カテゴリ:茶の道( 69 )


2006年 11月 14日

2006年光悦会 ことしの紅葉

先ほどスライドショーを作成しようとしてうまくいかず、中断してしまいました。

ここで写真がどれくらいアップできるか試してみましょう。

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◇◇◇

これは、じつは2004年、おとどしの光悦会なんです。サイトにはアップしないままでした。
画像を押入れに仕舞い込んでいたってわけです。

ことしの画像ですが、またまたここでは表示されないのですよ。グスン(-_-;)








by tsubakiwabisuke | 2006-11-14 00:35 | 茶の道
2006年 11月 09日

開炉の茶会 京都美術倶楽部11月例会 

京都美術倶楽部主催 松庵茶会 11月例会 1月9日 
担当 平松栄祥堂

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待合 床  景文筆  黄葉小禽画
   

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宙宝和尚筆 横一行  開門多落葉


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花 トリトマラズ 椿   花入 姥ヶ餅焼 耳付置  




本席 床脇 葛屋香炉     即全作

香合 赤織部  波ノ画

釜 雪佳筆 鹿ノ絵 撫肩丸 十三ノ内 惺斎箱

鹿の地紋が見事でした。神坂雪佳 ( かみさか せっか)は京の生まれ。光琳風を能くし、宮中に揮毫。また図案家として京洛の染色界に大いに貢献しました。勧業博覧会審査員・京美工教諭。昭和17年(1942)歿。

写真をいろいろ撮りましたのに、残念なことにこのサーバーはうまく表示できないのです。

席主の平松さんはたいへん気のいい方で、道具だけでなく私も撮ってください、と冗談をおっしゃるのです。私はすっかり嬉しくなって平松さんのいい男ぶりを撮影しましたのに、ムムム、、、残念!


炉縁 眞塗高台寺蒔絵 即中斎箱   元斎宗哲作

風炉先 光雪筆 光悦垣画 腰     

光悦寺の先代住職が光雪という名でお描きになったもの。風情がございました。

棚 青漆爪紅 糸巻 在判        一閑作

水指 瀬戸耳付 

茶器 桐蒔絵 折タメ棗 碌々斎好箱  一閑作 

茶碗  一入作黒  銘 夕暮れ     了々斎箱

替   伊羅保

〃   乾山  楓画

茶杓 大綱和尚作  歌銘 時雨
 時雨する 雲に心はなかりけり 晴れるも婦るも風のまにまに

建水 高取焼 エフゴ形

蓋置 竹

菓子 綾錦 鶴屋吉信製

器 雲錦食籠  庭園楓景漆ヲ以ッテ 五ツノ内  愈好斎箱 漆仙作

干菓子 下もみじ 松笠    亀屋伊織製

器   紅葉蒔絵 足付縁高

たばこ盆 紅葉の木手付   利斎作

火入 染付 吹寄画 八角 妙全作

煙管 唐草彫  十代浄益作

たばこ入 紙  吉兵衛作

茶  珠の白  柳桜園詰





今回も正客をせざるを得なくなりました。皆さん遠慮されて時間が経つばかり、困りますね。

とりあえず、会記だけ書いておきましょうか。主客の会話はまた、後ほどに…。



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わが家の ドラとセンリョウの実

市バスに乗って自宅に戻りましたら、玄関先にドラがこちらを向いて、さも興味ないよ~といわんばかり。いつもこの子はそうなんですよ。

このあと、庭の椿の木の根元ちかくで、小のおつとめを真剣にやっておりました。尿毒症だと言われたこともありましたが、ちゃんとたっぷり時間をかけて無事おつとめができていたので、ほっとしたことでした。






by tsubakiwabisuke | 2006-11-09 17:54 | 茶の道
2006年 11月 05日

京の尾形光琳が 熱海のMOA茶苑へなぜ?

開炉といいますと先ず茶壷(ちゃつぼ)が浮かびますね。

かの名だたたる国宝茶壷は、色絵藤花文茶壷 野々村仁清作。それは熱海のMOA美術館にあります。

そのMOA美術館の茶苑で行われた大徳寺塔頭(たっちゅう)徳禅寺・護持会25周年記念茶会。

濃茶 光琳屋敷。MOA茶苑内の案内図と光琳屋敷の画像

なぜ、京都人である光琳の屋敷がここにあるのでしょうか?光琳との接点はなにか?

それは、尾形光琳筆 紅白梅図屏風 の国宝がこの美術館に収蔵されているのです。

さらに、大徳寺開山 大燈国師の墨蹟があることがことが挙げられます。

宗峰妙超墨跡 秋風偈 重文


したがって、伝統仏教である臨済宗大徳寺と、いわば新宗教の世界救世教との関わりがこうした処にあるといえると思います。また、教祖の岡田茂吉氏の年譜には興味深い記述がありました。

1905[23] 東京にて小間物小売商「光琳堂」開業 。
岡田氏の光琳への思い入れが早くから並々ならぬものであったことが伺われますね。

ここで茶会記を簡単に書き写してみましょうか。




濃茶 光琳屋敷。  

主   遠州茶道宗家13世  不伝庵 小堀宗実


寄付

床   狩野探幽筆  瀟湘八景ノ内  瀟湘夜雨

炭道具 
香合  呉須染付 柘榴
他    遠州好
羽箒  玄鶴 一双ノ内・右
釻    遠州好 宣徳 太平    大西 定林作
灰器  遠州切形 伊賀


本席

床  大徳寺開山宗峰妙超墨跡  徹翁  (二字大)
花  白玉椿  照葉
花入 古銅 龍耳


点法席

床 遠州蔵帳の内  大徳寺一五六世 江月宗玩筆
大徳寺宗流      箱書付 小堀遠州筆

釜 天明  霰地紋 尾垂
水指    南蛮 ハンネラ蓋  松 木地半板に乗せて

茶入  瀬戸破風窯 翁手
銘・玉津島  挽家 ・内箱書付 松花堂昭乗筆
ひととはば しれる翁のよがたりを 
        むかしにかへすわかのうら浪

仕服 茶地雲竜文金襴
    紺地宝尽文金襴

茶碗 大井戸 銘・江山 箱書付 大徳寺一九〇世 天室宗竺筆
茶杓 小堀遠州作共筒 内箱書付 権十郎逢雪筆
銘 ・ 本 外箱書付 和翁宗中筆

建水  遠州蔵帳の内 砂張 合子 箱書付 小堀遠州筆 
蓋置 青竹引切

茶銘 一玄乃昔  小山園詰
菓子銘 好 紅白きんとん 源太満永堂製




薄茶席はまた後日に。







 


by tsubakiwabisuke | 2006-11-05 22:19 | 茶の道
2006年 11月 04日

MOA美術館における大徳寺塔頭・徳禅寺護持会記念茶会


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写真は1, 左から 中宮寺ご門跡。 高桐院ご住職。 椿わびすけ。

この門は片桐門と呼ばれるものです。唐門とは別の門でこちらからご覧くださいませ。

[ 片 桐 門 ]

 「賤ケ嶽7本槍の一人、片桐且元が1590年薬師寺の普請奉行を努めた折、その宿舎の正門で唐門と共に大磯町の三井家別邸より移築しました。」



1日の夜、中宮寺の日野西光尊ご門跡からお電話でたってのご依頼が。

先月末にお寺で夜明けころに転倒され、不幸中の幸いで骨折はなかったものの、あちこち打撲があってお辛いご様子でした。

おついたちの裏千家ご宗家には何事もないかのようにお出ましになっていましたので全く思いもしないことでした。ほんとうに気丈なお方でいらっしゃいます。

ご門跡のご依頼とは、大徳寺塔頭の徳禅寺さんが開催される11月4日MIA美術館での記念茶会のご招待を頂いているので是非同道してほしいとのこと。お供の尼僧さんが生憎里帰り(?)しているとのお話でした。

こんな私ではお役に立たないと思いますし、かえって足手まといになりますと申し上げたのですが、すでに申し込みをされていたようですので主人にも相談した結果、お供をさせていただくことにいたしました。

熱海のMOA美術館での「徳禅寺護持会25周年記念茶会」

多くの来客のなかでご縁があった方、お正客の大徳寺・高桐院住職の松永剛山師。ご次客中宮寺日野西門跡。

写真1,4,5,は他のご連客のお方にシャッターを押して頂いたものです。他は私が撮影。


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2,

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3,

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4,

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5,

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6,

茶会記はまた後日、お伝えいたしますね。ちょっとつかれています。








by tsubakiwabisuke | 2006-11-04 22:44 | 茶の道
2006年 11月 01日

鵬雲斎大宗匠が語られた 利休頭巾

開炉のよろこびに、今日の裏千家宗家は早朝から大勢の同門社中が参集しました。

咄々斎(とつとつさい)で家元の道話、ついで大宗匠の道話、それぞれ茶道宗家ならではの風格ある内容でした。

つい先日このブログで取り上げたばかりの「利休頭巾」について、鵬雲斎大宗匠は次の話をされたのです。

私は速記したわけではありませんからニュアンスが多少違っているかもしれませんが、大意はこの通りだと思っています。



「私と家元と孫の明史と食事の時に話し合ったのが、「利休頭巾」のことです。

利休居士は有髪でした。そのころの被られた利休頭巾の絵などを見ますと有髪のようすがわかります。
しかしその後、天正十年に剃髪をされています。利休頭巾もそれにあわせて作り変えられたんですね。
書物で伝えられることより、わが家は連綿と利休居士の茶の道を受け継いできたし今後もそうだということを話し合ったのです。」

これまでは家元ご一家と別居されていた大宗匠。

今日のお話で、この度新築されたお屋敷で3世代の大家族の和やかなお食事のひとときが伺え、拝聴する私共も嬉しく仕合せを感じました。





稽古に移りまして、指導の阿部業躰にいつものように何気なく問いかけました。

「淡々斎が利休頭巾を与えれたのは、東京の鈴木宗保業躰と寺西宗楽業躰のお二人だったようにお聞きしていますが。」

「うーん、伊藤宗典さんも貰ってたんじゃなかったかな。」

そこで、わたしの隣に坐っていた伊藤家のヨメである宗福さんに、「お宅に利休頭巾は今あるの?」と聞いたところ、

「あったかも知れんけど阪神大震災でなくなったわ。私は見てないから知らんわ。」とのこと。

でも利休頭巾をかぶったお祖父さんの写真が残っている、という話でした。

時代が変わったというのでしょうか。

今の時代に古風な頭巾をかぶって町を歩く人は、ちょっと考えられませんしね。

「阿部先生はいずれ貰われるのじゃないですか?」と余計なひとことの私。

「いやぁ。そんなことはないよ。」

結局、鵬雲斎大宗匠の代には利休頭巾を与えられた方は一人もありませんでした。

今後、坐忘斎家元が年を重ねられた時、この伝統をどのようになさるのか、こちらも謎ですね。





床にはハシバミの一枝と白椿が入っていました。

「ハシバミを炉開きに使うというのが約束のようになっていますが、どのような謂れが?」

「ああ、これは、照葉という意味ではない。黄葉して落ちる秋の最後のすがたではないんです。葉が落ちてからハシバミは花をつけているのです。それにはこれから始まるという意味がある。開炉に際して、始まりの時ということで用いるのでしょうな。」

いつもながら、阿部業躰の分かりやすいお話には感銘を受けるのです。


床の花をまじまじと見ます。枝にぶらさがったのがその花なのでしょうか。
いつか、こう言って教えてくれた人がいたのを思い出しました。

「長い房が垂れ下がっているようなハシバミの雄花ですよ。」

雌花は春に咲きのちにドングリの実をつけます。阿部先生の言はハシバミの雄花のことですね。この垂れ下がった雄花は来年の春まで枝についているわけです。まあ、受け取り方によれば、まさに男社会だということにもなりましょう(^。^)。


それからまた、一茶の俳句もありますね。はんというのが榛の音読みです。ハンノキ(榛の木)と探せば解説がでてまいります。


はんの木のそれでも花のつもり哉     一茶


子規の短歌にもみられます。

はんの木に鴉 芽を噛む頃なれや 雲山を出でて人畑をうつ
                                      正岡子規



そういえばはしばみ色という色が日本にはあるのも、面白いです。


若い方々が面白いことを囁いていて、皆でそれをサカナにして笑ってしまいました。

「ハジカミは知ってるけど。ハジトミはよく分かりません。」

先生も、「ハシバミ、ハジカミ、ハジトミ、かあ。似てるからなあ。」とにこにこ。

寿司の話、露地の話、などをほうふつとして楽しい会話でした。

稽古は、台子で「真の炭」、「真の行」、「大円真」、が行われ、こちらも丁寧なご指導を頂いたのです。







by tsubakiwabisuke | 2006-11-01 22:22 | 茶の道
2006年 10月 28日

利休頭巾に大黒頭巾のお話 台子で薄茶けいこ

24日の稽古は台子で薄茶をしました。指導は寺西業躰。

実技指導もさることながら、先生でなければ聞けないお話をしてくださるのが、皆の楽しみです。

http://www.omotesenke.jp/chanoyu/3_0.html#

長谷川等伯 利休画像  


今日は頭巾について貴重なお話を伺いました。お稽古をしながら拝聴するのです。

先生のお父様は寺西宗楽業躰。淡々斎宗匠から利休頭巾を拝受された功労あるお方でした。

利休頭巾の色は表裏になっており表側は黒。裏側は赤。柔らかい絹で作られているのだそうです。

大事な点は、利休さんの頭巾にはタブーがあった。それは、「利休頭巾を外すな。」ということ。

なぜでしょうか?


利休居士には剃髪したという記録がないというのです。紹鴎には剃髪したという記録が現存しているそうですが。

大黒頭巾。これは紹鴎が大黒庵といったことで大黒頭巾ということになります。

紹鴎は剃髪、頭髪が無いため頭巾がその形をとどめているのに対し、利休頭巾は頭髪があり髷(まげ)がある形と思われる…。つまり、タブーというのはこうしたことのようです。

この等伯が描いた利休像をみますと、僧のころもを着ていても頭は当時の髷があったのか膨れている感じもします。実際は謎だったのでしょう。

利休頭巾を外すな、という言い伝えがあったのに、戦後小説や映画などフィクションがまかり通るようになった、頭巾の無い利休居士は剃髪したすがたになってしまわれました。

居士は在家の仏道修行者であって、本来は僧侶ではなかったという見方ですね。

またゆっくり、この続きを書かせていただきましょう。






by tsubakiwabisuke | 2006-10-28 01:08 | 茶の道
2006年 10月 19日

旧しぐれ会 今は松庵茶会10月例会 京都美術倶楽部

もとは高台寺で開催されていた格式ある茶会です。
京都美術倶楽部が母体になっているもので、古美術の方面では光悦会に次いで評価されている会でしょう。桐蔭会は会員を厳選されていますが、この会もなかなか難しいようです。

毎月9日に決まっていますので、志倶会の稽古が終わってから行くことになります。
この間の9日はうえださん、しもざとさんといった私とはウマが合う先輩(あちらはどう思っているかわからしません)と連れ立って、京都美術倶楽部へ参りました。


茶会記

待合 床  中島来章  嵯峨野

脇      菊蒔絵 硯箱

本席 床  江雪一行  菊水月在手

花入    古銅耳付下蕪

香合    堆朱舟人物      

風炉 釜  朝鮮 浄味造

棚      淡々斎好大内 表朔造

水指    菊絵 仁阿弥造

薄器    菊蒔絵 雪吹

茶杓    宗中 句銘 菊ノ露

茶碗    六閑斎手造 黒 銘 薄紅葉 竺叟 一燈箱

替      御本半使  内刷毛目

建水    唐銅合子

蓋置    青磁 夜学

菓子    栗キントン  叶匠寿庵製

菓子器   雲錦     仁阿弥造

干菓子   鳴子 雀  叶匠寿庵製

菓子器    砂張

煙草盆   長寛造

火入    安南 竹林

煙管    秋草彫


担当は 今井 寛水軒さん。


◇◇◇

大徳寺 江雪和尚の一行は大変いいものでした。悠々自在にして気宇が大きく味わい深い墨蹟でした。この一行の真下に、花が置かれていました。

花木といっても赤い実がハゼタところがなんとも可愛らしいのです。名前をお聞きしたところ、
「ああ、これは、ツリバナというんだそうです。」
帰宅して調べてみると出ていました。ここをご覧ください。

掛け物といい花入れといい申し分ない名品だったのですが、惜しむらくは花入の位置が真下であったこと。せめて少しでも下座のほうに寄せてあればよかったのにと思いました。

ご亭主は、掛け物の格に対してなさったのでしょうね。すみません。
もし、外国でお茶の会によばれてそのインテリアにとやかく言ったりはしないでしょう。茶人はその点違うようですね(笑)。

この日の道具組は、重陽の節句でした。
風炉先屏風が珍しい凝ったつくりでした。遠州好みですか、とお尋ねしました。

茶杓が小堀宗中のまことに華奢といいますか、優美な細っそりとした美杓でしたから、私はすぐ目の前の彫りのある風炉先を遠州流のように感じたのです。

詳しくは仰いませんでしたが、昭和3年に製作されたものとのこと。流派には関係ないようでした。こうした脇の道具は、芝居の脇役と同じで主役をいっそう引き立たせるものです。

茶碗の六閑斎手造は、しろうと造りとはいえない見事な茶碗でした。重くなく、少しカセた黒のなかに朱釉(しゅぐすり)がうっすらとみえます。竺叟がうすもみじと銘をつけられたのではないのだろうか…。そんなことを思っていました。

表千家・如心斎の二番目の弟が、裏千家七代竺叟宗乾。25歳の若さで急逝。
そして如心斎三番目の弟が裏千家八代叉玄斎一燈(ゆうげんさいいっとう)。

裏千家六代の六閑斎手造の茶碗に、このお二人が箱書きをされているのには今思い出しても胸が熱くなるのです。茶道の醍醐味といったらいいでしょうか。

先日の桐蔭会に、引き続きこの松庵茶会もいいものでした。
さすがに京都は本場だ、茶の心が生きていると思いながら、ふらふらといい気になっているのは私。

先輩のうえださんが車で自宅まで送ってくださいました。
いつもこの役たたずに、手を焼かせますなあ、、、。








by tsubakiwabisuke | 2006-10-19 00:15 | 茶の道
2006年 10月 18日

桐蔭会は二日に 松庵茶会は九日に 行ってきました


今日庵主宰 桐蔭会10月例会  

待合 床   月下の又六  煤嶺画

本席 床   又玄斎筆  寿

花入れ   不見斎作  竹一重切 銘 仙人 在判 共箱

香合    唐物写  玄々斎在判 独楽  共箱

釜      芦屋 菊霰 真形 柏叟 大阪初下向節 用之 認得斎箱

風炉    道安面取  宗全造

水指    古備前 南蛮頭巾 関戸家伝来

薄器    玄々斎好  秋夜棗  在判共箱 八代宗哲造

茶杓    円能斎作  銘 朝寒 十二ヶ月の内 直書 箱筒共

茶碗    一燈手造 赤 銘 名月  共箱

替      玄々斎手造 赤  添 田安徳川家宛文

替      御本半使  内刷毛目

替      黒織部 瀬戸十作 佐助

建水    保全

煙草盆   鵬雲斎好 玉栄造る

広間の床  坐忘斎家元の一行
(点心席)


◇◇◇


担当は道具商でもあり煙草盆などを製作されている高木玉栄さん。

点前はご子息。日曜稽古に入ったばかりだということでしたが感じはよかったです。
父子とも黒っぽい和服でしたが、赤の茶碗、行灯のあかりと座の雰囲気も笑いにつつまれ男の茶らしいお席でした。床の「寿」は、じつはご亭主の還暦とか。

「あれ、青年部ではなかったですか。」といえば、
「はあ、この間卒業したばっかりです。十年早く祝っております。」

なるほど。それで待合の掛け物が月見をしている又六。これって狸なんですよ。兎でないところが面白かったですね。

「人間にはまだまだなれませんので」と頭をかかれる主でした。お茶も美味しくとても楽しかったです。

とにかくご宗家への報恩感謝の心がにじみ出ている取り合わせ。
歴代宗匠がたのお作がズラリと並んでいましたが、中でも玄々斎の赤は焼いたのがどうも慶入のようだというご連客の声。ことしの光悦会の京都席を担当される大森さんならではのお話でした。

私としては、茶碗はいうに及ばず、茶杓の「朝寒し」という銘にここ数日の実感がありましたし、古備前の水指、芦屋 菊霰の釜も印象に残りました。


松庵茶会のほうはまた明日にでも会記をお知らせいたしましょう。



10・29再UP 名残の茶会 境港の旧家 庄司家 知新茶会







by tsubakiwabisuke | 2006-10-18 00:51 | 茶の道
2006年 10月 16日

シスターからいただきもの ネコカードと…

昨日はN学院小学校の創立記念日だったそうで、夕方シスターからお電話を頂きました。
ああ、もう1年が経ったんです。

おくりものが到来したのはその後でした。

栗きんとん、お抹茶、フルーツケーキ、それになんと思いがけない方からのメッセージカード!!!

写真が表示されなかったので昨夜書きかけたまま中断してしまったのでした。ドラが写ってるはんぱもんの1枚だけがなんとかUPできそうです。

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シスタージーンといえば、N学院女子大学の著名なプロフェッサーだったのでご存知の方も多いと思います。私の親しくさせて頂いている日本人シスターと修道院で同居してらしたお方。

アメリカに独り住まいされている高齢のお母さまのことがご心配で、大学が定年になったのを機に帰国されたと伺っておりました。もっと日本でご活動頂きたかったと学生も保護者も涙したものです。

シスター ジーン先生は、とっても猫を愛していらして私とはいわばキャットフレンドという繋がりなのです。光栄なことと思います。猫の愛らしい写真の裏にメッセージがかかれていて…。

思い返せば、このシスタージーンのことは2001年12月23日、修道院のねこドピイというページに書きました。アメリカ人修道女のお写真こそ出していませんが、お人柄はご理解いただけると思っています。


2001年12月 クリスマス 修道院のねこドピイ



ノートルダム学院小学校創立51周年記念”感謝の集い”


2番目のレポートの中には、お家元夫人の笑顔もご覧になれますでしょう。





by tsubakiwabisuke | 2006-10-16 02:33 | 茶の道
2006年 09月 29日

水指(みずさし)と 湯がえし


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画像は、庭の片隅に挿し木して大きくなった、宗旦むくげ


9月も過ぎていきます。今日はご宗家の稽古で個人点前でした。

次の間6畳に土風炉が置かれ、最初は本勝手。初炭と濃茶の客になりました。

指導はあべ業躰。今日庵において実技の教授法ナンバーワンはこの先生でしょう。年とともに温厚になられ、分かりやすくかみくだいた言葉で要所要所に注意を与えられるのです。

私は客を済ませた後で、逆勝手の薄茶運び点前をしました。何度やっても間違いますから一応書き留めておきましょう。


逆勝手の薄茶運び点前

○入る足は左足から。建水は右手にもつ。出るときは右足から。坐から立つときも右足から。

○柄杓右手でとり、左手をあしらってかまえて、右手で蓋置きとり定座に置く。柄杓をもちかえ左手で蓋置きの上に。

○棗を袱紗で清めると水指の左下に流す。茶筅は水指の真下。(炉・向切と同じ)。

○袱紗は膝右に仮置きして、柄杓をとって釜の蓋をあける。

○茶碗の水を建水に捨てるのは左手から。その後右手と交互に。

○棗の蓋をあければ茶碗と膝前の間に置く。茶杓にて茶をすくう。

○水指の蓋は左、右、左、右、と4手でとる。

○拝見に出す時は棗、茶杓、と右手で常のごとく。



話の中に、水指のおき方によって湯がえしの有無という関係について言及がありました。

ミクシイの「裏千家コミュニテイ」で質問があったことをいま思い出します。

          

裏千家宗家 槍の間にて(2003年10月撮影)


玄々斎好の五行棚 「運び水指の棚」 に、どうして湯返しをしないのですか?というコメントがあったのでした。その質問者の先生は、「塗り板では無いからでしょう。」といわれたそうで、明確な答えが欲しいといった内容だったのです。


私は答えのヒントは出しておきましたが、めいめいの自助努力を求めて保留にしておりました。

この問の答えは、まさに「水指」なのですね。ここに関連があるものを並べてみることにしましょうか。


◇◇◇


「運び水指の棚」

玄々斎好・・・円融卓
又玅斎好・・・香狭間(コウザマ)棚
圓能斎好・・・寒雲棚・猿臂(エンビ)棚
淡々斎好・・・独楽棚・おつぼ棚

玄々斎好の五行棚 (風炉専用)


こうした棚には薄茶点前の場合、柄杓・蓋置きはかざりますが、湯返しはしません。
なぜでしょう?

いっぽう、長板二つ置きの点前に、柄杓蓋置きはかざりませんが湯返しは必ずすることになっています。

水指が畳の上に運び出された場合と、長板の上に置かれている場合の違いなのだと、理解できるのではないでしょうか。

運び水指は侘びの構えなのですね。そして五行棚そのものが風炉を置く棚であること。「木・火・土・金・水」の陰陽5行の思想がこめられているのだと頭ではわかっていても、なかなかすんなりと身につくまでには行かないのです。

来月はもうすぐです。10月の名残の茶趣を前に、残花の宗旦むくげの写真を撮ってきました。


◇◇◇


それから、水の音について。

薄茶の亭主相伴の場合に、主はお茶をいただく前に先ず水指から水を掬い、一杓を釜にさします。
これは、すぐにとびつかない気持ち。主は客に「この通り、釜には湯がたっぷりございますから、ごゆるりと。」という意味なのです。

したがって、水音が静かにひびく…そのことが大切です。
柄杓をこころもち高い位置からゆっくりと水を落とす…そうした点前ができれば何よりの美しいもてなしになりましょう。

あべ業躰先生との会話から多くのご示唆をいただきました。今日の稽古をふりかえり、みなさまにおすそ分けさせていただきますね。



◇◇◇

五行棚・画像の元記事は、拙サイト  竹一筋 千家十職 黒田正玄さん







by tsubakiwabisuke | 2006-09-29 16:56 | 茶の道