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2006年 06月 17日

ジェンダーフリーあれこれ

ジェンダーフリーということばを略してジェンフリという。

最近このことで私はJanJanのジェンフリ掲示板にこれまで傍観者であった自分の考えを書き込んだ。

そうした主張をする方の解説は、鈍い私にはどうももわかりにくので、ネット百科事典
ウィキペディア(Wikipedia)の解説をみてみることにした。
(左側の検索マドに ジェンダーフリー と入れると表示されます。)

「先天的・身体的・生物学的性別を示すセックス(Sex)に対して、
後天的・社会的・文化的性別のことをジェンダー(Gender)というとされる。」

なるほどと思った。ついでそうした運動をされているエライセンセイの名前も見ることになった。
((左側の検索マドに 上野千鶴子 と入れると表示されます。)


性差別は、男女の固定観念と従来の役割分担を否定し、それからの開放を主張している。
男女同権や男女平等とは違うところが「男らしさ、女らしさ」を社会的に洗脳されてできたものだという考え方だ。こういう思想が日本の伝統的な社会にどのような影響を与えるか?
破壊的な影響力をもつようにも思える。


それでJanJanに記事を書いた。これが今日の掲載記事である。

tsubakiコラム (京都・教育) 「京都 東山区 祗園町 南側」


(サーバーの障害か、写真がなかなかアップできなかったが、この画像だけは表示できる。
ゆうべ「猫の実家」から送っていただいたドラの母上・モンドさんの近影である。文章とマッチしてないところはごカンベンを(笑)

e0006293_14514994.jpg



この記事は、マックレイン松岡陽子さんのコラム「男女均等(上)家庭では」に端を発して、書こうと思い立ったのだった。

陽子さんの記事の下にご意見板というBBSがあるので、気が向いたらご覧いただきたい。
私の書き込みがあるはずだから。


男女がともに特性を生かしながら援けあっていくのが日本の家庭であったが封建的な場合もあり女性の不満がこうした形で表面化したのだろう。

しかし、本来のジェンダー思想はアメリカでも健全な発展をとげ社会生活に寄与しているのだ。マックレイン陽子さんの連載記事『アメリカ報告』はまことに見事にそれを書かれている。

どうも日本のジェンフリーの人々は、これまでの社会秩序を否定する側面がみられ、過渡期というか何か行き過ぎた考えの持ち主が多いのではなかろうか。


この件に関しては編集便りというコーナーにも私の見解を述べている。
自分のコメントだからここに再録することにした。


19427] JanJanがアメリカで閲覧できない問題
名前:椿伊津子
日時:2006/06/17 12:47
マックレイン陽子さんと昨夜メールのやりとりをいたしました。
どうも1週間前からJanJanがアメリカで閲覧できないようなのです。

編集部には既にお知らせが行っていると思いますが、原因はなぜなのか調査をお願いしたいと思います。

メール

「さて、ジャンジャン新聞のサイトの件ですが、専門家にきいてみたところ問題はやはり先方のサイトにあるようです。アクセス数が多すぎて許容量を超えているので、アクセスできないか、もしくはサイトの構成に問題があるのではとのことでした。もしかしたら、日本の明け方もしくは夜中、(ユージンの午前中)にアクセスなされば、日本でのアクセス量が少ないと思われますので、アクセスしやすいかもわかりません。どちらにしても、先生のコンピューターの問題ではないと思われます。

 いくらそちらの真夜中でもまだ開ける事が出来ません。そのため伊津子様の記事も読めずとても残念に思っていますが、どうしようもありません。また誰かに聞いてみます。早く読めると良いのですが、本当に残念です。」


それからもう一つ大切なことを申し上げたいと思います。

私が昨日ジェンダーのコメントをしたのは、アメリカと日本の取り組み方、運動をする人々の意識の違いです。

「男女均等(上)家庭では」のカテゴリは「米国・ジェンダー」でした。私はマックレインさんに大いに共感した書き込みをしております。
http://www.janjan.jp/column/0606/0606156075/1.php

マックレインさんはジェンダーの定義だの本だの全く触れずに、社会で男女均等が平穏な中に行われている実態と、一般の人々の意識を淡々と描かれています。

いっぽう日本ではどうでしょう。掲示板では輸入モノの伝播者のような論調で、ここはどこの国だろうかと一瞬思うのでした。その上、大学の教壇から教えていただかなければならないような雰囲気。
日本人のアイデンティティはどこにあるのでしょう?

世間に好感をもって受け容れられないのはなぜか、という単純な問いかけをしたに過ぎない私ですが、本を読まないで発言するのは論外というご批判です。


マックレインさんの記事に共感し、ジェンダーの本を必要としない私ですが、それはたぶん一般庶民の一人だからだと考えます。庶民はむつかしい議論ではなく、ジェンダーの主張をする人々の言動や周囲の見方を参考にして皮膚で感じるものかもしれません。


マックレインさんは次のようにお書きくださっています。


「先日東京でも言っていらっしゃいましたが、何も女性が男性のようにならなくてもよく、常に女性らしさを保ちながら、有能な仕事が出来る筈です。第一男よりよくなろうという考え自体がおかしいと思います。いつも自分で精一杯良心的に仕事をすれば、人間として優秀になれると思うのです。ですから、私は男に勝ろうと思って仕事をした事はありません。現在のアメリカにいると、本当に男女均等なので、そんな考えが先ず起こりません。」


日本のジェンダーフリー主義の方々とは、一味も二味も違うように思うのですが、いかがでしょうか。


ジェンフリに懐疑的な知識人のブログをご参考までに。

内田樹の研究室 http://blog.tatsuru.com/archives/001351.php






by tsubakiwabisuke | 2006-06-17 20:06 | ニュース


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