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2007年 07月 17日

祇園さんの献茶式 裏千家家元ご奉仕

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七月十六日の八坂神社の献茶式は、隔年ごとに表千家と裏千家が交代でご奉仕されています。ことしは坐忘斎・今日庵家元のお献茶の年ですので前から心待ちにしておりました。

茶券と普通はいいますところ、ここは神撰料と印刷されています。その券は九席あって一万円。お裏と表。親戚付き合いの協力と申しましょうか。

一力、中村楼、美濃幸、と老舗の料亭が茶席会場になるという贅沢さに、コンチキチンの音色が
いやが上にも胸の高なりを誘うのです。全国から祇園祭の献茶式に参集した方々その数800人。

ことしは値上がりしたというものの、昨年までは大変お求め安い神撰料でした。ただし点心はありません。和菓子とお茶でまんぷくになりまっしゃろ~~。お値打ちの大茶会だったと思います。

ちなみに詳細を書いておきますと以下のようになります。

○拝服席     今日庵担当(常磐新殿2階)
○副席       三互会担当(常磐殿)、幽静会担当(中村楼)、大中会担当(美濃幸)
○協賛席     今日庵担当(瑶池軒)、淡交会京都支部担当(中村楼階下)、清園会担当(清々館)、菓匠会担当(常磐新殿階下)、而妙会担当(万亭)


なにしろ800人もの客数なんですよ。今日庵席のお世話役の方にそっとお伺いしましたら、約20回とのことでした。大広間ですから40人として一日に20回別の客におもてなしをすることになりますね。

午前9時からの献茶式は、会場外の型テレビにて多くの参拝客はお家元の点前に見入っておりました。後でほんとうに美しい手だったと、お点前のことを囁きあっている声が耳に入りました。


今日庵席に行列で入りますと、業躰さんが私を引き止め、煙草盆の前に連れて行かれました。年の順番かなと諦めてましたら、茶道口からお家元がにこやかにお出ましになりました。

「正客のTさんはじめ、皆さん…」と、席主としての丁重なご挨拶。ソフトなお声は声帯を痛めていらっしゃるように先日お聞きしたばかり。でも、もうそんなに良くなられたとは…。

「新潟では、震度6強という大地震があったと今、聴きました。ご家族の方か知り合いの方がおられる方はどんなにかご心配のことと思います。」

冒頭にこのお言葉がありました。こういう気配りをなさるのがお家元なのですね。いつもそうした心を感得させていただきます。その次に祇園祭の天候から席の道具組みなど平易な語り…。

「今日の軸はあまり出していない玄々斎です。玄々斎は字がうまいですなぁ~。」

「楽事万々歳」 五字一行。じつに雄大な墨痕淋漓とした書体でした。

待合に宗旦の消息。「読めぬ宗旦」通りの難解な文字でした。ただ、六月二日の日付の字はハッキリ読み取れましたが。これの日付には深いわけがあるのです。旧暦の六月二日を新暦に読めば祇園社の祭礼の初日になるとお聞きいたしました。ゆっくり時間をかけて解読したいものです。

私はすばらしいと思いました。ことしもこれらのお道具にまたお目にかかることが叶いました、と参拝客は一瞬、生きた歴代の方々をまのあたりにするのでしょう。これぞ、茶会の醍醐味と申しましょうか。

メインの今日庵席で、正客の座に引っ張っていかれたのは、こんなはずじゃなかったです~~。お家元のご挨拶でTさんとよびかけられたヒトは、平生の行いはあんまり褒められたモノデナイ。痛み入りました。

お家元との会話。
「今日の菓子は行者餅です。疫病除けにどうぞ召し上がってください。」

「ありがとうございます。でも折角のお守りですからこれはお土産に持って帰ります。」

「そういうこともあるかと思って、紙はそのまま外さないでおきました。」

菓子鉢に透明なセロハン紙に巻かれたままの行者餅。
こうした心くばりのあることをあらためて嬉しく教えていただきました。


その他の席は、中村楼の幽静会・淡交会京都支部。
みなさん、お世話さまでございました。いずれのお席もお茶をいただき、ほっこりと一息つきました。

一力の大書院では、表千家の茶席。ここでも何かのせいで上に追いやられ、長板二つ置きのお点前を半畳隔ててまん前に坐って拝見。舞妓さんの可愛いお運びでお茶をいただきました。

男性の半東さんと少しお話いたしました。

「夏目漱石が明治40年と大正4年にこの一力の「大石忌」に来ています。
舞妓やお茶などに接してたいへん驚いたように書かれてますね。」

「そうでしたか。舞妓の出る部屋はこの部屋だけなのです。」

それではこの広間で漱石が居て、ものごとを見聞したということになります。なるほど。
なお、屋号の万亭が一力と呼ばれるのは万の字が一と力で出来ているという所以です。


帰る道順は万亭の土蔵を前にして、庭の緑がさわやかな廻り縁を歩いて例の大きい暖簾「一力」をくぐって外界へ出ました。財政難から今の所有者は、新興の回転寿し屋になっているという説あり。とにかく真偽のほどはわかりませんが、これだけの伝統ある構えを維持するのは大変なようです。


もう一席は、美濃幸で行われておりました。やはり広間二間続きで点前座は長板の二つ板置き。どちらも平水指が夏の風情ですね。半東は男性。点前は女性。正客に勧めてなって頂いた方は淡交会青年部で大活躍の太田さん。男性ですが麻の縦じまの和服を着用しておられました。なかなかいいものでした。

涼やかな菓子なども嬉しいもてなしですが、客の着物も夏らしく奄美大島の香りがただよう「草のきもの」で、一座の雰囲気をごいっしょに楽しんだひとときでした。




この日記は17日に非公開でUPしていたものですが、PCの不調でそのままになっていました。

祇園祭は過去ログにも載せておりますのでそちらもどうぞ!

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by tsubakiwabisuke | 2007-07-17 23:07 | 京都


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