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2007年 02月 08日

Kさんより「白薔薇100本と赤ワイン」?

岡崎といいますと、徳川家康公が生誕して後の江戸幕府の礎を築いた「三河武士」発祥の地であることは、誰しも異存ないことと思います。

糟谷銑司(かすやせんじ)さんのサイトには、東海道五十三次の浮世絵・岡崎の絵がいい景色となって訪問客を迎えてくれます。

人は年輪が増えるごとに望郷の思いが強くなるといいますが、いやぁ、立派なトップページです。エッセイはなかなか読み応えのある硬派のサイトと見ました。

このたびエキサイトブログ3周年記念の一環として読者からトラックバックを募集しています。
私は糟谷銑司(かすやせんじ)さんを選びました。

エキサイトさん、3周年おめでとうございます!毎日お世話さまでございます。

ところで糟谷さん、ホストである筈のご亭主が、あ、すみません、茶道のほうでは席主をこう呼ぶものですからつい…。

ご亭主の装束がですね、ちょっと不釣合いではございませんか。ハンチングをかぶっておられるのは一向に構いませんが、洋服は浮世絵といかにも不釣合いなのでございます。

鷹匠のような堂々たる、しかも小粋な姿であってほしいと、ほんの一瞬思いました(笑)。

岡崎は、私ども茶道に携る者には忘れることの出来ない土地柄でございます。
裏千家中興の祖と尊敬されている第十一代玄々斎精中のお生まれになった由緒ある地であること。

拙サイトに少々そのことに触れている箇所がございますので、一部抜粋いたしましょう。



精中忌 たむけの七事式と けいこ場席

詳細は 僭越ながら わびすけの日記から

裏千家十一代玄々斎精中(1810~1877)は、 幕末から明治の変動の時代に、「茶道は遊芸にあらず」とし、「忠孝五道を精励し」「貴賎衆人親疎の隔てなく交会」するものとして『茶道の源意』を書いているひとであるが、今日庵のみならずひろく茶道界に偉業を成し遂げた宗匠であった。
外国人を迎えるための椅子式の茶礼を創案したのも玄々斎である。

 もとは三河領主の松平家に生まれ、10歳で裏千家十代認得斎の養子として迎えられたという。
わずか10歳で実の母とも別れ他家に入った少年の胸中はいかばかりであっただろう。
それを救ったのは養母となった認得斎夫人の愛情とすぐれた教育であった。

 漢学をはじめとしてあらゆる学問・教養を学び、身につけた玄々斎は17歳で裏千家十一代当主となる。
今では考えられないようなことではなかろうか。よき人びとの広範な輪にも恵まれた。

 尾張徳川家、なかでも十二代の斉荘(なりたか)は、この玄々斎精中宗室に茶道を学んだ。
ともに同年齢であったという。友人であり師弟でもあったふたりには茶道を媒介として深い信頼関係があったようだ。

 さて、こうした玄々斎精中という裏千家中興の祖と他の歴代宗匠をおまつりし、供養する毎歳忌が今日の精中忌なのである。
 宗家において神聖な座敷である咄々斎、その八畳の間で七事式という協働の点前をご奉仕させていただく。
 いつものことながら緊張と感激の瞬間である。(*1で短冊雑を手に朗詠しているのが私。)
                     



たった一人の当選者へのプレゼント、白薔薇100本と赤ワイン」をお考えになったのは、正解だったと思います。素材は西洋風ですが、紅白という取り合わせは日本の伝統的な年祝いにふさわしいものだからです。

ひそかに当選を期待するものでございます(^。^)。
まあ、ダメモトという気持ちでおりますのでご安心をくださいませ。





by tsubakiwabisuke | 2007-02-08 17:57 | ニュース


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