輩の下里宗恵さん。固辞されるのを皆で拝み倒すようにして坐っていただきました。きっすいの京おんなというにふさわしい方です。雰囲気が上品な上に、道具を見る目もお持ちです。


床は、桓武天皇皇女 池上内親王御願 大般若経跋文 。つまり写経を軸にしたものです。

花、ルイヨウボタン シュウカイドウ 。類葉牡丹という名前は初めて聞きましたし、花が咲き終ったあとの小さい青い実がついていました。

花入、天龍寺青磁 不遊カン。
この花入れに対してボタンの名のあるものを選ばれたのでしょうか。

釜 与次郎作 原叟箱。ベーシックな形、地肌も落ち着いたもの。いい道具は飽きのこないものです。

水指 利休所持 宗旦直書 木地釣瓶 
しっとりと水に濡らした古い木地のつるべは実にいいふぜいでした。

水指の前に茶入。今日は濃茶のおもてなしです。ご正客はもとより皆さまのおよろこびのご様子。

やがて点前が始まりました。

ご亭主は、きさくに話をつづけられます。
「今日は道具の取り合わせで、どうしても濃茶になってしまいました。」

正客がそれを受けられます。
「そうでございましょう。こうしたお掛け物でございますから」


「午前中、雷もなっていましたが、大宗匠がおみえになったときにさっと晴れて…、不思議なものでございますねえ。またお帰りなるときにぱっと蛇の目の傘を開かれて、それがピンクの傘で、もう助六よりも…」。

あとは主客ともども微笑…。

茶が点てられ、三客まで回されました。
茶碗  黒 平 のんこう 直書き こころ しれ 一灯箱。 

茶碗の2箇所に、「こころ」 「しれ」 と はっきりと読めます。本来なら薄茶にふさわしい茶碗かもしれませんが、ここはお数寄者の方ですからこれでいいのですね。たっぷりとした名碗でした。素晴らしい銘があったものです。さすが、のんこうです。

次碗は釘彫りの伊羅保。

いよいよ、茶入れ・茶杓の拝見になりました。

茶入 遠州蔵帳 古瀬戸 芋の子 銘 七夕。仕服 白極緞子。


「一年に一度しか逢えないいい茶入れだという話から、それでは七夕という銘にしようという古人の逸話がございまして。」

芋の子の形ですが釉薬の流れが幾筋もあって、そういえば天の川にもみえるのです。
銘のつけ方もおもしろい一品。遠州さんはなかなかの方ですよねえ。

茶杓 坐忘斎家元作 織衣。


台目の仕付け棚に 替え茶器がありました。
中棗 黒 蓋裏に 残月の文字。たしか仙叟の筆だとか仰っておりました。


たなばた 乞巧奠(きっこうでん)の趣向は、7月の茶席にはなくてはならぬものになっています。けれども、本来は旧暦による「五節句」の一つで、今の新暦で言えば8月に入ってからの行事だったのです。

ですから、そのころは梅雨の雨はなく、空は晴れて夜は天の川もよく見えるのですね。
ちなみに暦にお詳しいかわうそさんのページを参考にさせていただきましょう。


七夕の節供
(しちせき) 七月七日 笹の節句
たなばた 中国から伝わった牽牛星と織女星の星祭り伝説が元。日本では古来からあった「棚機つ女(たなばたつめ)」の伝説との類似性から七夕の日として定着。女子が裁縫や手芸、書道の上達を願う行事。


また、ことし、2006年の七夕は立秋のころ。 8/08 秋の気立つ。午前1時ということになります。

これによって、待合席の和歌に「幾あきの」とある秋の意味が理解されると思います。
私自身、どうして秋なのか?と不審に思ったのでした。
でも、そうした二十四節気のことを後で調べて納得したわけです。

ご正客は、大正末期のお生まれとか聞いておりますが、そうした故事もよくご存知でした。
私などはまだまだダメですわ(笑)。








by tsubakiwabisuke | 2006-07-03 00:44 | 京都
2006年 06月 13日

猫の主治医に叱られました

朝一番で獣医さんの診療所へいかなければならない。
私がでかけるのなら簡単だけれども、なにぶん主人公は猫である。

7時ころから居間の戸を閉めて主人公が外にお出にならないように準備する。
それから洗濯ネットを気付かれないように手許に置いておく。

朝の挨拶のニャア~の声を聞けたのでダメモトと思いながら、小さいネコカンを開けて皿に入れると意外にも口をつけた。
おや、今日は調子がいいみたい。ゆうべは主人がこの子のために買ってきたヒラメの刺身やウナギのかばやきにも、もの憂げに目をそらしていたのに。

そうして結局、人間たちはおすそ分けで頂くはめになる。でもお前が食べてくれないと寂しいよ。

猫はサッカーボールくらいの大きいガラス鉢に入っている水は、首をつっこんでピチャピチャと飲んでいる。毎日この様子を見ているので、それほど重症ではなく老衰だから仕方がないなあと、主人と話し合っていた。

しかし、獣医の先生から「口内炎かもしれないから。」といわれ、それなら痛くて大変だとはじめて病気だと気がついた。うちの猫は獣医さんのところに行くのが大の苦手で、ヤバイと察したらどこかへ消えてしまうのだ。そのため、こちらもつい猫に負けてしまうのだった。

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しかし、機は熟した。
運よく私の近くに寄ってきたかれを、洗濯ネットに無理やり押し込んだ。
それからタクシーを呼んで目指す診療所へ駆けつけた。30分はかかる距離だが、その間車中でなんとも悲しい泣き声を出してなき続ける。(拉致されたなんてと思うんじゃないよ。)

獣医科の診療所では先生とアシスタントの若い女性が朝一番の患者を迎えてくださった。

「う~~ん。口の中をよく見なさいよ。歯石がこんなについているからね。」
ピンセットで歯石を取られたあと、点滴をすることになった。二つの袋から点滴がすすむ。
「腎臓がひどく悪い。脱水症状が出ている。抗生物質と食塩水を入れているのですよ。」

あら、先生。猫は塩分が悪いと聞きますが…といった途端、先生はギョロリと私を見た。
「真水を人間に点滴したら死ぬよ。猫も同じ。塩分とか言う以前の問題だね。」

すみません。無知なものでして…とは口にしなかったがセリフは出掛かっていた。
とにかく点滴が終わった。相当悪い状態のようで来るのが遅すぎたのかもしれない。
老衰だと頭から決め込んでいたことを後悔した。

これで調子がよくならないようなら腎臓で見込みがないと諦めるんですな。」
人間の「透析」と同じことを猫に施療したようであった。
先生が追い討ちをかけるように言われたのは、患者のあるべき態度を諭されたのだろう。

うちの猫は、もともと腎臓病で亡くなったお祖母さん猫の子が母猫となって生まれたのだった。
そうした体質は遺伝しているようだ。水をあんなに飲んでいたのに脱水症状だったとは。
先生に見てもらったことを感謝した。

写真は獣医科でくださったうちわである。
他にも写真はあるのだが、なぜかアップロードできない。


まだまだ失敗談は、続くのである。

点滴の後、かれは元気になったようで哀れな声を出すこともしなくなった。ほっとした。
そこで調子に乗ってこういったのである。
「先生、ノミトリの液体のクスリ、ありますか?首のうしろにつける分、1つ欲しいのですが。」

先生は笑いながら言った。
「この子が元気になってからにしなさい。クスリはあるからあげるけどね。
大体瀕死で救急車に乗ってる患者が、これから美容院に行ってパーマかけますって言うのと同じですな。」

いや、まいりました。治療費も良心的で、人間として信頼できる猫の主治医です。
府立医大でかつて若き日、医学博士の学位を取られた異色の獣医さん。もちろん私より年上です。

そうでした。私がこの先生のことに一部分触れた記事が、じつはJanJanのデビュー作だったのです。

10・13 猫にかじられて足の指を失った記事について
http://www.janjan.jp/living/0510/0510103605/1.php




by tsubakiwabisuke | 2006-06-13 01:23 | 京都
2006年 06月 12日

仕合せを実感する日々

京都の地で、長年住み慣れた木造の古家で、主人といっしょに暮らしている日々。
最近、しあわせだなぁ~~としみじみと実感することがしばしばある。

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主人は、哲学を専攻する学究だから、理論家で理屈っぽい人ではないかと思う人もいたようだけれど、それは全く違う。

私が解らないことなどを質問することがよくあるが、主人はけっして教えるという態度で話したことがない。

「オレもよく解らないが…。」と言いながら平明なことばでとつとつと話してくれる。

また、書棚から分厚い辞書を取り出してそれを丁寧に見ながら、「ここを見てご覧。」と言う。

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こう書いてくると、なんだか劣等生の面倒を見る教師のような感じになるが、私たち夫婦は実際そうなのだ。ジェンダーフリーを主張する女性たちからは嫌われるだろう。

主人が京都大学で論文博士の学位を授与された過ぎし日の思い出も、勤務校の大学で大学院文学科長をつとめた日々のことも、私には人生最大の仕合せであった。

でも当人は、そうしたことを全く忘れたかのように恬淡としていたし、その性格は今も変わらない。私にはとても真似ができないと思う。

定年で退職してからも、一応名誉教授の名を頂いてはいるが、午前中は書斎で研究の時間を過ごしている一研究者だ。
午後になると買い物や家事の手伝いもしてもらっているが、猫のお世話もしてもらう。

主人が退職後に書きあげた書物が、最近上梓されたがそのことが、私にはこの上ない贈り物であった。先に私の仕合せの実感…と書いたのはこのことである。

学術書のなかでも訳注の本はなかなか困難な仕事とされている。30年がかりで1巻と2巻の二冊を上梓。これもお世話になった大学の出版部で実現したのだった。ネットで検索したところ、学術書だけでも主人の著書はかなり出てきた。主人に心からお礼を言いたくなる。

猫がここ数日、食事を食べなくなり、衰弱してきた。獣医さんに相談すると口内炎だろうから明朝一番に猫を連れて来なさい。とのことだった。嫌がる子を洗濯ネットに入れて病院通いをしなければならない。もう17歳の長老さんだから大人しくしていて欲しい。


by tsubakiwabisuke | 2006-06-12 02:39 | 京都
2006年 01月 17日

ねこの実家から

今日はうれしいことがふたつあった。

わが家のねこのお母さんと妹の写真が、実家から送られてきたのだ。
実家というのは、私の実家ではない。子ねこだったわが家のドラの実家である。
なにしろ16年ぶりのご対面である。


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ドラの母猫

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同じ時生まれた妹猫


母親はことし17歳になったとメールに書かれていた。
子どものドラはちょうど16歳になるので、母親ネコは一歳の時に出産したようだ。
妹のネコがいるようでその子の写真もあり、私はPCの画面の前で歓声をあげた。


メール 2006/1/17

親猫モンドと子猫のマーです。といっても子猫の方が大きく、5キロ以上あるのですが、
親猫の方が、年とともに小さくなってきました。
ドラちゃんは一番親に似ていたので、うちでは、コモチャンと呼んでいました。
4匹も生まれてどうしようかと思いましたが、皆それぞれかわいがっていただけるおうちにもらっていただけて、うれしく思っています。一番器量のよくないマーがうちに残りました。もう今年16歳と17歳なのですが、今の所元気でおります。


いいおうちの心やさしい実家の方々…、感謝の気持ちでいっぱいになった。
年賀状だけは毎年欠かすことなく、あちらからも必ずご挨拶をいただくというお付き合いであった。
ことしの年賀状に私は、母猫と妹猫の写真を拝見したいと書き添えたのだった。

そういえば、私はこの子を貰った日のほのぼのとした思い出を、数年前に拙サイトに載せている。10歳のころのわが家のネコの写真を見ると、なんだかよく似ていると思う。
母ネコとドラとが、重なってしまう。


「 ドラという名の日本猫 」


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わが家のドラ

親元のTさんへの返礼として、この1枚を添付メールで送信させて戴いた。



by tsubakiwabisuke | 2006-01-17 21:55 | 京都
2005年 11月 06日

志村ふくみの着物 山下清の貼り絵

秋はどの美術館もいい展示をしています。

京都市内の古美術商・思文閣で秋の大祭が開催されているので昨日行ってきました。

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思文閣の額を書いたのは、武者小路実篤。

最初は百万遍にある思文閣美術館。ここでは、「皇室のご慶事 銀のボンボニエール」の展観がありました。

紀宮さまのご婚儀を寿ぐ、ニュース性があるということでしょう。
多くの来館者が明治天皇の直筆から現在の皇室のさまざまな逸品に見入っていました。

宮中の記念の慶事の引き出物として中に金平糖がつめられた銀製ボンボニエール約200点を興味深く見てまわっていました。皇室独自の美術工芸のデザインはやはり日本最高のレベルです。

私は、昭和天皇の妃であられた良子(ながこ)皇后の日本画「富士山」の横ものの前でしばし足を留めました。昭和天皇が明治まで続いた側室制度を自らのご意思で廃止された原因が、何よりこの皇后さまに魅力がおありだったからではないかと…思いながら。
内親王を次々とご出産になったことでご心労のように伝えられましたが、ご趣味が豊かでお幸せなお方でした。

しかしまた、美智子皇后さまのたいへんなご努力。児童文学へのお取り組みや、インターナショナルな場での感動的なスピーチも私は本当に誇らしく思いますが、知を表に出されない母性的なご性格が国民に慕われていらっしゃるのですね。

さらに、紀宮さまもお書きになっている『山階鳥類研究所著 鳥の雑学辞典』も、とてもいい書物です。
紀宮さまの地道で学究的なそしてあたたかいお人柄がそこはかとなく伝わってきます。


美術の会場から移動して出版部のコーナーに行きました。
欲しい古書もありましたが懐具合と相談して結局2000円の『茶家酔古襍』を買いました。天保12年の木版摺りで内容も面白そうです。天保十二年は1841,辛丑,になりますから江戸時代末期でしょうか。


そこから思文閣から出ているマイクロバスに乗り込んで縄手の古門前・本社へ(上の写真)。
ここでは今回の企画として美術品の入札をやっていて、各地から同業者と思われる人々が訪れていました。原価程度の価格が提示されており、客はそれぞれ入札を行う仕組みのようです。

私は見てまわるだけでしたが、会長夫妻に、「客が休憩する場所の茶室の床の飾りつけがなっていない。」と苦情をいう始末です。いやはや、ビジネスに関心が向いているオーナーに、要らぬお世話だったかもしれませんねえ。

それでも会長夫人が「後で花入れを替えてちゃんとしておきます。」といって下さったのにほっとしたものです。一応名前だけ顧問ということですからまあ、しょうもないと思いつつ顔を立ててくださったのでしょう。

この展示会場で2、3、写真を撮りました。
志村ふくみさんのきものです。いいお値段がついていました。

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次は貼り絵の大家・山下 清さんの 「自画像」。

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あの「兵隊の位でいえば、どれくらいですか?」といってらした言葉が忘れられません。自画像のこの服装も陸軍の兵隊さんのものではないかしら?
清さんの作品は非常に人気があるようで、100万円を越したお値段でした。

ひょうひょうとして生きられた山下清さんが、あの世から驚いていらっしゃるのではないでしょうか?

最後に隣接している別棟の古書の会場でもいろいろ見て、大判の『俳人の書画美術 漱石』がありましたので、購入しました。定価4800円の美本が2400円でしたし、なかなか内容もよく思わずほほがゆるんだのでした。





by tsubakiwabisuke | 2005-11-06 15:59 | 京都
2005年 10月 06日

丸善の閉店 レモン 梶井基次郎 高村光太郎夫妻

この10日に閉店する書店「丸善」京都河原町店。ほんとうに寂しいです!

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丸善が京都に出店したのは1872年といいます。
梶井基次郎の短編小説『檸檬』(れもん)の舞台になった旧店舗は、現在地から約400メートル北西にあったとか。

もとは、明治5年、京都の二条に開店した書籍や薬を扱う丸屋善吉店。その後、場所を寺町通り、現在の河原町へと。かれこれ130年余もの間続いてきた老舗です。

当時の町のようすはどうだったのでしょうね?
今、二条といえば寺町通りの一保堂茶舗あたりが目にうかぶのですが…。

河原町店には私も主人に伴われて何度か行ったことがあります。主人はここでメガネや万年筆を購入していましたし、私も英国製のバーバリ・コートを…。
へえ、そうでした。その時は見ただけで結局私のほうは買うことはありませんでした(笑)。

『檸檬』の主人公は、思考が正常に働かなくなったことで町へ出ます。或る果物店でレモンを買い、歩いていきます。以下部分引用を。


>どこをどう歩いたのだろう、私が最後に立ったのは丸善の前だった。平常あんなに避けていた丸善がその時の私にはやすやすと入れるように思えた。
「今日は一(ひと)つ入ってみてやろう」そして私はずかずか入って行った。<

青年は、脳裏に映る狂おしいような情況に苦しみます。そこから逃れるべく、

>「あ、そうだそうだ」その時私は袂(たもと)の中の檸檬(れもん)を憶い出した。本の色彩をゴチャゴチャに積みあげて、一度この檸檬で試してみたら。「そうだ」
 私にまた先ほどの軽やかな昂奮が帰って来た。<

檸檬は救いとなったのでしょうか?

>見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。私は埃(ほこり)っぽい丸善の中の空気が、その檸檬の周囲だけ変に緊張しているような気がした。私はしばらくそれを眺めていた。<


精神の不安定な状態を作品に描いた梶井基次郎。理数系かまた絵画的な要素も感じられ、レモンのみずみずしさが心に残るのです。
宇野千代と親しくなり過ぎたとも噂される青年でしたが、31歳で病没。京都の為にも惜しいことでした。しかしこの小説は多くの愛読者をもち、丸善の名を広く知らしめることになりました。


「レモンの日」というのがあるの、ご存知でしたでしょうか?じつは昨日だったそうですね。
どうしてかといいますと、その心は、昭和13年(1938)の9月5日、高村光太郎の妻智恵子が亡くなった日ということから決まったようです。


高村光太郎が妻千恵子の臨終に絶唱「レモン哀歌」を書いたことはよく知られていますね。


レモン哀歌

そんなにもあなたはレモンを待ってゐた

かなしく白くあかるい死の床で

わたしの手からとった一つのレモンを

あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ

トパアズいろの香気が立つ

その数滴の天のものなるレモンの汁は

ぱつとあなたの意識を正常にした

あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ

わたしの手を握るあなたの力の健康さよ

あなたの咽喉に嵐はあるが

かういふ命の瀬戸ぎはに

智恵子はもとの智恵子となり

生涯の愛を一瞬にかたむけた

それからひと時

昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つして

あなたの機関はそれなり止まった

写真の前に挿した桜の花かげに

すずしく光るレモンを今日も置かう



このころのレモンには、今のような農薬の汚染問題はなかったでしょう。その意味ではいい時代だったといえるのではないでしょうか。
文学者にこのように美しく最高の賛辞をおくられたレモン!



今日の画像は散歩に出た主人に頼んで買ってきてもらったレモンです。紫水晶のお数珠と丸善から来たハガキを添えて。それともう一枚はあけびとレモンです。



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by tsubakiwabisuke | 2005-10-06 16:12 | 京都
2005年 09月 01日

与謝野鉄幹が京都から出馬した衆議院選挙


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小泉内閣のいう「郵政解散」は、いよいよ9月11日の選挙がまじかになりました。
与党である自民党からは、刺客とも落下傘候補ともいわれる有名人が続々出馬しています。

外国メデアは高みの見物でこんな解説をしているとか。

仏紙ルモンド 8月23日、
「『刺客』『女殺し屋』はサムライ映画の直伝」「こっけいさと悲壮感、策謀と裏切錯綜(さくそう)する自民党のあり様は小ぶりのシェークスピア劇のようだ」

自分らの国は棚にあげて、まあ、なんとでもおっしゃい。

日本の場合、現代の選挙から、明治・大正期の選挙をふりかえれば、選挙権の数が天と地ほど開きがあるのは認めましょう。いま思いおこすのは、与謝野鉄幹が京都から衆議院に立候補したことです。

大正3年(1914)12月25日、第三十五議会で、時の大隈内閣が衆議院を解散。そこへ、与謝野寛が大隈重信の与党の一人として立候補しました。大正4年(1915)2月でした。

彼は生まれ故郷である京都府愛宕郡岡崎村(現・京都市左京区岡崎)から出たのですが、当時の京都府は18郡が含まれていました。選挙の結果は、候補者11人中、定員5人で、1600票が当選ラインとされていた中、寛は99票という得票だったといいます。

旧憲法によれば、選挙権を持てる者は富裕層の男性に限られていました。選挙に参加できたのは、国民の約1パーセントあまり。女性は発言することすらできなかった時代でした。晶子夫人が直接夫の応援に立った写真が残されているのは、さすがだというべきでしょう。

「世間知らずの文士が代議士に立候補するとは滑稽千万」、与謝野寛と晶子夫妻にはこうした冷笑も浴びせられたようですが、今の選挙ならどのように展開しますか?夫妻のお孫さんがその後政治家になられたのも血は争えないということ?

私の父は曽祖父、祖父から、「政治にだけは手を出すな!」と厳しく忠告されていたようで、その心は、「井戸塀しか残らんぞ。」という事であったようです。幸か不幸か使いものにならない井戸と塀だけは現在も残っている市井の家なのですが。

井戸塀政治家ーー、もう、そのことばは死語になっているのかもしれません。いまは政党から選挙資金が給付されますし、いったん政治家になれば……♪♪♪。
税金の使いようは国民の目にはわかりにくく、選挙の時だけ有権者が王様であるのは、ああ、情けない。


大正4年といえば、漱石が亡くなる前の年になります。
文士にも、さまざまな運命の糸が、紡がれていったのでしょうか。



by tsubakiwabisuke | 2005-09-01 14:30 | 京都
2005年 07月 06日

浴衣すがたのアメリカ女性

どうもこれまでの記事は文字が小さいように思えましたがいかがでしたしょうか。エキサイトはタグでしか対応ができないブログでちょっと不便ですね。今回は規定よりサイズを大きくしてみました。

今日の画像は旧作ですがゆかた姿のアメリカ女性です。京都市内では七月の祇園祭が近づくとこうした浴衣を着た人々が増えてまいります。八月の大文字送り火の時もそうですね。夏はふだん着物を着慣れない人たちも浴衣ならと親しむようです。

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by tsubakiwabisuke | 2005-07-06 13:40 | 京都
2005年 06月 25日

店子か?客か?

PC時代からインターネット時代へ マイクロソフト 古川享先達 引退     6月16日


登場があれば引退もある、これは厳粛な人生のさだめでしょうか。
社長さん はじめまして。
利用者は店子か?客か?ええ、どちらでもかまいません。
私がお世話になっているブロバイダはniftyとinfoseekと二つ。
主力のPCはNEC。ブログはいろいろ探した結果エキサイト。これもご縁ですね。
私のブログはスタートしたばかり、恥ずかしくないようなものにして行きたいと思います。

by tsubakiwabisuke | 2005-06-25 17:22 | 京都