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2006年 11月 13日

ジョンレノン・オノヨーコの「イマジン」を聴いています

ジョンレノン・オノヨーコの「イマジン」を聴いています。

http://www.platon.co.jp/~nowhere/flash/john.html


http://www.johnlennon.com/site.html

有名人といえばどこか敬遠する性癖があって以前は関心も無く見過ごしてきましたが、トリノ・オリンピック開会式でオノヨーコの存在感にはじめて触れ、レノン夫妻の偉大さを思ったのでした。


聞いているといってもCDを持っているわけでなく、ネットでたまたま聴いて喜んでいるくらいですからまあいい加減なファンといっていいでしょう。

小野という日本の苗字をジョンレノンは自分のミドルネームにしようとしたそうですから、妻を愛し日本を第2のふるさととして愛したのは確かだと思います。

「オノ・ヨーコとの結婚を機に、ミドルネームのWinstonからOnoへの変更を申し立てたが、変更は認められずパスポート、グリーンカードなどはJohn Winston Ono Lennonと表記されている。 Wikipedia 」



オノヨーコさんは前衛アーティストという立場より前に、魅力的な日本女性であったと私は思います。それは彼女には強烈な母性があるからです。


「1993年、ロンドンのインディカ・ギャラリーで彼は後に二人目の妻となるオノ・ヨーコに出会った。二人は同年の「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」の録音期間中より、ヨーコの個展にレノンが出資するなどして交際を始めた。レノンは1968年2~4月のインドでの修行中も、シンシアを同行させていながら、ヨーコと密に文通で連絡を取り合っていた。5月、ヨーコへの思慕を募らせたレノンは、シンシアの旅行中にヨーコを自宅に招き入れ、以後ヨーコはレノンとの同棲生活を始めた。シンシアはその年の7月に離婚申請を行い、11月8日に離婚が成立した。レノンにとってヨーコの存在は公的にも私的にも不可分となり、ビートルズのセッションにも影響を与えた。二人の密接な関係はグループの他メンバーとの摩擦を生じることも多く、後にヨーコはビートルズ解散の原因として不当に責められることともなった。


ビートルズとしての最後の二年間に彼は、多くの時間をヨーコと共にベトナム戦争に対する反対と平和を求める活動に費やした。1969年3月に彼らはジブラルタルで挙式し、新婚旅行で訪れたアムステルダムで「ベッド・イン」という平和を訴えるパフォーマンスを行った。彼らは多くのメディアから奇妙なカップルとして取り上げられたもの、反戦活動での重要人物として見なされるようになった。結婚後間もなくレノンはミドルネームのウィンストンを、妻との「単一性」を示すためにオノと変更した。Wikipedia 」




ヨーコさんがジョンと出会った時、彼は英国から世界のアイドルとして絶頂期だったようですね。しかし当のアイドル歌手は商業主義のせかいで神経をすりへらしクタクタになっていた。ヘロイン中毒だったという説もありますが作り話とばかりいえないのではないでしょうか。

相棒のポールマッカートニーが生涯この問題をひきづっていたことを思えば…。
ただ、妻となったヨーコ夫人の英知とわが子に対する母親のような深い情愛がそれを救ったのでしょう。女は弱し、されど母は強し。

結婚をしてからのジョンの顔はそれまでの彼と同一人物かと思えるほど、いい変化をみせています。なんとなくインドの聖者にも似た禁欲的な風貌のように思えるのです。

世界の平和、反戦、愛、その一貫した主張は、夫人の影響だったかもしれませんが、もともと幼時に母親と別れ孤独な精神生活を送っていたジョンの先天的な素質ではなかったでしょうか。
作歌活動から離れ疲れた心身の休養をとった夫を、精神・経済両面で支えたのはヨーコ夫人ならではと私は思います。


「レノンは息子のショーン誕生後の70年代中期から後期にかけて毎年のように一家で夏の軽井沢を訪れ、有名な「万平ホテル」や小野家が所有する別荘を常宿に数ヶ月も滞在していた。ボディーガードもつけず、短パンにトレーニングシャツといったラフな格好でサイクリングや散歩を楽しみ、気軽に地元のパン屋を訪れて買い物をするなど、世紀の大スターらしからぬ庶民的で質素な振る舞いは、地元住民に大変な好意をもって迎え入れられた。また、上野動物園や豊島園などへ子供連れで訪れたり、日本橋のデパートで買い物をする場面などを非常に多くの日本人に目撃されている。なお、日本人はまずヨーコに気付き、よってその横にいる「外国人の男性」がレノンだと分かることが多く、レノン単独では殆ど分からなかったと言われている。Wikipedia 」



ジョンレノンは英国が生んだ歴史的偉人のなかで8番目に挙げられているという公的な記事を見ました。私はオノヨーコは日本が生んだ歴史的な偉人の中に必ず入る女性だと書こうとして、すこし考えています。

常識から離れたような奇抜な格好をされているのですが、いわゆるフェミニストではなく女性のよい面を最大限に生かしたところに、彼女の魅力があるのですね。ただ、多くの摩擦を起こした人であることも事実でしょう。

「イマジン」の歌をブッシュ大統領は共産主義の歌だといって嫌ったとのことです。また、一部キリスト教会からも排斥されているようです。でもこの歌に救いを求めて歌い、共に聞こうとする人々は圧倒的に多い筈です。

「イマジン」は、オノーヨーコの影響の下にジョンが作った歌でした。ヨーロッパだけでなく、アジア・アフリカ、またイスラム圏の人々に、レノン夫妻は愛をこめてこのメッセージを贈りました。


http://www.dreampower-jp.com/super_live/index.html


『Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ』は2001年から毎年開催されました。毎年、Dream Powerの提唱者であるオノ・ヨーコと日本のトップ・アーティストがジョン・レノンが歌った歌を歌い、過去5回のコンサートで、アジア・アフリカ17か国に54校の学校建設を支援してきました。


http://ch-k.kyodo.co.jp/17kyodo/backnumber/backnumber2001/number14/newsdigest.html

オノさんが全面広告
「イマジン」の一節引き
配信日 2001.09.26

 【ニューヨーク25日共同】故ジョン・レノンの夫人オノ・ヨーコさんがレノンの代表曲「イマジン」の一節を一行だけ白地のページに載せた全面広告を二十五日付のニューヨーク・タイムズ紙に掲載した。

 広告にオノさんの名はなかったが、オノさんの広報担当者がAP通信に確認した。
 この広告は「人々が平和に暮らすことを想像しよう」という、わずか八語の詩だけ。米中枢同時テロの後、企業、団体がこぞって愛国心や連帯を打ち出す全面広告を出す中で、スポンサー名や写真などは一切なく、「平和」を強調した点で異彩を放っている。

 オノさんの広報担当者は「広告に名前を出さないほうがより効果的と感じたから」と匿名広告の理由を説明、「伝えたいメッセージはすべてこの広告の中にある」としている。

 オノさんはニューヨークの繁華街タイムズスクエアにも、同じレノンの歌「ギブ・ピース・ア・チャンス(平和にチャンスを)」を引用した大きな屋外広告を出すことを検討しているという。
(共同通信)







by tsubakiwabisuke | 2006-11-13 00:57 | ニュース


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