2007年 05月 15日

台湾の漱石ファン

内田道雄氏(学芸大学名誉教授)をマックレイン陽子さんにご紹介させていただいたのは、陽子さんのお父上である松岡譲氏と内田さんのお父上様が長岡でご懇意でいらしたということもございました。

先月の末に、漱石ゆかりの東大構内、三四郎池や地下の学生用の食堂メトロにもご案内いただき、3人で親しくお話したなかに、台湾の大学で講演をされたということをお聴きいたしました。

漱石ファンがかの地で健在であるということにほっとして懐かしい気持ちになったものです。近隣諸国の反日キャンペーンをマスメデアが報じて心を痛めていたのでした。

最近、このような明るいニュースもございました。

http://megalodon.jp/?url=http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20070508ij21.htm&date=20070509131753


第1回後藤新平賞に李登輝前台湾総統
 日本の近代化に尽くした政治家後藤新平(1857~1929年)にちなみ、国家や地域の発展に寄与した人に贈られる「第1回後藤新平賞」に、前台湾総統の李登輝氏(84)が決まり、8日、発表された。


 李氏は1923年生まれ。旧台湾総督府の民政局長を務めた後藤とかかわりの深い台湾で、台北市長や台湾総統として近代化に貢献した点が評価された。授賞式は6月1日午前10時、東京・六本木の国際文化会館岩崎小弥太記念ホールで行われる。同賞は、満鉄総裁、外相、東京市長などを歴任、スケールの大きな政策を構想した後藤の生誕150周年を記念して「後藤新平の会」が創設した。

(2007年5月8日22時51分 読売新聞)


近隣諸国との友好をねがう意味でも、かの地で漱石の研究も健在であることを素直に喜びました。以前、このブログで私は後藤新平について触れておりますので、ひとしお感銘を覚えたのです。


内田氏に是非、台湾でのご講演の概要なりとお知らせいただきたいと申しましたら、ご丁寧なワードを送ってくださいました。講演の内容は、春樹の小説を100冊読んで書いたとおっしゃっておりました。

皆さま、どうぞお楽しみになっていただきますよう!




『ノルウェイの森』談義――村上春樹と夏目漱石――      内田道雄
2007.3.31於高雄空中大学

1.前置き(個人的な・・・・)「蛍」のこと 
               全共闘世代・新人類世代・オウム世代 
小浜逸郎「オウムと全共闘」 
               アイルランドに居る喩智官さん!

2.「手記」という「枠組」  終末から冒頭までの「空白」
               
3.ストオリイとプロット   空間(郷里から東京へ)・時間(個人と時代)
               『三四郎』との対応
               セラピー小説か、Bildungs-romanか
               歴史的事実との対応

4.おいキズキ、ここはひどい世界だよ、と僕は思った。こういう奴らがきちんと大学の単位をとって社会に出て、せっせと下劣な社会を作るんだ。(第四章)

5.直子と緑         「緑の父親」のエピソード(第七章)

6.ハツミさんで始まる物語 「反実仮想」の物語
それは充たされることのなかった、そしてこれからも永遠に充たされることのないであろう少年期の憧憬のようなものであったのだ。僕はそのような焼けつかんばかりの無垢な憧れをずっと昔、どこかに置き忘れてきてしまって、そんなものがかつて自分の中に存在したことすら長いあいだ思いださずにいたのだ。ハツミさんが揺り動かしたのは僕の中に長いあいだ眠っていた〈僕自身の一部〉であったのだ。(第八章)

7.村上春樹と夏目漱石   『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』
ぼくが『ねじまき鳥クロニクル』を書くときにふとイメージがあったのは、やはり漱石の『門』の夫婦ですね。ぼくが書いたのとはまったく違うタイプの夫婦ですが、イメージとしては頭の隅にあった。

8.世界における「村上春樹現象」とは?

9.「ノルウェイの森」Norwegian Wood(This bird has flown.)
「3.ストオリイとプロット」の1節

神戸という郷里からの上京と、学生寮での共同生活という選択は漱石の『三四郎』と同様に「自己形成」を目指す、また目指さざるを得ない青年の普遍的なありようでもあります。『三四郎』が備えたBildungs-romanの構造をこの作品も示しているのは確かです。漱石がこの作品連載の直前に発表した「予告」にあるように、色々な人との出会いの中で主人公は変化し屈折し成長を遂げるのであります。Bildungs-romanの語の代表的な訳語は「教養小説」ですが、それよりもふさわしい訳語はここでも「自己形成小説」でしょう。そして両作品に共通の浮動的な結び(いずれもが、自問自答で終わる。)について言うと、「遍歴小説」という呼び名が最も相応しいかも知れません。「遍歴」と言えば2作とも「女性遍歴」がメインのプロットです。本作の神戸の女性~直子~緑~ハツミさん~レイコさんとの交渉は(後述の「ハツミさん」を除き)セックスの関係で結ばれていますが、漱石の主人公の場合はその要素は殆ど表に出ておらず手が触れ合うくらいです(*4)。しかし九州の「お光さん」~美禰子~よし子、と役割が書き分けられているのは興味深い対照です。直子の病的な内閉性と美禰子の謎めいた挙措(露悪と偽善の二面性)、これに対して緑の天真爛漫ながら現実的智慧に裏打ちされた堅実さとよし子の母性的な雰囲気、それぞれのレベルでの対応関係が主人公の世界の必須の構成要素とされています。

『三四郎』が、日露戦争後の世情不安をバックに据えて車中の女や轢死する女を点描している点は村上春樹の作品の方で「大学紛争」を設定として持つこととの対応が直ぐに発見できるのですが、『三四郎』はさて置いて、本作の場合歴史的事実としての「大学紛争」が、それに関わる個々のモティヴェーションの差異によって、多様な後遺症を齎していることを見ておかなければなりませんね。

「7.村上春樹と夏目漱石」の1節

各所に漱石への言及は見られますが、『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』には、漱石読みの河合氏の示唆もあって数多くの発言が見られます。『スプートニクの恋人』には、「夢十夜」の第一夜のイメージの活用(「ミュウの真っ黒な瞳の奥に映っている自分自身の鮮やかな姿を、すみれは目にすることができた。」3)があるその直後の章(4)に「なんだか『三四郎』の冒頭の話みたいだな・・・」という「目くばせ」めいた記述があったりする。「ノルウェイの森」に関しては、その原型をなす「蛍」と「こころ」の対比を試みた渥美秀夫の画期的な論(1992.12『愛媛国文研究』)を嚆矢として、同じく平野芳信の「話型論」からする「最初の夫の死ぬ物語」があり、更に「三四郎」を中心に漱石の時間意識との対応関係を論じた半田淳子の逸論が存在する。『翻訳文学ブックカフェ』で新元良一のインタヴューに答えて、

夏目漱石なんかは好きなんですよ。でも戦後文学みたいなのはだめ。(中略)いわゆる文芸日本語がよめないから。

もっとも大江健三郎の「死とセックス」を初期は回避してきたが、本作では活用してきた、というあたりおのずからシタタカな作家的本性を露呈している。この本で面白いのは、レイモンド・カーバー、フィッツジェラルド、チャンドラー等翻訳の対象作家を論じる中で「ドストエフスキイのカラマアゾフの兄弟はぼくの北極星」と述べている部分である。カラキョウなど言う現代風の略語を親密感込めて使う作者である。村上訳ドストエフスキイ出現の可能性が期待できるのです!





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by tsubakiwabisuke | 2007-05-15 18:27 | 夏目漱石


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