2006年 08月 31日

冷泉家(れいぜいけ)の 夕べ


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座敷 上の間の床 秋草の掛け軸。


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歌びとの 横に。 右端の女性は、写真を撮られた松本洋さんの夫人。


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織姫につながる 五色の糸。



説明文は明日にでも。

…とこう書いたままで尻切れトンボになってしまいました。

冷泉家といいますと、藤原俊成・定家という鎌倉時代の歌人のご子孫。わかりやすく書きますと、漢語ではない和様の文学を創始した歌道の宗家、となりますがいかがでしょう。

中国からの輸入ものではない日本人のアイデンテテイを、たち上げた大いなる宗家…。
それはもう、たいへんな文化改革であったと思います。

冷泉家は歌学をもって朝廷に仕えましたが、維新後、明治政府からは伯爵の位を得ています。

その住宅は天明の大火後の寛政2年(1790)の建築です。
冷泉貴美子夫人にお聞きしたところでは、いまの敷地は約750坪とのことでした。


七夕の乞巧奠(きつこうてん)が行われた座敷は、上の間。私たちが見学しているところは、下の間。開け放った座敷全部は100畳はあるのではないかと私は思いました。

じつは、上の写真、訳アリなんです。
冷泉邸でごいっしょさせていただきました或るご夫妻は、東京からいらしてまして、
冷泉家第25代目のご当主冷泉為人さんと大学が同窓とか仰っておりました。

私はカメラ撮影はご遠慮してカメラそのものを持参しておりませんでした。
でも、隣席にいらした松本さんご夫妻のご好意で、乞巧奠の儀式が終了した後で、写真を撮っていただいたのです。


松本さんからのメール

「おかげさまで冷泉家で思い出に残る一日を過ごさせていただきました。数百年前にタイムスリップして高尚なお歌遊びを興味深く拝見させていただき、“雅の世界”に感嘆した次第でございます。伝統を継承するのは本当に大変なことでしょうね。やっと写真ができましたのでお送りさせていただきます。遅くなりまして申し訳ございません。
京都は大好きなまちですし、亡父のふるさとでもあります。」


松本さん有難うございました。

書き足りないことがたんとありますので、またこの続きは先にのばしますね。


参考
室町史蹟案内 冷泉家住宅
http://www.edu.city.kyoto.jp/hp/muromachi-s/index.html





by tsubakiwabisuke | 2006-08-31 22:45 | 京都


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