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2005年 10月 06日

丸善の閉店 レモン 梶井基次郎 高村光太郎夫妻

この10日に閉店する書店「丸善」京都河原町店。ほんとうに寂しいです!

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丸善が京都に出店したのは1872年といいます。
梶井基次郎の短編小説『檸檬』(れもん)の舞台になった旧店舗は、現在地から約400メートル北西にあったとか。

もとは、明治5年、京都の二条に開店した書籍や薬を扱う丸屋善吉店。その後、場所を寺町通り、現在の河原町へと。かれこれ130年余もの間続いてきた老舗です。

当時の町のようすはどうだったのでしょうね?
今、二条といえば寺町通りの一保堂茶舗あたりが目にうかぶのですが…。

河原町店には私も主人に伴われて何度か行ったことがあります。主人はここでメガネや万年筆を購入していましたし、私も英国製のバーバリ・コートを…。
へえ、そうでした。その時は見ただけで結局私のほうは買うことはありませんでした(笑)。

『檸檬』の主人公は、思考が正常に働かなくなったことで町へ出ます。或る果物店でレモンを買い、歩いていきます。以下部分引用を。


>どこをどう歩いたのだろう、私が最後に立ったのは丸善の前だった。平常あんなに避けていた丸善がその時の私にはやすやすと入れるように思えた。
「今日は一(ひと)つ入ってみてやろう」そして私はずかずか入って行った。<

青年は、脳裏に映る狂おしいような情況に苦しみます。そこから逃れるべく、

>「あ、そうだそうだ」その時私は袂(たもと)の中の檸檬(れもん)を憶い出した。本の色彩をゴチャゴチャに積みあげて、一度この檸檬で試してみたら。「そうだ」
 私にまた先ほどの軽やかな昂奮が帰って来た。<

檸檬は救いとなったのでしょうか?

>見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。私は埃(ほこり)っぽい丸善の中の空気が、その檸檬の周囲だけ変に緊張しているような気がした。私はしばらくそれを眺めていた。<


精神の不安定な状態を作品に描いた梶井基次郎。理数系かまた絵画的な要素も感じられ、レモンのみずみずしさが心に残るのです。
宇野千代と親しくなり過ぎたとも噂される青年でしたが、31歳で病没。京都の為にも惜しいことでした。しかしこの小説は多くの愛読者をもち、丸善の名を広く知らしめることになりました。


「レモンの日」というのがあるの、ご存知でしたでしょうか?じつは昨日だったそうですね。
どうしてかといいますと、その心は、昭和13年(1938)の9月5日、高村光太郎の妻智恵子が亡くなった日ということから決まったようです。


高村光太郎が妻千恵子の臨終に絶唱「レモン哀歌」を書いたことはよく知られていますね。


レモン哀歌

そんなにもあなたはレモンを待ってゐた

かなしく白くあかるい死の床で

わたしの手からとった一つのレモンを

あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ

トパアズいろの香気が立つ

その数滴の天のものなるレモンの汁は

ぱつとあなたの意識を正常にした

あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ

わたしの手を握るあなたの力の健康さよ

あなたの咽喉に嵐はあるが

かういふ命の瀬戸ぎはに

智恵子はもとの智恵子となり

生涯の愛を一瞬にかたむけた

それからひと時

昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つして

あなたの機関はそれなり止まった

写真の前に挿した桜の花かげに

すずしく光るレモンを今日も置かう



このころのレモンには、今のような農薬の汚染問題はなかったでしょう。その意味ではいい時代だったといえるのではないでしょうか。
文学者にこのように美しく最高の賛辞をおくられたレモン!



今日の画像は散歩に出た主人に頼んで買ってきてもらったレモンです。紫水晶のお数珠と丸善から来たハガキを添えて。それともう一枚はあけびとレモンです。



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by tsubakiwabisuke | 2005-10-06 16:12 | 京都


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