blog 漱石サロン ランデエヴウ

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2006年 06月 29日

ねこに思う 終末医療について

猫は3日おきに獣医科へ点滴に通っている。
抗生物質が効くのか治療後は熱もさがり、ほんの少しだが食欲も出るようだ。

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本文と関係ない画像、他のは受け付けてもらえずこれでやっと、といった処で(笑)。


水はネットで購入した「腎臓病の猫用の水」をいれたガラス鉢と、水道水を洗面器にいれたものと二つ置いている。水道水のほうがお好みのようで、高いお金を払ったペットポトルの老猫用の水は飲まなくなっている。

4、0キロといわれていた体重がまた痩せて3、8キロになっていた。ドラを抱くと、とがった骨が手のひらにゴツゴツと当たり悲しくなる。腎臓は治る見込みはないそうで、少しでも長く生きてくれればいい…。

人間のように苦しいと訴えるでもなく、調子のいいときは二階の物干し場にトコトコ登っていき、横たわって暑さをしのいでいるようだ。まだ終末医療が必要というわけでもない。

主人は少年の頃、山の実家で猫を飼って面倒をみていた経験を話してくれる。
「ねこは死ぬ時にかなしい声をして鳴くんだ。それから誰もしらない場所を選んで、逝くんだよ。」

今はもう時代が違うから、変わっているはずだと私は思う。
猫自体が過保護になって、本来の野生に遠くなっているのではなかろうか。
それでも家の猫は自分たちの目の届くところで、最後をみとってやりたいと思うのも、自然の情だろう。

今度は自分の場合を考えるようになった。にんげん、いつ何が起きるかわからない。
私のほうの家系は脳梗塞などその系統のように聞いていた。
もしも、脳出血がとっさに起きた最悪の結果、どうすればいいだろうかと思う。

できることなら延命治療ではなく、そのまま逝かせてほしい。終末医療は…日本では延命治療が主流だが、それらはお断りしたい…。尊厳死は、認められていないのではなかろうか。
ドラを膝にのせてぼんやり考えている自分がいる。

日本ではそうした願いを家族が容認できない制度になっていると、言った法律家があった。
これまでにも悲惨なケースが刑事事件となってニュース面に出ていたことを思い出すのだ。


http://www.angel.ne.jp/~polar/kanno/jiken.htm

難病に苦しむわが子が「死にたい、楽にさせてほしい」と嘆願する日々、その母親はどのように対応したか。それはまことに不幸な成り行きであった。

殺人罪。

先年私は、良心的な当該医師が被告を救う嘆願書を法務局に提出するのでに協力してほしいとネット友から要請を受け、及ばずながら署名の協力をしたのがこの事件であった。

幸いにも数年後、執行猶予の判決が下りた後で、その母親の方から丁重な礼状が届いた。
素朴な文面で形式ではない誠実さがにじみ出た礼状であった。どうしてこの方はここまで追い詰められなければならなかっただろう。思わず涙がこぼれた。


人に迷惑をかけることなく、その時がくれば、静かに人生の終末をむかえたい。
私は猫の背をなでながら、人の世の無常をおもい、自分の行く先を考えるのだった。







by tsubakiwabisuke | 2006-06-29 22:32 | ねこ


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