2007年 09月 09日
ご夫婦の忌日がまったく同じというのは、世の中にはあまり多いことではありません。9月7日にお二人のご遺徳を偲ぶ一会にことしもご奉仕をさせていただきました。 無限忌とは、裏千家第十四代碩叟宗室、淡々斎の名で親しまれているお方です。1893年(癸巳,明治二十六年)にご出生、1964年(甲辰,昭和三十九年)9月7日に逝去。伝道に行かれた北海道で急死されました。享年70歳。 無限斎の斎号と碩叟の号は大徳寺の瑞巖老師が授けられたものです。淡々斎の著書『風興集』には、その間の謂れが詳細に書かれています。瑞巖老師は無限斎のことを「人中の英」と讃えておられるのです。 淡々斎は学問を重要なものとして学び尊んだ方です。今は学者といえばサブカルチャー的な言動をされる風潮がありますが、本来はそうしたものではなく本格的な学者を尊敬されました。淡交社刊『茶道古典全集』はその偉業を余すところなく伝えていると思います。 嘉代子夫人は仙台のご出身。美貌に加え才気と母性的な心配りで人々を魅了された方でした。裏千家中興の女性と申しても過言ではありますまい。その夫人の法名清香院様は後年、最愛の夫君の後を追うように同じ9月7日に逝去されたのでした。ことしもその法要が聚光院にて厳かに執り行われました。 私ども直門は、大徳寺における無限忌の副席を例年のごとくご奉仕させていただきました。三玄院の茶席のもようを水屋仕事の合間に撮りましたが、カメラの故障でうまくいきませんでした。多少見られるものだけアップしてみましょう。 トップ 床は円能斎 清風拂名月 淡々斎好みの円意棚 歌と在判が天板裏にあり ものごとに 障らぬものは 円かなる おのがまことの 意(こころ)よりこそ 菓子器 オランダ 茶碗 淡々斎歌銘 「松風」 覚入造 道具は当番持ちよりです。高価なものを見せてもらうのですから勝手な批評は避けたい処ですが…。私の感じたことは、風炉の雲華面取りの色彩がちょっと目立ち過ぎているようで、全体の印象から惜しいと思いました。難しいですねえ。 花入は淡々斎好、無心籠。 水指は古膳所(こぜぜ)、渋く味わいのあるものでした。 棗は秋の野棗、八代宗哲の作。これは利休好。 茶杓 淡々斎 銘 初雁、風情のある茶杓でした。 この銘のお菓子が今日庵席で出されておりました。末富製。黒砂糖にくずで作られ中に白い百合根の一片が入っているものです。御所前の松屋ときわが有名なお菓子でしたが、最近はお目にかかれません。 いずれ『淡交』に掲載されることですから、この辺で。 ◇ スライドショー 2006年8月7日 無限斎宗匠毎歳忌 清香院さま27回忌法要 副席
by tsubakiwabisuke
| 2007-09-09 01:27
| 茶の道
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