カテゴリ:夏目漱石( 52 )


2007年 05月 09日

動画 三四郎池を歩きました

ちいさな動画 東大・三四郎池

先ほど、ココログのほうへアップいたしました。
よろしければ、そちらへご移動いただけますか。

ケータイを使いはじめたのは最近のこと。
慣れないことをするとこんな貧相な動画になるという見本でございます。


ちいさな動画 三四郎池を歩きました


エキサイトではうまくアップできません。








by tsubakiwabisuke | 2007-05-09 19:44 | 夏目漱石
2007年 05月 01日

漱石の遺徳 心のまじわりを頂いて

松岡陽子マックレインさんが、ことしもオレゴンより里帰りなさいました。
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ごいっしょに私も、会員制の宿舎に宿泊して、行動のお伴をさせて頂きました。ますますお元気になられる不思議なお方でございます。さて、上の写真がどこかお分かりではございませんか?
はい。赤門をくぐったところ、向こうに見えるのは時計台。安田講堂、、、、。


また違う場所へまいりました。新宿の漱石公園です。数人のエライお役人さんに導かれ、漱石山房リニューアルの現地を、マックレインさんにご覧いただく一日でした。漱石山房のあった屋敷で、陽子さんは大正13年に生まれた赤ん坊なのですから。


クリーム色のスーツを召した若いきれいな女性が、新宿区の中山弘子区長さんでいらっしゃいます。
写真はココログにアップしております。


それから下の写真は根津神社のツツジを見物がてら散歩しているところです。漱石研究家の内田道雄氏と、陽子さんと、少年少女のごとく、、、。

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私はここで、北鎌倉へ参りました。鎌倉・漱石の会へ出席のために。円覚寺内帰源院でのスナップです。

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講師は、午前の部 立原 幹氏。 午後の部 芳賀 徹氏。上の写真は講演前の芳賀先生です。

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上の写真は講演中。演題 「夏目漱石の美しい小島ー永日小品ー数編の読解の試み」

25編からなる短編集「永日小品」を、「漱石の美しい小島」とも、「漱石の実験工房」とも呼ぶのは、漱石が二十世紀小説の可能性を多方面に試みて、各篇に極上の面白さをつくりあげているからだと、賀芳氏は説かれます。みずから朗読される音律の妙、、、。一同聞きほれてしまいました。

その内容が日本の「きれいさび」を連想するものであり、私にはことに心に沁みる講演でございました。

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中公新書1656 『詩歌の森へ』日本詩へのいざない

著者のご本に署名してくださったのは、2003年春。内扉に、俳句をお書きくださっています。その日は鎌倉漱石の会があり、講師をおつとめになっておりました。

2003年4月29日

万緑の中に漱石居士笑まふ    芳賀 徹


今回あらたに、右のページにご署名をいただきました。

2007年4月29日

緋牡丹の崩れんとして再会す   芳賀 徹




詩歌をわがものにした日本の男性の、すばらしさを思わずにはいられませんでした。







by tsubakiwabisuke | 2007-05-01 00:31 | 夏目漱石
2007年 04月 18日

漱石の書 「一草亭之人」 西川一草亭旧居を訪ねて

夏目漱石の書 「一草亭中人」

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3月19日、京都市内 浄土寺の去風洞に、私は白檀のお線香一箱を手にして訪問いたしました。翌20日は西川一草亭の祥月命日なのでした。

去風洞は華道の家元で、現九代家元の西川一橙氏と奥様の丁重なお迎えをいただきました。
ご夫妻は私のためにこの漱石の掛け軸を広間の床に掛けてくださっておりました。

もとは扁額であったようですが、おじい様にあたる一草亭が掛け物にされたようです。
じつに高潔な気韻がただよっています。私は感動してみつめておりました。

会話のなかで、漱石のお孫さんであるマックレイン松岡陽子さんに触れました。
お父上の松岡譲氏と一草亭の間には深い交友があったからです。
それらは一草亭が刊行していた雑誌『瓶史』(へいし)の執筆において知ることができます。

写真はマックレン陽子さんが昨年アメリカ大使館で行われた講演会のスナップです。
私は特別に許可をいただいて、証明書を首にぶらさげ(皆おなじ)、参加しています。

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お隣は陽子先生の教え子である米人女性。アメリカ大使館の重要なお仕事をなさっているステキな方です。




西川一草亭は、 『風流生活』1932の中で次のように述べています。

「我々は実生活の他に芸術を求め、 趣味を求め、 芝居を見たり、 音楽をきいたり、 書を味わったりしているが、 毎日の生活をその侭芸術として味わひ楽しむことが出来たら、 どれほど人間は幸福だろう。 茶碗土瓶が芸術であり、 椅子卓子が芸術であり、 机硯が芸術であって、 行住座臥、 随時随所それぞれ鑑賞して楽しむことができたら、 それほど便利なことはない」

かれは、花の作品よりも暮らしを芸術にという思想でその時代を啓蒙したといえましょう。

本業の挿花の指導のほか、書画、庭園の設計・管理、住宅、茶室の設計を行いました。
門下には  京都帝大教授の 藤井厚二、壽子夫妻、浅井忠、高安月郊、都鳥英喜、幸田露伴など。
交流があった建築家は、 武田五一、藤井厚二、堀口捨巳、谷口吉郎、吉田鉄郎、天沼俊一、岡田孝男、本野精吾、大林夫妻など。


『 瓶史』は、 挿花、茶道、庭園、建築など日本の伝統文化研究が編集・掲載されました。





文化サロン

志賀直哉、幸田露伴、室生犀星、和辻哲郎、谷川徹三、小宮豊隆、松岡譲、阿倍能成、長谷川如是閑、板垣鷹穂、正木直彦、川喜田半泥子、北大路魯山人らが集う大サロンであったのです。

ひとえに西川一草亭の高い見識と人柄が当時の知識人を魅了したものと思われます。実弟津田青楓の縁で、夏目漱石門下の小宮豊隆、松岡譲、阿倍能成、が名を連ねていることも注目されるところです。


ここでは画像がアップされないものがございますので、よろしかったらココログのほうをご覧くださいませ。




2006年4月末UP
 
スライドショーマックレイン陽子さんと皇居庭園を歩きました








by tsubakiwabisuke | 2007-04-18 23:13 | 夏目漱石
2007年 02月 22日

猫の日に 年季のいった家族たち

日本記念日學會、それを作られた富山いづみさんによれば、次のようになります。
http://www.nnh.to/02/22.html

☆猫の日
「英文学者の柳瀬尚紀さんらによる「猫の日制定委員会」が1987(昭和62)年に制定。
ペットフード工業会が主催。

「ニャン(2)ニャン(2)ニャン(2)」の語呂合せ。全国の愛猫家からの公募でこの日に決まった。」


はい。今日が猫の日ということになります。ちなみに犬の日もちゃんとありますよ。

☆犬の日
「ペットフード工業会等6団体が1987(昭和62)年に制定。
犬の鳴き声「ワン(1)ワン(1)ワン(1)」の語呂合せ。」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

まあ他人行儀とでもいうんでしょうか。猫を可愛がるにんげんは意外と多いのに、わざわざこんな日を作らなくてもいいんじゃぁないかっておっしゃるのですか?

でも世の中には猫が大嫌いなひとが多いのです。以前、全国では1年間に、39万匹余りの猫や犬が処分されているというニュースが出ていました。野良猫が増えないように地域の野良猫に避妊・去勢手術を施す愛猫家もおられますが、行政側の理解と対応がまだまだといったところです。

これは世の人々への注意を喚起するという意味で、記念日が作られたのでしょうね。
わが家では1匹の猫と18年ちかく暮らしています。家族ですから猫といえども老いを見ることになります。

この子にはモンドという名前の母親とま~という名の妹がいるのです。いえいえ、猫の実家に元気で暮らしているようで、飼い主の田村さんから折にふれて写真が送られてきます。

今日はドラのお母さんと妹、最後にうちのドラと、それぞれ年季のいった猫たちをご覧頂きましょう。

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猫の実家のおかあさん

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実家のいもうと


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うちのドラ

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水をたくさん飲みます

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おなかがふくれています

獣医さんから癌の宣告を受けてからも、ドラは毎日元気でいてくれています。
右のお腹にソフトボールくらいの癌があると、レントゲンから判明したのです。最近は左のほうも膨らんできました。いろんな食べ物を少しづつ口にします。でも一番すきなのは新しい水道の水です。

水って、口の中を清めてくれるみたいですね。水を飲んだ後はとても安らかな表情に見えるのです。

ありがとうね。ドラ。いつも元気をもらっていますよ。






by tsubakiwabisuke | 2007-02-22 22:50 | 夏目漱石
2007年 02月 21日

漱石が博士号を拒絶した日 今日は漱石の日

今日2月21日は、『漱石の日』ってご存知でしたかしら?

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それに明日22日は猫の日なんですよ。
我輩は猫だからって言うのではなくて、ニャ~~、つまりニィニィっていうわけです。
文豪と猫を一緒にしてるのは偶然でしょうが、漱石先生は苦笑されてるんじゃないかと思います。

さて、誰が命名したのかわかりませんが、漱石の日と決めたのには意味があります。

漱石の日

漱石の日…1911年(明治44年)、夏目漱石が文学博士号授与の辞退を表明した日。

明治44年の2月21日でした。夏目漱石は博士号を辞退する旨を書いた手紙を文部省専門学務局長の福原鐐二郎氏に送ったのです。文部省から文学博士号を授与するという通達が来たことに対して漱石はきっぱりと拒絶したのですね。


東北大学附属図書館 夏目漱石ライブラリ 漱石の生涯 より

「また明治44年2月、文部省から博士号授与の通達があったが、漱石はこれを辞退したため博士号授与を巡って事態が紛糾した。

 博士制度は学問奨励の具として、政府から見れば有効に違ひない。けれども一国の学者を挙げて悉く博士たらんがために学問をすると云ふ様な気風を養成したり、又は左様思われる程にも極端な傾向を帯びて、学者が行動するのは、国家から見ても弊害の多いのは知れてゐる。余は博士制度を破壊しなけばならんとは迄は考へない。然し博士でなければ学者でない様に、世間を思はせる程博士に価値を賦与したならば、学問は少数の博士の専有物となつて、僅かな学者的貴族が、学権を掌握し尽すに至ると共に、選に洩れたる他は全く閑却されるの結果として、厭ふべき弊害の続出せん事を余は切に憂ふるものである。余は此意味に於て仏蘭西にアカデミーのある事すらも快よく思つて居らぬ。
 従つて余の博士を辞退したのは徹頭徹尾主義の問題である。

(「博士問題の成行」) 」


漱石は個人の栄達という観点ではなく、学問の道において名利を求める気風が養成されることを恐れたのです。
博士号によって、「学者的貴族」が生まれ、「学権を掌握し尽すに至る」弊害が出ることが、真理の探求である筈の学問を俗化へと向かわせるという判断によるものです。

そうして国家権力と学者が結びつくことを漱石は嫌悪しました。しかし、これは漱石の「主義の問題」であって、「余は博士制度を破壊しなけばならんとは迄は考へない。」と書かれているように、他に押し付けるものではありませんでした。


いわゆる文士という範疇には属さない、「学問の人」であった漱石。肩書きは無用だというのは自信がなければ言えることではありません。死に物狂いで勉強した大学者でありました。
「ただの夏目なにがしでありたい。」という信条は漱石の生死を貫いたものだったと思います。

東京大学で恩師のケーベル先生の高潔な人格に触れた漱石は、真の学究の道を求め、それを自分に厳しく課したひとだったのですね。こうした思いを後世にとどめ置くために、この日を「漱石の日」としたのは意義あることではないでしょうか。

それを決めた人の見識の高さを、私はひとり思うのです。



なお、画像の説明はこちらをご覧くださいませ。

2004年6月 4日 (金)  好漢 夏目房之介さん


鎌倉・漱石会のお友だちである横浜の吉良さんが房之介さんのサインをもらわれ、その貴重なご本をわびすけにお贈りくださったのでした。あ~~、ファンの皆さま、ごめんやっしゃ~。


さらに、NHKで放映されたETV特集 5月22日(土)のアーカイブ 

夏目漱石・夏目房之介が探す祖父”猫”誕生百年







by tsubakiwabisuke | 2007-02-21 23:27 | 夏目漱石
2007年 01月 20日

趣味ゆたかな 京の酒造会社 「黄桜」 

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http://www.kizakura.co.jp/index.htm



「黄桜」は京都にある酒造会社です。

カッパの画が先にアップした黄桜の動画にあったものですから、つい懐かしくなって追加として書いています。黄桜ギャラリーに出ているのは小島画伯のカッパです。やはり先の動画にあったのは清水昆に間違いないように思いました。昔は清水画伯のカッパが朝日新聞で有名になりここでも活躍していたのでした。


余談になりますが記事を書くため昨年、この会社に私はメールで取材をしたことがありました。管理職の方から丁寧なお返事をいただき、とても好印象を受けたのを思い起こすのです。

創業者のお方が趣味が深く、黄桜を愛好されお庭に植えて愛でていらしたことが社名になったとお聞きしました。

今日は昨年3月に行われた「2006FIFAワールドカップドイツ大会」 に寄せて黄桜が公開しているカッパのポスターを、ご紹介いたしましょう。黄桜さん、勝手に画像を拝借しますがよろしくね!

           

ドイツに住する好漢、がんばるHiromba。さん いかがですかぁ~~~。




IT新聞掲載記事
御衣黄(ぎょいこう)桜と 虞美人草の浅葱桜(あさぎざくら)


一部引用

・うこん-ざくら(鬱金桜)
別名:黄金桜、黄桜、浅黄桜、鬱金桜。ショウガ科の「ウコンの根」で染めたような色。

 ちなみに京都には「黄桜」という造り酒屋があるが、聞くところによると鬱金桜を愛するオーナーによる命名だという。しかし、御衣黄と鬱金とは専門家でも間違える程似ており見分けがつかない。御衣黄のほうが緑色が多く花弁には気孔があるのが、鬱金とは相違するらしいのである。

漱石は「少し青味を帯びて」と書き、別の章で「藤尾はすうと立った。朧(おぼろ)とも化けぬ浅葱桜が、暮近く消えて行くべき昼の命を」と麗人・藤尾をこのさくらを通して描写している。このことからも、ウコンよりギョイコウの青いイメージのほうが漱石の「浅葱桜(あさぎざくら)」には合致しているように思う。

 もしも、御衣黄(ぎょいこう)桜が漱石のいう「浅葱桜(あさぎざくら)」であると確定されると、私はまことに嬉しく思う。

 なぜらば、御衣黄は京都・仁和寺の出自と伝えられるからである。

 「昔の貴人が好んで着たウグイス色の気品のある衣の色に似ていたことから御衣黄と命名された。突然変異で生まれたであろう品種。江戸時代に京都の仁和寺で栽培されたのが始まりだという。」

(椿伊津子)






by tsubakiwabisuke | 2007-01-20 17:17 | 夏目漱石
2006年 12月 06日

漱石忌 北鎌倉へまいりました

12・6UPスライドショー2006年 漱石忌 鎌倉漱石の会

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円覚寺の広大な境内に、1本の銀杏の木が孤高の美しさを見せていました。

ことしの漱石忌、本来なら12月9日なのですが、会員が出席しやすいように、第1日曜日と決められているのです。

全国各地から、九州のかたや、信州長野から毎年おみえになる常連さん。私も京都からこの漱石会を楽しみに参加しています。

講演もそれぞれ充実していました。

この講師は朝日新聞社の記者のお方。『新聞記者 夏目漱石』の著書をお出しになっています。
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私も以前書かせていただいた拙稿がございますが、お話を伺いながら自分の未熟さを感じたことでした。とても勉強になりました。じつはこの新書をまだ見ていなかったのです。

でも、漱石に関する資料は共通したものがありました。

JanJan 古都つれづれ 1/30 新聞記者になった夏目漱石の「京都」






by tsubakiwabisuke | 2006-12-06 20:52 | 夏目漱石
2006年 08月 21日

『坊っちゃん』の碑 漱石作詞「源兵衛」の童謡



漱石が書いた童謡って、ご存知でしたか。


  源兵衛が 練馬村から    
  大根を  馬の背につけ   
  お歳暮に 持て来てくれた   


  源兵衛が 手拭でもて
  股引の  埃をはたき
  台どこに 腰をおろしてる


  源兵衛が 烟草をふかす   
  遠慮なく 臭いのをふかす  
  すぱすぱと 平気でふかす 


  源兵衛に どうだと聞いたら
  さうでがす 相変らずで
  こん年も  寒いと言った


  源兵衛が 烟草のむまに 
  源兵衛の 馬が垣根の      
  白と赤の 山茶花を食った


  源兵衛の  烟草あ臭いが
  源兵衛は  好きなぢゝいだ
  源兵衛の  馬は悪馬だ


    岩波「漱石全集」より


この詩にはテンポのいい曲がつけられているそうで、松山市の或る銀行の合唱団によって披露されたのです。
松山、道後温泉の側に漱石「坊ちゃんの100年祭」の記念碑ができたのは、ことしの4月。お知り合いのさんごさんからお知らせいただいたのでした。テレビでも新聞でも報道されました。

 「夏目漱石(1867~1916)の小説「坊っちゃん」発表から100年になるのを記念し、 小説の舞台とされる松山市で29日、記念碑の除幕式があった。」
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060430k0000m040030000c.html


これは漱石研究の団体である、「松山坊っちゃん会」が建立して松山市に寄贈したとのことです。
会長の頼本冨夫様とは私も私信を交わしたことがありますので、蔭ながらよろこんでいました。
「松山坊っちゃん会」坊っちゃんニュース

さんごさんはこのお盆にふるさとの松山へ行かれ、記念碑の写真を撮って送ってくださいました。拙サイトPhotoBBSでその写真を見ることができます。

「これから色々漱石の関連の公園になるという敷地の一角に一番に出来たのがこの記念碑です。まだトイレとこの碑だけでした。」

その写真には、漱石の顔の写真と坊ちゃんの書き出しの文章が書かれたとてもシャレた記念碑があって、これに漱石の詩に曲がつけられた「童謡」のCDがあればなぁ~と、思ったものです。
まあ、ふとどき者の欲ではありますが(笑)。

除幕式の日に漱石の童謡が歌われたそうです。
坊ちゃん会の依頼で伊予銀行の合唱団の方が漱石の詩の合唱曲を初披露されたそうですが、じつはさんごさん、この合唱団に昔いらしたことがあったのです。

実は昔(50年くらい前)に私もこの合唱団に居たことがありました、といわれ、それもその筈、さんごさん松山東高校(旧制松山中学)のご出身ですから、そうしたつながりがあるのは頷けますね。

記念碑は高さ1.7メートル×幅0.6メートルの黒御影(みかげ)石製。
道後温泉本館東側に 市が整備中の休憩所内に建てられています。小説冒頭の5行の自筆原稿と漱石の肖像を描き、 碑文は地元出身の作家、早坂暁さんが揮ごうしたということです。

漱石は1895年から1年間、松山市に英語教師として滞在しました。「坊っちゃん」はこの経験を 元に書かれたとされる小説なのですね。

この漱石の詩に今回あらたな曲がつけられた『童謡』について、元松山東高校教諭の頼本冨夫会長は、こう述べられたとのことです。
「読み継がれてきた小説のように、長く親しまれてほしい」


それにしても、漱石のこの詩、なんとも素朴な味がありますねえ。





     

by tsubakiwabisuke | 2006-08-21 22:36 | 夏目漱石
2006年 08月 20日

中国と日本、孫文が日本へ期待したこと そしてイギリス


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先日、他界された鶴見和子さんの父上は、後藤新平の婿養子である鶴見祐輔。鶴見俊輔さんは和子さんの弟にあたります。

鶴見祐輔は、政府の要人であると共に作家でもありました。保守の政治家の家系から左派の言論人姉弟が出たというのも、自由な家であったからでしょう。

私は若い時に、鶴見祐輔の小説『母』を読んだ記憶があります。上流社会の母子を描いたものでした。最近、鶴見祐輔が中国の孫文にインタービューした「会見記」をネットで見ることになり、非常に感銘を受けました。


とにかく、これは歴史的にもまことに貴重な、中日両国の驚くべき記録です!
1923年【大正12年2月21日】、第三次広東政府の大総統に就任した直後の会談。

ぜひ、ご覧くださいませ。

http://ore.daa.jp/Records/Record2/Sonbun2.htm

孫文のことば

「それは日露戦争の勝利です。あの戦争のときの東洋民族全体の狂喜歓喜を、あなたは知っていますか。私は船で紅海をぬけてポートサイドに着きました。そのときロシアの負傷兵が船で通りかかりました。それを見てエジプト人、トルコ人、ペルシャ人たちがどんなに狂喜したことか」

「そして日本人に似ている私をつかまえて感極まって泣かんばかりでした。 “日本はロシアを打ち負かした。東洋人が西洋人を破った”。そう叫んで彼らは喜んだのです。日本の勝利はアジアの誇りだったのです。日本は一躍にして精神的にアジアの盟主となったのです。彼らは日本を覇王として東洋民族の復興ができると思ったのです」

「ところが、その後の日本の態度はどうだったのでしょう。あれほど慕った東洋民族の力になったでしょうか。いや、われわれ東洋人の相手になってくれたでしょうか。日本は、やれ日英同盟だ、日米協商だと、西洋の強国とだけ交わりを結んで、ついぞ東洋人の力になってくれなかったじゃないですか…」


孫文のことばから、日露戦争がいかにアジアの民衆に勇気と希望を与えたか、期待と失望と。そのことを日本人である私たちは知らなければなりません。

孫文は続けて、次のように語ります。


「しかし、私たちはまだ日本に望みを絶ってはいない。ロシアと同盟することよりも、日本を盟主として東洋民族の復興を図ることが私たちの望みなのです。日本よ、西洋の友達にかぶれてはいけない。東洋の古い友達のほうに帰って来てください。北京政府援助の政策を捨てなさい。西洋かぶれの侵略主義を捨てなさい。そして満州から撤退し、虚心坦懐な心で東洋人の保護者になってください」

「東洋民族の保護者として、自分たちは日本を必要としている。そして今、自分たち同志が計画しているように“東亜総連盟”は日本を盟主として完成するのです。それには日本が従来の謬った侵略政策を、ことに誤った対支那政策を捨てなければなりません。それまでは、いかなる対支那政策も支那人の感謝をかち得ることはできないでしょう。支那人は深い疑いの念をもって日本を眺め続けるでしょう」


ああ、こうしたことばを時の日本の政府と軍部が謙虚に受け容れていたならば、あの無謀な第二次世界大戦は回避できたことでありましょう!


私は、現代の日本のマスメデアは、真実から遠い視点で報道しているように感じることがあります。それより自分の目で見、耳で聞き、実感したことを信じてきたように思いますがこれも危ういものです。


もう20年前になりますが、主人がケンブリッジのカレッジに、客員研究員として滞在していたころ、私もひと夏を過ごしました。そのときのささやかな思い出をまとめたものがございます。

インド哲学とサンスクリットの学究である主人は、インドを長年にわたって植民地化したイギリスを見てみようという気持ちもあって渡英したのでした。

私はといえば、ケンブリッジとロンドンで、なぜか岡倉天心を思っていたことを思い起こすのです。


2001/7/  ケンブリッジで過ごした夏 ( ウェブ雑誌 D社 )   椿 伊津子
http://tubakiwabisuke.cool.ne.jp/zuihitsu02cambridge..html

一部抜粋

ほんの小さ島国であったイングランド、他の島を侵攻し自国となし、植民地政策をもって世界の大国にのしあがった国。
 紳士の国というけれど、その陰にある、武力によって征服され搾取された罪なき植民地の人々。人間の尊厳をも失った多くの人間の哀しい歴史はどうであったのか?
 そしてこの世界における最高学府の人々は、その権威ある人々は、それに対していかなる声をあげたであろうか?
 私は日本人が明治時代の鹿鳴館に舶来思想をもって英国に追いつけと奮励努力したことを思う。日本という国家は英国を模範としたようであるが、その裏には植民地政策によって大国になった非人道的な要素をも模倣したのではなかったか?アジアの人間回復を求める理想も確かにあった。しかし、西欧列強の植民地政策に倣い、日本はそれを実践して戦争をし、敗れたともいえるのではないだろうか?

 英国は今もって世界の大国であり、高い文化を有する国である。日本の平安朝と同じように貴族の文化は高く美しい。しかし、それは人類の幸福・人間の倫理ということとは別の次元ではないのだろうか?
 私は日本の知識人の中で、毅然として彼ら欧米人に向かってこう呼びかけた岡倉天心を思い浮かべていた。


 *「両大陸がお互いに警句を投げつけ合うのを止めようではないか、両半球の相互の利益によって、たとえもっと賢くはならないとしても、もっとまじめになろうではないか。われわれ両者はそれぞれ違った線に沿うて発展してきた。だが一方が他方と相補わない道理はない。諸君は落ちつかないという代価を払って膨張をかち得た。われわれは侵略に対抗するには弱い一つの調和をつくり出した。諸君は信ずるだろうか?ー東洋は若干の点において西洋にまさるということを!」 岡 倉 天 心『茶 の 本』 第1章 人間性の茶碗 (浅野 晃 訳)  
                          *(原書は1906(明治39)年 Okakura Kakuzou「THE BOOKOF TEA」NY・FoxDaFeeld社刊・英語版)


以上は、主人の書いた随筆の部屋におさめています。

あるじ の 屑篭
http://tubakiwabisuke.cool.ne.jp/arujinokuzukago.html








by tsubakiwabisuke | 2006-08-20 03:40 | 夏目漱石
2006年 08月 01日

八朔(はっさく) 夏目房之介さんの講演 花園大学


8月1日の今日は、八朔(はっさく)の日です。

八朔のご祝儀といいまして、日ごろお世話になっている家へご挨拶にまいるのが、京のしきたりとして続いています。

朝、裏千家今日庵へ参りますと、大勢の出入り方や関係者の方が待っておられました。
志倶会は第一番に招かれます。とつとつ斎にはお家元、大宗匠、ご宗家の方々がお坐りになっていらっしゃいます。そこで一同へお言葉があり、茶道のためより一層の精進を心に誓いました。

帰宅して、午後12時過ぎから花園大学へ、夏目房之介さんの講演を聞きに行きました。

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花園大学の客員教授であられる夏目房之介さんは、明日から集中講義をなさるようです。
今日の講演は学生だけでなく、一般に公開されているもので昨年も開催されたのでした。
ただ、私はそのころは関心がなかったのです。


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今や、日本マンガは、アジアだけでなくヨーロッパにも大きい影響力をもつ文化となっていること、スライドの大画面で参考資料をみながら解説されました。イギリスのマンガ家の作品で「ビュー!」という日本文字がそのまま挿入されている場面には、笑ってしまいました。

学究的なお話もあり、日本ではよく「海外ではこんなことはあり得ないが日本ではこうこうだ。」というような論調が少なくないが、それはおかしい。内外ともにしっかりした視点をもつべきだというくだりは、共感を覚えました。夏目さんがそれを実践しておられるのが強みです。

また、韓国のインターネットは日本よりも国民に普及し、ネットの連載マンガがヒットしてから出版社が動く、という実話もおもしろいと思ったものです。総じて、小説を上回る人気が世界的なマンガブームであり、タイではマンガ家が美大出身が多いということから、作家の質の問題にも触れられました。

私がひそかに期待していた漱石についての言及はひとこともありませんでした。
笑わない漱石の顔を思い浮かべるほど、孫の房之介さんもぶっきらぼうな感じではありましたね(笑)。






by tsubakiwabisuke | 2006-08-01 21:57 | 夏目漱石