カテゴリ:京都( 60 )


2006年 08月 13日

建仁寺・開山堂から 茶室東陽坊 元建仁寺寺領・祗園町南側

お盆にはやはり仏教、京都の臨済宗では大本山がいくつかあります。

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そのなかでも、「学問ずら」と、口さがない京わらべから、お褒めを受けたのが建仁寺なんです。

このブログではアップできなかった画像を、スライドショーにしてみました。


スライドショー 建仁寺 開山堂から 茶室東陽坊 元建仁寺寺領・祗園町南側


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ちなみに、ほかのお寺のことはなんといわれていたか、ニックネームをご存知でしょうか?

大徳寺の「茶人ずら」、相国寺の「声明(しょうみょう)ずら」、東福寺の「伽藍ずら」、妙心寺の「算盤ずら」。

こうみると建仁寺の「学問ずら」は、秀でた学層を多く輩出している建仁寺を、いいほうに皮肉っているのですね。

ぼんさんのつとめをするより学問づいたように本ばかり呼んでおる。っていう具合に(笑)。


いえいえ、栄西禅師はそのようなお方でないのは、皆さまよ~くご存知でいらっしゃいます!







by tsubakiwabisuke | 2006-08-13 19:36 | 京都
2006年 08月 05日

紫式部には家庭がありました 慮山寺(ろさんじ)源氏庭の桔梗

 
紫式部には家庭がありました 慮山寺(ろさんじ)源氏庭の桔梗 

追記
JanJanに掲載された記事には慮山寺の画像が3枚ございます。
ここにアップしようとして拒絶されたものですが、他では問題なく表示されるので、やはりこのブログに問題アリなんでしょうね。どうぞ上のURLからお入りくださいませ。

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久々に寺町通りを歩きました。御所の近くにある慮山寺(ろさんじ)に、桔梗が見ごろだろうかと思い立ったのでした。

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馬盥(ばだらい)茶碗  銘 一涼


 昼さがりの夏日がつよく照っている時間帯でしたから、撮影はしたものの写真は無残な結果となってしまいました。これが雨上がりの早朝であったならどんなによかったか。でも、ただひとつ、面白い現象がみられましたよ。


 桔梗の花々は、白砂利を敷きめた「源氏庭」のあちこちに植えられています。本堂の縁側に坐って見ますと、どの花もみんな後ろ向き。客にそっぽを向けてあちらのほうをみつめているではありませんか。ひまわりだけでなく桔梗よ、お前もかって(笑)。


 本堂には源氏物語ゆかりの展示があり、源氏物語絵巻の鮮やかな写しも見ることができました。


 ここは、紫式部の邸宅あとと謂われています。考古学者の角田文衛博士によって考証され、昭和四十年十一月、紫式部邸宅跡を記念する顕彰碑が境内に建てられているのをみても伝説とばかりはいえないでしょう。


 紫式部は、ペンネームなんですね。本名は藤原香子(たかこ)または(こうし)であったのか、定かではありません。父親が式部丞(しきぶのじょう)藤原為時。そして曽祖父が、権中納言藤原兼輔(堤中納言)といいますから、確かに氏素性ははっきりしています。

 幼くして女子であっても漢文を読みこなしたといいます。この家庭、保護者の高い教養と理解があって出来たことです。平安時代には自由と男尊女卑の思想がないまぜになっていたようですね。自由の精神、それがなければ強烈な個性をもつ女性作家が生まれることはあり得なかったでしょう。

 うら若い才媛・紫式部は、親子ほども年の差がある山城守藤原宣孝と結婚して、女の子を出産しています。けれども結婚生活は短く、夫とは死別という試練に逢いますが、これを契機として宮廷に出仕することになるのです。


 今頃はやりのシングルではなく。世帯をもって子どもも産み、人並みの女の道を歩いています。夫亡き後、期せずして職業婦人となったわけです。個性を内に秘めて他と協調し、五十四巻にわたるあの大作を書いた彼女は、男女の性差を認めつつそれを超えて、自らの実力を世界に認めさせたのです。

 宮廷生活をタブーなしに描写し、仏教思想を底辺に構築した紫式部。精神の自由をもち続けたしたたかな京おんな。女だてらにという批判の声さえ聞かれなかったのは面白いことです。


 家があり、庭がある。紫式部にはたしかに家庭があったのでした。その家は曽祖父が建てたという「紫式部邸宅跡」の慮山寺のある一帯の地なのですね。

 「慮山寺(慮山天台講寺)沿革」という立札には、次のような文言がありました。

「寛政6年(1794)、禁裏、仙洞、女院の御下賜をもって再建されたのが現今の本堂である。」

「この地全域が昭和40年、角田文衛博士によって紫式部の邸宅址であると考証発表されたのである。紫式部の曽祖父にあたる権中納言(提中納言)がこの地に邸宅を構えたのが始まりで」

 なにしろ平安時代のことですからこれが証拠だとする物証が残っていないのは、いたし方ないでしょう。ただ、御所から歩いて行ける距離。いにしえに貴族たちが行き来したであろう閑寂な地域であることは容易に推察できるのです。

 ここは、日本文学発祥の場所と言い得るのではないかと思います。「源氏物語」紫式部日記」「紫式部集」がこの地で執筆されたと考えると、源氏物語の中の花散里の章に出て来る中川辺の地名が思い起こされます。


 中川の辺、とあるのは中川のわたりと読むようです。いま慮山寺になって場所がそうなんですね。京都の風俗博物館のサイトに丁度いいページがあります。それをご覧になりながら、与謝野晶子の口語訳を併せてお楽しみください。

中川のわたり
http://evagenji.hp.infoseek.co.jp/co200402news13-4.htm


 紫式部『源氏物語』 花散里
       
 與謝野晶子訳
http://www.aozora.gr.jp/cards/000052/files/5026_11638.html 一部引用



「二十日月が上って、大きい木の多い庭がいっそう暗い蔭(かげ)がちになって、軒に近い橘(たちばな)の木がなつかしい香を送る。女御はもうよい年配になっているのであるが、柔らかい気分の受け取れる上品な人であった。すぐれて時めくようなことはなかったが、愛すべき人として院が見ておいでになったと、源氏はまた昔の宮廷を思い出して、それから次々に昔恋しいいろいろなことを思って泣いた。杜鵑がさっき町で聞いた声で啼(な)いた。同じ鳥が追って来たように思われて源氏はおもしろく思った。「いにしへのこと語らへば杜鵑いかに知りてか」という古歌を小声で歌ってみたりもした。


「橘の香をなつかしみほととぎす花散る里を訪ねてぞとふ



この画像は、2000年の夏。しおらしい茶花のせかいへ


紫式部の都市伝説

紫式部がフランスのユネスコ本部に「世界の5大偉人」と登録されているという記載がネットで氾濫しています。しかし、出典が不明です。そのため、私はフランス在住のボイヤレ夫人に調査を依頼しました。その返答が先ほどメールで参りました。以下の通りです。


「さて、本件については、日英ユネスコのページに直接記載は見つかりませんでした。孫引きですが、以下にあげる市川図書館の情報がもっとも信頼できるように思います。


また、5大偉人(10大偉人)に言及するページは多々あれど出典を明記しているものは皆無で、「都市伝説」であろう、というページ2件が事実に近いと愚考します。
新たな情報がはいりましたら、改めまして。

取り急ぎご報告まで        ぼいやれ        」                               


以下、市川図書館のページから引用:

1965年にユネスコ世界偉人暦に紫式部が選ばれたと、ある本に書いてあったが、ユネスコ偉人暦とはなにか。 =>『朝日年鑑』昭和41年版にユネスコで作った「偉人年祭表」の1966年版に日本人として初めて紫式部が取り上げられたとの記述あり。

日本ユネスコ協会連盟=>日本ユネスコ国内委員会(文部科学省内)に問い合わせ。正しくは「偉人と重要な出来事の年祭」の年祭表という物が過去何回か出されており、現在は作られていないとのこと。

日本人として取り上げられたのは、紫式部の他夏目漱石・井原西鶴・西田幾多郎・志賀潔・聖徳太子・近松門左衛門・野口英世。


市川図書館のページ
http://www.city.ichikawa.chiba.jp/shisetsu/tosyo/ref/ref0402.htm

国立国会図書館のデータベース


 

by tsubakiwabisuke | 2006-08-05 22:58 | 京都
2006年 08月 02日

中坊公平著『現場に神宿る』 の 書評がIT新聞に掲載


タイトル 『現場に神宿る』百年後に真の評価を受ける義人・中坊公平さん



本文

 1929年京都に生まれ、地元の京都大学に学び、弁護士となった中坊公平さん。大阪を拠点に活動し、これまで約400件以上の裁判を担当し事件の殆どを勝ち取ってきたという、驚くべき法曹家なのですね。

 中坊さんの庶民的で飾り気のない風貌、3年前まではテレビや新聞のインタービューにもよく登場されていましたし、そのお人柄も国民的な人気がありました。

 しかし、或る事件により2002年に出版された著書を最後に、中坊さんの名を見ることはなかったのですが、思いがけず今年2006年7月5日、現代人文社発行のこの書物を手にして、私は感慨深いものがありました。

 本の題名は『現場に神宿る』。著者が中坊公平+松和会、とあります。「千日デパートビル火災/被災テナントの闘い」という、そのサブタイトルが表している通り、中小企業とも零細企業ともいわれる商人達(松和会)が、弁護士と心を合わせ団結して闘い勝ちとった18年6ヶ月の間の記録なのです。

 強きをくじき弱きを助ける、ことをモットーとした弁護士。これまでの活動記録を総括しますと次のようになります。

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1 1960年―H鉄工和議申立て事件
2 1962年―「M市場」立ち退き補償事件
3 1967年―貸金返還請求及び暴行事件
4 1970年―タクシー運転手ドライアイス窒息死事件
5 1973年―森永ヒ素ミルク中毒事件
6 1982年―小説のモデル名誉毀損事件
7 1982年―自転車空気入れの欠陥による失明事件
8 1983年―実刑服役者の新聞社に対する謝罪広告請求控訴事件
9 1985年―看護学校生の呉服類購入契約事件
10 1985年―金のペーパー商法・豊田商事事件
11 1987年―ホテルの名称使用差止め事件
12 1992年―グリコ・森永脅迫犯模倣事件
13 1993年―産業廃棄物の不法投棄・豊島事件
14 1996年―不良債権・住専処理事件
========================
(中坊公平『私の事件簿』目次より)

 今回、著者である中坊さんともう一方の著者である、千日デパートビル火災時のテナント業者36人の「松和会」。
 この裁判記録を読むと建研という権威ある公的機関の報告書にもデータのミスがあり、裁判官も弁護士も不完全な対応があったことが解ります。弁護士は現場に行き、商人達から学び共に勉強し前進します。

 「あとがきにかえて」を書いたのは松和会現代表の明地東三さん。まことにふさわしい後書きでよかったと思いました。「はじめに」は中坊さんの訥々(とつとつ)とした語りが、近江商人の「三方よし」という言葉を引き合いに、「売り手よし、買い手よし、世間よし」という伝統的な経営理念とモラルが説かれ、楽しいものになっています。

 この本の中で「中坊公平の回想」が4回出てきますがじつに親しみやすいいい文章です。これからみれば、迫力ある大作『現場に神宿る』の全体から受ける印象は、若手の弁護士さん達の代筆ではないだろうかと失礼な想像をしていました。お許しくださいませ。

 私は、中坊公平という方は100年後に真の評価がなされる人物だと考えます。現代の日本人と社会が失ったかにみえるもの、公正と正義。それを全人格をもって追求し、表現した体現者ではないだろうかと……。同じ京都市民である自分がなにかしら力を与えられるようにも感じられるのです。

 人と人との絆が分断されてきている世の中を厳しく指摘されます。小泉構造改革への批判のあとに、「実は日本人の一人ひとりが『自立』『自律』『連帯』というところからだんだんはなれていってしまったということです。」

 それを救う処方箋は、次のように述べられています。
 「アメリカ型の資本主義ではない、「三方よし」の商い、企業活動を大切にし、その方向に進んでいくことです。」

 210ページに「偲ぶ会」のことが書かれています。「京都市の聖護院の敷地に建つ旅館『御殿荘』」
 「中坊公平が経営するこの旅館は、裁判の時に何度も弁護団会議や合宿の場として提供された場所である。二〇〇五(平成17)年八月二七日、まだまだ残暑厳しい晩夏の日に、その思い出深い一室で松和会の「偲ぶ会」が開かれた。
 ドリームとの裁判中に松和会の会長をつとめていた桑増秀が、ほんの二ヵ月前の六月にガンでこの世を去ったのだ。」

 ご存知でない方のために申し添えますと、中坊さんはお若い時分から弁護士の収入を蓄えてこの由緒ある旅館の古い建物を購入。大改装のあと、今では良心的な有名旅館として全国の顧客に愛されている、旅館経営者なのです。

 修学旅行の生徒達が来るので二流か三流という声もありますが、そこはオーナーの確固たる信念があっての決断でしょう。比較的安くてサービスがいい、そして安心だ、という先生たちの声が圧倒的と私は聞いております。

 つまり、中坊さんは資本主義のなかでの資本家であるということ。従来の伝統を否定し、革命、改革を言うような人権派とは一線をひく方なのですね。京都を愛し、よき伝統を生かし、子どもたちにそれを伝えたい。その信念があって、共存共栄の経営が成功しているのです。ホテル経営が不振で喘いでいる中で、旅館『御殿荘』はいつも盛況、こちらでもたいしたものと思います。

 かつて政府からその行動力を買われ、住宅金融債権管理機構社長となられたのがつまづきの元でした。体制派として弱者を弾圧するという指弾を受けるに至ったからです。しかし、弁護士を廃業しても中坊さんは何も困ることはありません。困るのは誰か……。菊池寛賞等受賞の輝かしい経歴も、本人にはなんのことはなく小さな思い出に過ぎないのではないでしょうか。

 中坊さんには、弱くても心正しき人の友が数限りなく存在します。そのことを私はこの本からしみじみと感じたのでした。

 裁判のあり方、闘うための真剣な学び、人々との和。専門的な知識がわかりやすく書かれているこの良書を、1人でも多くの方々に読んでいただきたいと思います。

                                         執筆   椿 伊津子


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最後の画像は今日、客人を案内して行った慮山寺の桔梗。
紫式部の邸宅跡として知られるところです。源氏物語はここで書かれたとか…。

桔梗ですが、どの花もひかりのあるほうを向いていますねえ。こちらには背を向けて。
そら、気持ちはわかりますけどな。







by tsubakiwabisuke | 2006-08-02 17:41 | 京都
2006年 07月 30日

京都は古美術の本場 値段をきいて仰天!

なんといっても、古美術の本場は京都なんです。

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東京は広い。お金持ちがわんさといてはります。と聞きますけど、私が知ってるわけではありません。でも、お茶道具なんかですと、「あ、東京ですか、わかりませんな。」といわはります。

京都の店には、そらいいものがあります。
ただ、高価なものはやはり東京のお人が買わはるっていうことです。

京都では商売するのはむつかしいとこぼす声。他府県の方がおっしゃいますけど、どうなんでしょうね。京都人が商売がへたなのか?
そういえば、地元の大きいホテルはいくつか東京資本に変わったみたいです。

今日ご紹介するのは現代ものですが、上の水滴、書道をなさる方ならよくお解かりでしょうね。
この水滴は、ちょっとやそっとで買うことできしません。お値段ですか?はい、聞いてまいりました。

120万円のねこちゃんです。作った陶芸家が立派な方なんですよ。
備前焼でも金重陶陽といえば特別なのですね。

今日、スライドショーをUPいたしました。

7・30UPスライドショー 京都は古美術の本場 古門前 と 新門前

最初に登場するのは、長沢芦雪 (ながさわろせつ)のねずみです。
次から小さくても強そうな猫が出てまいります。

獅子と狛犬も、いえいえ、人間の子どもは将棋をして、頭の体操をしておりますよ。

どの子にも、ひろくご声援をお願いいたしますです(笑)。

それでは、どうぞごゆっくり、京都の骨董の町をお楽しみくださいませ。

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by tsubakiwabisuke | 2006-07-30 18:54 | 京都
2006年 07月 27日

葉唐辛子のつくだ煮

お前さんとこは、まるで生活感がないじゃあないか、ですって?

いいえ、そうでもないんですよ。今日は葉唐辛子を買ってきて、葉をとって佃煮にしました。

京都ではよく作るおばんざいなんですね。昆布を鋏で切って鍋に入れます。

みりんと醤油で味付けしてことこと煮るだけです。でもね、水分が多すぎたのと昆布が溶けたよ

うになって終いました。あきません。失敗作ですが、家人はうまい!と言ってくれたのです。

青々した葉唐辛子の画像がまたしても出てくれず、またため息…。葉唐辛子の画像の代わり

に、旧作の野菜の画像をアップいたしましょう。

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by tsubakiwabisuke | 2006-07-27 00:18 | 京都
2006年 07月 22日

7月の取り合わせ なにわの茶会にて


7月の茶会の道具と申しますと…。これはその時々の思い出の写真です。

一つだけの茶席ではありません。

花入れは、釣り舟。花はシュウカイドウ、リキュウソウ。

花を挿したのはもちろんご亭主。裏千家のなにわの大御所というても、アネゴ肌のというても

よろしいでしょう。名誉師範を拝受されたときのこの笑顔、おきれいでした。

わびすけが、ジョーダンでもアクタイでもつける、気のいい大先輩なんです。


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↓こちらは他流のお席に招かれた時のもの。

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松花堂好 莨盆 反対側から見た火入 了全造る 善五郎のご先祖はん。
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平水指 蓋うらもお見事でした。
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しんがりは、京都美術倶楽部で撮影した、祇園祭の「うらでやま」。

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by tsubakiwabisuke | 2006-07-22 01:29 | 京都
2006年 07月 19日

続 茶室・東陽坊へ 建仁寺をあるく


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まだまだ撮影した写真があるのですが、なぜか受け付けてもらえないのです。

時間をおいてみることにしましょう。


これまで私がアップした建仁寺のページをご参考までに。


2003年6月6日UP 建仁寺献茶式  四代目の家系 或る業躰家


2004年6月25日UP 家元とヤブレガサ 建仁寺献茶式の日


2001年6月12日UP 建仁寺開山忌 献茶式・茶会




by tsubakiwabisuke | 2006-07-19 13:20 | 京都
2006年 07月 18日

茶室 東陽坊へ 建仁寺をあるく


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このつづきは、 明日アップロードの予定です。

by tsubakiwabisuke | 2006-07-18 00:34 | 京都
2006年 07月 15日

東山区 古門前 大和大路

三条京阪の駅からぶらぶら歩くのにはもってこいの通りである。

東山区 古門前(ふるもんぜん) 新門前(しんもんぜん)とあるが、古美術の店が並んでいて、
京都ならではの風格を感じさせる町なのだ。

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コンクリート造りの店に、ミニ神輿が、観葉植物のなか 品よく飾りつけられているところ。


この写真一枚だけ、なんとか表示できるので、店のショーウインドーの風情をお伝えできればと
今日の日記に入れることにする。

明日16日がいよいよ、祇園祭の宵山である。

今もずっと雨が降っているので私は外出をせず、夕食後のあと片付けもそこそこに、耳は雷鳴を聞きながら、目と手はパソコンのキーボードを打っている。

京都新聞によれば、雨のよいよい山は、次のようになっている。


行く人の流れたえずして
祇園祭 夕立後の宵々山

http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2006071500238&genre=I1&area=K10

雨の宵々山に19万人  祇園祭


宵々山に繰り出した人出で川の流れのようになった四条通(午後7時15分、京都市下京区四条通室町西入ルから東を望む)
 祇園祭は15日、宵々山を迎え、山鉾が立ち並ぶ京都市中心部の四条通周辺は多くの人でにぎわった。しかし、歩行者天国が始まる直前の夕方に雨に見舞われ、人出は昨年より10万人少ない約19万人(午後9時現在、京都府警発表)にとどまった。






by tsubakiwabisuke | 2006-07-15 23:15 | 京都
2006年 07月 14日

700歳のいのちを得た菊慈童をまつる 菊水鉾 祇園まつり

今日の更新は、取れたてですよ~~

祇園祭 宵よいよい山 です!

 7.14UP スライドショー 宵よいよい山 菊水鉾


動画もありますからどうぞお楽しみくださいませ。

大黒庵、茶道をなさる方ならご存知ですよね。その方にゆかり深い町の、これは茶会のヒトコマです。

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この風炉釜はナンリョウ、つまり銀製なのです。作者の方が菊水町と鉾のためにとくにデザインされ、寄贈なさったということでした。

風炉のカンの根つけが菊の紋になっているところ、ご注目あれ。






by tsubakiwabisuke | 2006-07-14 22:44 | 京都