2007年 02月 10日

京都美術倶楽部 松庵茶会2月例会

1月の担当は、赤坂玄古庵。2月例会は、上原永山堂。いずれも日は9日に決められています。

赤坂政次さんはその鑑識眼といい、お人柄といい私の尊敬する方です。ことし9日午後は今日庵・初釜のご招待でしたから、赤坂さんの茶会には心ならずも失礼してしましました。

でも、上原さんという方も赤坂さんに次いで京都美術倶楽部の長老というべき茶道具屋さんなのです。
その昔、文豪の川端康成さんが常連客でいらしたのですから、上原さんの見識がおのずとわかるというものです。

写真撮影は快く認めてくださいましたので一席おわったころ、少々撮らせていただきました。

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永山堂のご主人は中央、夫人とご子息も丁寧なおもてなし。

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玄々斎手づくねの黒楽茶碗。銘 「延喜楽」 

●延喜楽 (えんぎらく)、舞の名。醍醐天皇の延喜8年(908)に式部卿敦実親王が舞を作り、左近少将藤原忠房が曲を作り、年号をもって曲名としたもの。慶賀の時には必ず舞われているといわれています。

玄々斎の共箱で、「 於庭前拙作 」の文字が読めます。おそらく玄々斎は楽家から来た土ひねりの原型を、今日庵の庭でみずから手を入れて仕上げられたのではなかったでしょうか。
そして慶祝の意をもってこの銘をおつけになったのだと、私はひとり想像するのです。

●茶杓は、玄々斎の養父に当たる認徳斎の作です。
「 み楚連 」と共筒にしたためられていますが、これは万葉仮名で「みぞれ」と読むのですね。
箱には「 自作茶杓 霙ト号  認徳斎 」とあります。

竹のけしきがあたかもみぞれを思わせるようです。櫂先は認徳斎らしい剣先でこれが玄々斎に引き継がれたということでしょう。きりりとしてふぜいのある茶杓でした。

●その上、雪輪の蒔絵棗との取り合わせは、ニクイとしか言いようがありません。


●それから待合掛け物について。
酒井抱一の「 紅梅画賛 」。賛がなんともおもしろいのです。
「 紅梅や 唇うすし 京童へ」。 さて、これをどのように受け取るべきか。

私は四客くらいの場所におりましたが、席主の上原さんとは気楽に話しあえるお付き合いですから横からふっと、こう申しあげたのです。

「京わらべといえば「二条河原落書」ですか、口さがない批判をおもしろおかしく書き付けたようですね。その京わらべも紅梅の美しさの前には、くちびるがうすい。つまり口をつつしんでいるといった風なことではないのでしょうか。」

同席の方々が笑顔で、ああ、そうですねえとうなづかれ、主がまた如才なく、「いやぁ、これはいいことを教えてもらいました。」と返されたのは嬉しかったですねぇ。ちごてたらえらいこっちゃ。

●釜が二月につきものの広口釜。芦屋に珍しい短冊の地紋があるいいものでしたが、なにせこの暖冬。ご亭主は「まるで調子が狂いいましてな。」と頭をかいておられました。

●広蓋に合わせて用いたといわれる古銅の三猿の蓋置きも、たのしいものでした。

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●あとさきになりましたが、花は木藤に椿。
画像が無事入るでしょうか。

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最後に釜の煮え、白い湯気でもいかがでしょう(笑)



お正客の方は欧米人の男性。日本語はもとよりお茶の本質をしっかり把握された本物の数寄者とお見受けしました。日本にいらしてからどのくらいになられますか、とお尋ねしましたら、「はい、僅か30年でございます。」と。裏千家を学んだと仰っていましたが、みどり会ではないそうです。

上原永山堂のお店の、たいせつなお得意さんではなかったでしょうか。
連客ともども、お正客さんの堂々たる「正客ぶり」に、感じいったことでした。






by tsubakiwabisuke | 2007-02-10 16:36 | 茶の道


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