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2006年 11月 07日

三十三間堂の妙法院 鵬雲斎大宗匠による最初の献茶式

○天台三門跡 京都でこのようにいわれているお寺に妙法院があります。

妙法院、青蓮院、三千院です。でも妙法院という名よりは三十三間堂のほうが世間にはよく知られているようです。その蓮華王院本堂(三十三間堂)は妙法院の仏堂なのです。

11月5日は鵬運斎大宗匠の献茶式が妙法院で行われ、ご招待をいただきましたのでお知り合いのTさんをお誘いして参列させていただきました。

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Tさんは京都大学の指導的研究者。28歳の独身男性でご専門は情報、ITには非凡な見識をお持ちです。私のカメラのシャッターを押してもらい、お互いを撮影したのが以下の写真です。茶道関連のものはご遠慮して妙法院内の背景でもわかればいいと思いまして。献茶が終わったあとの一ときです。


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お献茶は宸殿で厳かに行われました。ここは幕末の七卿落ちがあった処と伝えられます。
そして小堀遠州作と伝える庭園もうつくしいものでした。何よりも公開寺院でないことから世俗的でない品格があり、祭壇横に整列された8人の寺僧さんがたの清清しい雰囲気がすばらしかったです。

読経も密教だからでしょうか。鷹揚な調べの、私にはあのモンゴルのホーミーにも似たような響きを感じました。皆さん感動されておりました。
これは天台声明(しょうみょう)と申しますか。梵唄(ぼんばい)と申しますか、もとはインドから伝わったものでしょうね。




今日庵席 大書院

東福門院の旧殿を移築したものとお聞きしていますが、その座敷で濃茶が振舞われました。

床 九条卿  お名前は覚えていませんが、懐紙に詠草がかかれた掛け物。

花、照葉 ドウダンツツジ 椿 が、仙叟作 竹 旅枕 に入っていました。

長板 二つ置き

道安風炉に 尾垂釜。 水指は 呉須 香炉形 でした。 

茶入 古瀬戸 たしか翁手だったでしょうか。 茶杓は、ああ、それで、とわかりました。

この間、10月29日の宗家開炉の日、例年出てくるはずの茶杓 一燈の「口切」が今年は無く別の茶杓だったのです。この妙法院献茶式の今日庵席、ここで使用されるためのものだったのですね。

なにしろ、妙法院でこれまでお献茶があったことはなく、この度、ご住職のご要望により初めて後白河上皇880年記念の献茶が鵬雲斎大宗匠によって実現したのでした。

まさに、「口切り」という銘の一燈のお茶杓は、この日にふさわしいものであったと思います。
茶碗は今日庵伝来、大徳寺呉器、気宇の大きい名碗でした。


点前は渡辺業躰。半東は金沢宗達さん。兄の金沢宗維業躰とご兄弟で亡き父君の名跡を立派に継がれている若手のホープでいらっしゃいます。若手ながら謙虚でしっかりした応対は宗達さんならではですね。

濃茶をいただいたあと、茶道口から大宗匠がおでましになり、点前座の後方に坐られ談笑されました。私は連れのTさんとご一緒にご挨拶に参りました。大宗匠はそのことを喜んでくださいました。

若い男性、それも今どきの若者らしからぬ武士然とした風貌の大学研究者に、これから裏千家茶道を理解し、興隆につとめてほしいとの期待がおありだったのでしょうか。
初心者へのあたたかいお励ましのお言葉でした。


Tさん 2006年11月08日 taro's blog 裏千家のお茶会


リンク
妙法院住職 すがわらしんかい さん







by tsubakiwabisuke | 2006-11-07 23:16 | 京都


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