2006年 12月 04日

三冬枯木の花、九夏寒巌の雪

「三冬枯木花」(さんとう こぼくのはな)(九夏(きゅうか)かんがんのゆき)


出典 虚堂録(きどうろく)

「虚堂録」巻一に見える「三冬枯木の花、九夏寒巌の雪」から採られた句といいます。

三冬(さんとう);孟冬(十月)、仲冬(十一月)、季冬(十二月)の総称。冬の九十日間。陰暦。

九夏(きゅうか);夏の九十日間。


「九夏」とは夏期九十日間のことで、「冬に枯れ木に花が咲き、夏には寒い巌の上に雪が積もる」という意味なのです。

常識、分別は生きてうえで大切なものですが、禅ではそれをいったん抜けて世間の思い込みや執着からできあがっている「我」から開放されなさい、と説くのですね。

そうすれば、冬の枯れ木に花が咲き、夏の巌の上に雪が積もるのを知るだろうと。




先に大宗匠は

大徳寺で禅の修行をしていた若い時分、師匠から「婆子焼庵(ばししょうあん)」の公案を与えられたことを話され、
「枯木寒厳に倚って、三冬暖気なし」という禅語を繰り返し、誦されました。


煩悩とどう向き合うかという大きい問題が提起されたわけですが、この公案について故山田無文老師が誰にもわかるようにスピーチをされた記録が残っています。ブログ 禅 -Blog ZEN-

http://blog.rinnou.net/zenken/archives/2006/08/post_24.html


電気会社の招きで講演された内容が、まことに秀逸で現代人に納得できるものになっています。ここに要所だけ、抜粋させていただきますね。


「『枯木寒巌に倚って、三冬暖気無し』というのは、いかにもよい境界でありますが、これは電気で申したら停電でございます、電流が通じておらんのです。意識が疎外されております。それならというて、その娘さんにガッと抱きついたら、こりゃ漏電でございます。

禅が枯木寒巌的停電禅であってはこまりますし、また大いに人間性を発揮した漏電禅でも困ります。しっかり被覆された、電流のような意識が、スイッチをひねると同時に、仏の光明となって輝いて、そこで適宜にその娘を済度しないことには禅にならないのであります。

そういう生き生きとした意識が、定着せずに、奔流せずに、また逆流せずに、滾々として毎日新しく流れて、創造的な生活をしていくことが、禅というものでなくてはならないと思うのであります」。





漢詩の約束ごとに起承転起承結(きしょうてんけつ)があるのはよくご存知のことでしょう。

大宗匠は起・承と主題を話されたあと、床の間の掛け軸の語をゆっくりと誦してから言われました。

三冬枯木の花。
いいですか。冬だから枯れ木なんだと思い込んでは駄目ですよ。

そうして、こう結ばれたのです。

こころに青春を!!!


来年が歳男だという亥どし生まれの鵬雲斎前家元。
来年4月19日に、満84歳におなりです。






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写真はこの2日、東上した折、高輪のホテルに近い某美術館を訪れた時のもの。

昔の教え子と20数年ぶりに再会。かれは今主任学芸員として活躍していました。






by tsubakiwabisuke | 2006-12-04 23:29 | 茶の道


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