2007年 05月 24日

炭点前から 竹の蓋置(ふたおき) 略書院かざり


寸松庵 燈篭。今は槍の間の中庭に。

今月は一日にご宗家に参上したきり、欠席を重ねていました。朝行くつもりでいても持病の不整脈が出るともう駄目なのです。そういうことで点前の稽古がなおざりになってしまいます。内心こうした自分を恥じる気持ちがあり、これが嵩じると鬱になりますからまあいい加減なところで身心が談合するわけです。

楽しんでお茶をせないかんよ、、、とよく仰ってくださるのは、米寿になられた寺西業躰先生。点前のミスをいちいち気にしていては客に美味しいお茶を点てることも出来なくなりますから。とても有りがたい指導をしてくださいます。

今日は、槍の間で初炭をいたしました。炭をつぎ終わって中掃きをして灰器をとり灰さじにて月形に掬う。この席はこの客だけにという意思表示の伝承なのです。その後、後掃きをして香合をとり白檀を二片くべる。熱灰のところに置くのは火の上で燃えないようにとの配慮なのですね。

釜の蓋は切らずに灰器をもち茶道口へ。炭取りも下げる。席中、香合がかえれば主は釜前に坐り、袱紗をさばき土風炉の右から左と胴拭きをし二つに折って前を拭く。袱紗をさばき直し二つに折ったまま釜の蓋を清め、蓋を切ります。

茶事の形式による初炭点前です。ここから客前に坐って、香合の拝見の挨拶になりました。

なお、羽箒は右羽。地摺りの羽でない上の羽を使用するのは、土風炉は炉のような荒さがなく今でいうソフトなものだからでしょう。




次は八畳の間を小間据えにして風炉を置きなおしての点前になりました。水屋の若い見習いの男性が手早く風炉釜、敷板を移動します。青竹の結界を持ち出したところ先生から注意がありました。

「それはあかんで。青竹の結界は本来は野点のもんや。蕨縄(わらびなわ)で結んでいるのより蔦で組んでほうが未だましなんだが。」

そこで北山杉で作られた結界に取り替えられて置かれ、座が整いました。明け放たれた障子のすぐ向こうは、坪庭で寸松庵の趣のある燈篭が見えます。客は点前をされる亭主の背景にそれを眺めつつ、ゆったりとしたひと時を頂くのです。なんと贅沢な稽古であることか…。



台天目。その次は盆点(ぼんだて)。後炭の点前。

最後に私が薄茶の点前をさせていただきました。小間据えで客は三人。

干菓子は伊織製 ツバメの焼印が清々しい麩せんべい。水色の流水もよう有平糖。

竹の蓋置を扱いながら先生に問いかけました。

「宗旦の花押がある竹蓋置を拝見したことがございますが、もとは使い切りの消耗品だったとは考えられませんけれど。」

「いや、最初は青竹を切って作ったのだが、それを欲しがる者が出たので油抜きをしたんだ。日数を経て油がなくなった竹だから花押が書けた。だから昔の竹蓋置きは貧相なもんだ。」

そうなのですか。興味深いお話が聞きだせてよかったと思います。
今では、長板二つ置きは花押のある竹蓋置に決まっていますよね。時代の推移ということでしょうか。では、なぜ、竹以外のものは使用しないという不文律があるのでしょう?

茶の道具に大よそ、真・行・草の決まりがあることも関わりがあるのはいうまでもありません。竹は草であることに思いをいたせば、点前がおのずと見えてまいりましょう。


私は長板二つ置の点前は運び点前と考えておりました。長板は棚であるとされるのは、台子の天板を外し柱を取った地板が成り立ちだからですね。けれども点前そのものは運びであり、建水を飾り残すこともなく退くのです。運び点前であるからには、竹蓋置が約束なのです。

長板という格によって、柄杓を飾ることがなくても湯返しをする。これは長板総飾りに準じる作法です。また、こうした格があることで竹蓋置も青竹ではなく花押ある竹のものを使用しなければなりません。

寺西先生のご指導のなかに、自分の思いを確認することができましたのは本当に有り難い事でございました。

「今日庵の奥伝である十段にはなぁ、台子の地板に竹蓋置と柄杓を置く点前があるんだよ。それから出ているのだから矛盾は何もない。」

薄茶を三人の客に点てたあと、仕舞いの段階で竹の蓋置を左手で風炉の左、釜のカンツキに置くようにご指導があり、ついで同じく左手で柄杓をその上に置きました。

「ああ、先生。これが略書院飾りですね。茶碗が二碗って持ち帰れない場合の所作ですね。」

「台目畳なら替え茶碗を茶道口へ下げればいいんだが、一畳丸畳だから遠すぎるだろう。そういう場合にはこうすればいい。」

略書院かざりは、書院がある寒雲亭で使用されていたということ。もちろん広間でも小間でも出来る点前として、知っておくといいと思います。淡交会などでは全国的な統一を考えられますからこうした伝承の点前を習うことはありません。

しかし、温故知新(古きをたずね新しきを知る)の心は、茶道を学ぶ者一人ひとりが謙虚に学んでいいのではないでしょうか。







by tsubakiwabisuke | 2007-05-24 16:55 | 茶の道


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